私が住んでいる街には、米軍基地がある。そのまんなかに新しくできた「東西連絡道路」の総工費74億円について考えてみた

気になること

私が2年ほど前から住んでいる埼玉県所沢市並木地区には、米軍の基地がある。

広さは、97万8,840㎡(所沢市Webサイトより)。
ただし先頃2020年3月28日に「東西連絡道路」が開通し、その部分が返還されたために現在は、約96万㎡(新聞各紙の報道より)。

基地のある所沢市並木地区は、市内中央やや東側、下のマップでは紫色の部分に位置する。

所沢市Webサイトの「住所ナビ」より

この並木地区の面積は約3.053㎢(wikipedia「並木(所沢市)」より)だから、約96万㎡=約0.96㎢の米軍基地は、地区の3分の1近くもの面積を占めていることになる。

基地の周りをぐるりと歩くと約1時間。
一部返還されて法務局、所沢合同庁舎、保育園、学校などが建っていて基地に沿って歩けない場所があるので、一周すると約5㎞。およそ皇居外周と同じくらいの距離になる。
歩行者用と自転車用のレーンが並んだ幅広の歩道が整備されていて、格好のウォーキング・ジョギングコースになっている。私もときどきぐるりと歩いている。

この米軍基地は、所沢市Webサイトの「米軍所沢通信基地について」によると、

『米空軍の基地である横田基地(福生市など5市1町に所在)の第5空軍第374空輸航空団に所属する送信基地であり、横田基地と米軍航空機や艦船との通信業務を行っています。
主な施設としては、アンテナの他に局舎、倉庫などがあります。』

この説明にあるように「送信基地」なので、飛行機や大型トラックなどは見かけない。

所沢市の「マイ広報:特集『所沢にある基地のこと』基地のこれまでとこれから」によると、基地内では日本人従業員が数人働いているそうだが、これまで私は人影を見たことはほとんどない。

外観は広々とした草地で、こんなアンテナがそびえていたり、

こんなアンテナが立っていたりするのが見える。

だけど、フェンス越しに見えるだけで、中に入ることはできない。

日本の、関東地方の、埼玉県の、所沢市の、並木地区に広がる土地だけど、そこは、日本ではないのである。思えば、不思議なことである。

その基地のほぼまんなか辺りに、先頃、3月28日に「東西連絡道路」が開通した。
下の地図で赤く描かれた道路である。

所沢市Webサイト「東西道路が開通しました」より

こちらが、その新しい「東西連絡道路」。
約580m、幅16メートル、2車線、両側に歩道がある。

基地を横断する道なので、右にも左にもフェンスがある。

そして、フェンスの向こうには、あちらこちらにアンテナや倉庫が点々とする草原が広がっている。
だけど、フェンスを乗り越えて、あの木に触れることも、広々とした草の上を馳け廻ることも、私たちにはできないのである。

ああ、走りたい、転げ回りたい、あの草の上を。
でも、私たちにできるのは、ただ、フェンスのこちら側を通ることだけだ。

この新しい道の総工費は、なんと約74億円!

この道路の開通についての埼玉新聞の3月29日の報道「米軍基地貫く580メートル 所沢の東西連絡道路が開通」によると、「総工費は約74億円」。

一方、朝日新聞の3月29日の報道「米軍所沢通信基地の一部返還 市道として活用」によると、「市が約3億5700万円をかけて建設した」とある。

えーっ? 約74億円 vs 約3億5700万円って、すっごく開きがあるじゃない?
それはなぜか?

2018年11月1日の所沢市「マイ広報:特集『所沢にある基地のこと』基地のこれまでとこれから」によると、

「現在、返還条件である基地内施設の移設工事を国と市で行っています。工事には、国が約53億円市が約14億5千万円を負担します。第3次返還以降、30年ぶりの返還となり、今後の全面返還への足掛かりとなる大切な工事です。」

とある。
2018年11月時点で、国の53億市の14億5千万円
これを合計すると、67億5千万円になる。

それから1年ちょっとで完成し、「総工費は約74億円」(埼玉新聞より)となったのであろう。2018年11月時点から、6億5千万円も増えたことになる。
うーむ、どういうことなのかな。
覚えておいて、今後の市の報告や報道でチェックしていかなくちゃ。

そして、先の所沢市の広報に掲載されている市負担の予算配分を見てみると……

市の負担額の約14億5,000万円のうち、道路工事費は約3億5,000万円。全体のたかだか24%である。
残りの76%の11億円は、基地内施設の新設、解体工事、基地内道路などの米軍基地内の工事費用、つまり米軍への所沢市からのプレゼントということになる。

そして2018年11月時点では、国の負担が53億円と示されていたが、埼玉新聞の「総工費は約74億円」と朝日新聞の「市が約3億5700万円をかけて建設した」という記述をもとに計算すると、国は、最終的に74億円-3億5700万円=70億4300万円を米軍に差し出していたことになる。
ずいぶん太っ腹な出費に思われるが、これは妥当な費用なのだろうか?
私にはわからないが、ともかく記憶しておかなければと思う。

もし普通にここに道路を造るとしたら、いくらかかるんだろう?

ふと、「この規模の道路を、単純にこの辺りで造るとしたら、いくらかかるんだろう?」という疑問が頭をよぎった。

あくまで仮定ではあるが、「土地」と「工事費」で概算してみる。

国土交通省の「不動産取引価格情報検索」のページで所沢市の土地価格を調べてみたところ、基地に一番近そうなのは「中新井一丁目」。

これによると、地価は146,000円/㎡

市のWebサイトに示されている道路の長さ約580m×幅16mで面積を出すと、9,280㎡になる。これに公示価格を掛けると、13億5,488万円

仮に、市が負担した3億5,700万円を純然たる道路工事の費用だとすると、ここに土地の価格13億5,488万円を足しても、17億1,188万円にしかならない。
しかし、実際の「総工費は約74億円」(埼玉新聞より)。

ずいぶん、お高くついた道路だと言わざるをえない。

見た目はいたって平凡な、たかだか580mのアスファルトの道だが、実は想像もつかないほどの費用をかけて造られた高級道路?なのである。

道路の先に見えるのは、高級マンションじゃなくURの団地

このブログを書いているのは2020年4月17日。
新型コロナウイルス感染と医療崩壊の危機がひたひたと迫り、昨日16日には緊急事態宣言の対象地域が全国に拡大された。所沢市でも16日までに感染者が81名まで増えている。市内の病院の院内感染による患者も少なくない。

先にも引用した所沢市「マイ広報:特集『所沢にある基地のこと』基地のこれまでとこれから」によると、この道路は1976年から要望を始めた悲願の道路で、「基地を迂回せずに済むことで、交通利便性が向上するだけでなく、重篤患者の防衛医科大学校病院への搬送時間が短くなり、救命率向上につながります。」とあるが、皮肉なことに現在は、いくら搬送時間が短くなっても病床数が足りなくて命が救えない厳しい状況になりつつある。

この道路を造るために使った約74億円を、医療の拡充に使っていたら、と思わずにはいられない。

60年代に米軍基地返還運動が広がり、2万4,060人もの署名が集められて機運が高まった結果、1971年に約6割にあたる約190haが返還されて航空公園や役所や団地ができ、78年には約9.8ha、82年には約1.4haが返還された。その後40年近くのブランクを経ての今回の「東西連絡道路」の返還である。多くの人たちの努力の積み重ねあっての返還である。

そして結果として、約74億円の出費を伴っての580mほどの道路ができあがった。

この規模の「基地返還」に対しての出費として、約74億円が合理的なのか否か、私にはわからない。そもそも将来になってじゃないと判断できないことなのかもしれない。

せめて、みんながこのことを知り、将来検証できる日がくるまで忘れずにいられるように、いっそ「東西連絡道路」の名称を「74億円道路」にして、ドンっと看板を目につくところに設置しておきたいものだ。

iPhoneのパノラマで撮った「74億円道路」