昨夏に母が大腿骨を折って入院したのを機に、超高齢の父を札幌から所沢に連れてきて一緒に暮らしている。
そして、父母にまつわる手続き系のことは、姉妹のなかで比較的自由に動ける私が主に担当する流れになっているのだが、これがなかなかどっこい面倒なのである。
最近とりわけ面倒だったのは、父母の家のケーブルTVの解約だ。
地上波とBS、インターネット接続サービス、固定電話、何か不具合があったらすぐに駆けつけてくれるサービスなど締めて月額12,521円也のセット契約で、支払いはもちろん自動引き落とし。すでに父母不在になって半年以上、全く使っていなくても支払いだけは滞りなく継続されていた。
9月から3月まで、何も利用していないのに計87,647円も払っていたなんて、貧乏性のわたしなどは懐にスースーと冷たい隙間風が吹いてきてワナワナ震え出しそうな気持ちになってしまう。うひょーっ、もったいない!
もちろん、3月まで何もしなかったわけではない。
フリーダイヤルで問い合わせ、3月中なら解約料2万円が不要だと教えてもらい、とりあえず3月まではそのままにしようと考えたのは、解約するには父本人が連絡しなくてはならず、その段取りが面倒だったからでもあった。
なにしろ、認知症が進むにつれて父の反応は、ことあるごとにあらぬ方向に迷走しがちだからだ。ケーブルTVの解約とて、すんなりとはいくまいと想像せざるをえなかった。
そして、いざ3月後半、いよいよ期限切れ間近になって私も重い腰を上げたのだが、悪い予想は的中した。
父に話すと、「解約したら、何か支障が起きるかもしれない。●コムは、インターネットが変になったときはいつでもすぐ来てくれるんだ。そのために高い金を払ってるんだ。それに長いあいだの取引先を、そう簡単に切るのはよくない」などと渋るのであった。
「でもさ、長いあいだの“取引”というより、“サービスの契約”をしてただけよ。使わないから解約するってだけの話でしょ。それに、所沢ではインターネットで困ったときは私たちがすぐ助けてあげてるし、●コムは所沢には来てくれないんだから」と私が正論を説くと、父は眉間にしわを寄せて「だけど解約してしまったら、札幌事務所はどうなるんだ?」と問うてきた。
札幌事務所……???
……ムムム、なんだかわからないけれど、父はビジネス妄想モードになっているのだな、と私は感づいた。
認知症が進んで思考力や判断力の衰えが顕著な父だが、不思議とビジネスライクなボキャブラリーや思考の枠組みを好む傾向は根強く残っている。一昨年あたりから、それを私は実地体験を重ねながら学んできた。冷蔵庫のなかに「朝ごはん」「バター・チーズ」などという貼り紙をつけることに抵抗した父をどうやって納得させたかは、このブログのもうすぐ90歳の父の独居生活に向けて、朝食の合理化・仕組化・習慣化に取り組んでいます!に書いたとおりだ。
そこで今回も、彼のビジネス妄想モードにのっかってみることにした。
「大丈夫、札幌事務所には、いま誰もいないでしょ。みんな、所沢事務所にいるんだもの」
すると父は何か閃いたような表情を一瞬見せ、「そうか、そうだな。お前の言うとおりだ。みんな所沢事務所にいるんだよな」と納得したようだったのだけれど、「しかし、解約して本当に支障は起きないだろうか?」とまだ警戒を解かなかったので、私はきわめて確信をもった明るい声で「大丈夫、支障は起きないよ。もし札幌事務所を再開することになったら、また契約すれば大丈夫」と話した。
最近、明るい声の「大丈夫」がなかなか有効であるという手応えを感じていたもんで、2度も「大丈夫」を繰り返してみせたのだったが、父は「お前の言うことにも一理ある。だが、もう少しじっくり研究してみないと、すぐには決められん」と眉間のしわは伸びずじまいだった。
やれやれ、なにを研究するってんだ? 「付き合ってらんねー」とそっぽを向きたくなったが、そこはグッとこらえて。それを言ってはラチがあかなくなってしまう。
こうなるとテコでも動かない父のことである。時間をおいて、別方向から攻めるしかない。
翌日、私はエクセルで表を作ってプリントして父に見せた。
「ほら、9月から3月ですでに計8万7,647円の無駄な経費が発生してて、もし解約しないでまた2年契約してしまうと、2年間で28万7,983円の経費になってしまうのよ。やっぱり無駄な経費は削減したほうがよくない?」
父はチラッと表を見て、「そうだな。お前の言うことは確かだな。解約するか」と、やっと同意を示したのだった。数字の羅列をプリントして見せる手法は、父に効果覿面なのだ。
私は念には念を入れ、芝居掛かった口調で「では社長、こちらにサインを」と父にボールペンを差し出し、表の下に署名もしてもらった。しめしめ。
ここまでくれば、善は急げ。
わたしはすぐさま、わたしのスマホで●コムのフリーダイヤルで事情を伝え、「では、お電話口でご本人確認を」と相成り、父にスマホを手渡した。幸い、父は氏名と住所を正しく言うことができて、めでたく本人確認クリア。だけどそれだけでは終えられずに、「いやいや長い取引でしたが家内が病気になって入院したりしましたもんで、こちらもガタガタ落ち着きませんで、なんちゃらかんちゃらetc.」と話さなくていいことをペラペラしゃべりはじめ、痺れを切らしたわたしは父をつついて身振りで伝え、やっとスマホを取り返したのだった。
オペレーターさんは、解約後の注意点をいくつか私に説明してくれたのだが、そのなかに「メールアドレスも使えなくなります」というのがあった。
「えっ? メールアドレス? いくつあるんですか?」と聞くと、「3つあります」との答えが返ってきた。
「確認しておきたいので、教えていただけますか?」と頼むと、「ご本人様以外にはお伝えできません」とのたまう。やれやれ、だ。
「わかりました。父が聞き取れるかわかりませんが、代わります」と言って、私はメモ用紙と鉛筆を手に取り、「スピーカー」ボタンを押してから父にスマホを渡した。そして、アルファベットを聞き取れたり聞き取れなかったり、「アットマーク」をリピートできずに「ア? ア?」と行き詰まる父を尻目に、3つのメールアドレスを書き取った。
まぁ、あれですね、ご本人様にはご無理な難題ですね。
そして直近では、今度は母の本人確認が必要だという案件が浮上した。
母は父ほどボケていなかったのだけれど、この数年、老人特有の繰り返しや思い込みが顕著になっていたし、さすがに8ヶ月も入院したままなのでスムーズに応対できるとはとうてい思えなかった。その上、こちらから電話をかけても母はたいてい出ないのだ。というか、出られないのだ。検温、ご飯、おむつ替え、リハビリetc.と、入院生活も暇じゃないのだと母は言う。しかも母の体は自由がきかず、ほとんど寝たきりで、利き手の右手が麻痺しているので着信音が鳴っても取れないのだと言う。
そんな事情を先方の担当者に伝え、「母から電話があったときに回答を確認し、わたしから折り返しお伝えするのではどうでしょうか?」と提案してみたのだが、「金融機関としては、契約内容はご本人以外にはお伝えできませんし、どうしてもご本人確認が必要なんです。なんとか、お電話で話せるよう取り計らっていただけませんか?」と引き下がらない。
仕方がないので、わたしが看護師さんに伝言して母から電話してもらい、母が電話を取れる時間を確認して担当者に伝えることにした。そして肝心の確認すべき契約内容については「ご本人以外にはお伝えできない」と言われたものの、「一般的な話としてはこういうことですね?」などとのらりくらりと質問しながら、母がどう答えたらいいかも推測がついたので、それも母には伝えておいた。
そうしてなんとか首尾よく予定が立ち、14時15分に担当者が母に電話することに相成ったのだったが、14時半頃、わたしのスマホが鳴った。担当者からである。
「母と話せましたか?」と聞くと、「お母様とお話はできたのですが、残念ながら、ご本人確認ができなかったのです……」
「は?」
「お母様のおっしゃる住所が、ご登録住所と違うのです」
……思わず、笑いがこみあげてきた。ここまでくれば、住所が言えなくたって母だってわかってるじゃん。
しかし、あちらさんは、いたって真面目。きっと「応対品質向上のために通話は録音されている」のだろう。だから、登録住所を言えない本人を「ご本人確認」ができたことにはできないんでしょうね。ほんと、やれやれだわ。
「わかりました、母に電話してから折り返します」と伝え、母に電話して住所を言ってもらうと、たしかに南*条西*丁目いずれの数字も違うのだった。笑える。
正しい住所を母に5回復唱させたあと、担当者に「いますぐ電話してください」と伝えた。
5分後、母から「自分の住所を忘れちゃうなんて、わたしもボケちゃったのね」と電話があった。「長く入院してると、誰でも住所なんて忘れちゃうよ」と慰めたのだが、「自信なくなっちゃった」と母はションボリしていた。
まぁ、あちらさんたちの執拗な「ご本人確認」の姿勢もわからなくはないのですよ。本人の意思で契約は成り立っているのですから。
だけど、「ご本人」ではないわたしが、これだけの時間と労力を費やさざるをえず、もちろんあちらさんもそれだけの時間と労力を費やしていることを考えるに、なんという不条理、なんという社会的損失かと思わずにいられない。現在、高齢者の親からさまざまな雑務を丸投げされている人は、わたしだけではない。というか、ものすごくたくさんいると思う。
みんなの不条理を積み重ねたら、いったいどんな高層ビルが何棟建つだろうか。
現代、人はいろいろな契約をして毎日の生活を送っている。
思いつくだけでも、携帯電話、インターネット、テレビ、新聞購読、生協宅配、ネット通販、銀行・クレジットカードなどの金融関連、さまざまな団体・媒体の会員登録など、「なるべく多くならないように」と気をつけている私でもずいぶんな数になる。
とりわけ近年は、動画配信やアプリケーションをはじめとするサブスクリプション・サービスが急増しているから、契約に支えられて(しばられて)利用しているサービスが驚くほどの数に及んでいる人も少なくないだろう。
そのうえ、契約相手の各社に電話で問い合わせても、オペレーターにつながれるまでガイダンスにしたがって何度も何度も数字を選んで待たなければならないことがほとんどだ。フリーダイヤルで電話しても、「ショートメールでご希望の内容をご覧になれるホームページのリンクを送ります」とか「ご相談はチャットで承ります」などと、可能な限りオペレーターを回避する方向に誘導されることも多い。
そして、そのガイダンスによる番号選びの障害物競走の果てに待っているのが「ご本人確認」。アラ還のわたしでも戸惑ったり投げ出したくなったりすることがしばしばだから、80代、90代の高齢者にはお手上げ必至だろう。少なくとも、わたしの父母は全面的にできない。
電話での本人確認のエピソードは、ここに書いただけではなく、まだまだある。
結果、父母の雑務をこなすうちに、「お電話口で本人確認を」と言われるとついつい笑いがこみあげてくる体質になってしまったわたしだが、ヘラヘラ笑ってばかりではいられない、なんとかせねばとも思うのだ。
今後、早急に仕組みを変えていかなければ、超高齢化が超特急で加速する社会が回らなくなるのは火を見るより明らかではないか? 形式よりも実情を優先して仕組みを変え、リスク回避最優先から問題が生じたらフォローできる体制に転換したほうが賢明だと、わたしには思える。
とはいえ、さしあたり何をどうしたらいいかわからないので、せめて読んでくださる方々と問題意識を共有しておきたくて、ここにしたためた次第。
笑っただけでは吹き飛ばせない、深刻な問題ではないでしょうか。