認知症の父の家族認識が、関係性のカテゴリーにズレこんでいるみたい

気になること

認知症の父は、しょっちゅう変なことを言う。
なかでも家族関係について混乱をきたすことがしばしばあり、それがなかなか興味深い。

たとえば、「KY(←姉の名前)は、KJの娘だったな」と、姉がいない場で私にこっそり確認してくるのである。父は8人兄弟姉妹の7番目なのだが、KJは、もうずっと前に亡くなっている長兄だ。

「やだ、パパったら。KYはあなたの娘で、私のお姉さん。KJおじさんの娘なんかじゃないよ」と私が言っても、キョトンとした顔つきで「そうだったかなぁ」とポリポリと耳を掻いたりする。このやりとりは、去年からすでに何度も繰り返されている。

KYもKJも「カ」の音で始まる名前だからな?と思っていたのだけれど、そうではないことが、こんなことからわかった。
札幌から妹が父に会いに来てくれることになったとき、そのことを伝えてから父は私と姉に「Kちゃん(←妹の名前)は、YSといっしょにくるのか?」と何度も何度も確認してきた。YSは、父の弟、すなわち8人兄弟の末っ子である。

「パパ、YSおじちゃんは来ないよ」と答えると、「どうしてだ? Kちゃんは来るんだろ?」と父が怪訝な顔をするので、「Kちゃんは、パパの娘よ、YSおじちゃんの娘じゃないよ。Kちゃんは、私の妹。KYが長女で、私が次女で、Kちゃんが末娘。パパの3人娘じゃない」と説くと、やはり父は「そうだったかなぁ」と心もとなさそうな顔をする。そして、姉が家系図まで書いてあげたにもかかわらず、しばらくするとまた同じ質問を繰り返すのであった。Kちゃんも「カ」で始まる名前なのに、「ヨ」から始まるYSおじちゃんの娘と勘違いしているのは、末っ子であるという共通点に起因するのだろう。

こんなこともあった。
「ばあちゃんは入院してるんだな」と父が聞いてくるので、「ばあちゃんって、誰?」と聞くと、「ほら」と飾ってある祖母の写真を指差すので、「え?IMさんは、パパのお母さんよ。もうずっと前に死んじゃったでしょ。今、入院してるのはAKさん、私のママ、つまりパパの奥さんよ」と言うと、「へぇ〜!?」と小さな目をむき出して驚いた顔をするのである。

そんなやりとりを観察するに、父にとっての家族の認識は、実際の家族関係と個別の名前のつながりがあいまいになり、その代わりに関係性のカテゴリーの認識が勝ってきているのだと推測される。

KJ=長兄 ⇄ KY=長女
YS=末っ子 ⇄ K=末娘
IM=母親 ⇄ AK=妻(優しく世話してくれる女性?)
って、感じ。

MRIの結果では、脳がかなり萎縮しているようなのだが、脳内で地殻変動が起きて記憶の領域が変動してしまったのだろうか。

で、3人娘の真ん中の私はどうかと言えば、8人もの兄弟姉妹がいた父にとっては長子と末子のあいだの誰ともつながらなかったようである。新事業の立ち上げに父から3億円の借金をしたり何やら父をゆすって悪事を働くような存在としてしか話題にならないなぁと思っていたら、このあいだ姉がクスクス笑いながら報告してくれた。何かと思えば、

パパが「ともよ(←私の名前)は男だったか?」って聞いてきたよ。

そりゃまた、なんじゃらほい。笑
家族関係のカテゴリーを飛び越えて、男女という性別カテゴリー領域にぶっとばされてしまったのである。

とはいえ、食事のテーブルで「パパ、またお味噌汁の具を残してる。食べないとバチが当たるよ」などと私が指摘しようものなら「親に向かって何を言う!」と強い態度をとってきたり、フォークを出してあるのにケーキを手でつかもうとするので父の手を軽く払うと「親を叩くとは何ごとだ!」と怒ったりするので、私が彼の子だという認識はいまだ強く残ってはいるようだ。

父の認知力は日によって揺らぐので、常にわからないわけでも、常にわかっているわけでもないのだが、しっかりくっきり認識できている日はないようだ。

いつか、わからない領分がずっと広がってしまって、「あんたさん、誰かいな?」なんて聞かれる日がくるのかもしれない。でも、昨年夏から一緒に暮らすようになったおかげで、そんな日が来てもふんわりと受けとめられるんじゃないかな。実際どうなるかはわからんけど、なんとなく、そんな風に感じる今日この頃。