父母の家で片付けをしていたら、奥の方から絵本や本が何冊も出てきた。その中に、『イソップのお話』(河野与一 編訳/岩波少年文庫)を見つけた。裏表紙に妹の名が書かれているので、彼女が子どもの頃に読んでいた本だろう。
昔の岩波少年文庫は、なんと好ましい「物」だろうか。見てほれぼれ、手に取ってうっとり。色づかい、挿絵、フォント……その全てが別世界へと心を誘ってくれる。
手に取れば、ふと開いてみたくなる。
そして何気なく開いたページの文字を目で追って、ドキっとした。
それは、こんな寓話だった。
旅人と「ほんとう」
ある旅人が、さびしいところで、うつむいたまま立っているひとりぼっちの女を見かけて、
「あなたは、どういうかたです」と、ききました。すると女は、
「わたくしは『ほんとう』というものです」と、こたえました。
「ではどうして町からはなれて、こんなさびしいところに住んでいるのです」と、ききますと、
「むかしは『うそ』のいる家が、すくのうございましたが、いまではみんなのところに、『うそ』がはいりこんでいて、わたくしのいるところがなくなったからです」と、いいました。
「うそ」が「ほんとう」に勝つようになると、人間の生活がひどいものになります。
この寓話が私に彷彿とさせたのは、現在の日本の政治と社会だ。
「丁寧に議論する」と口先で言いながら国会で審議時間を取らずに採決したり、歪めたデータをもとに「働かせ放題法案」を通してしまうような政権与党の人々が選挙で勝ちつづけている社会では、人々の生活が年々ひどいものになっている。
イソップの言うとおりではないか。
「あとがき」によると、「寓話の父」といわれるイソップ(ギリシャ語でいうとアイソーポス)は、西紀前6世紀の中頃に生きた人と推定されていて、不明な点が多いものの小アジア地域の出身で、奴隷の身分だったと考えられているという。
紀元前6世紀から、約2600年のあいだ国境も文化も超えて綿々と語り継がれてきた寓話が、これほど現代を辛辣に言い当てているとは。
しかし2019年7月の参議院議員選挙では、それでも「ほんとう」の人たちが候補として現れ、2議席を獲得できたのが救いだった。
障害者を含む多様な人たちが当事者として立候補し、普段着で「ほんとう」の言葉を語り、「ほんとう」の姿勢を示し、多くの人たちの心の「ほんとう」を目覚めさせた結果だった。
『れいわ新選組』の山本太郎さんとその仲間たちはまだ少数派ではあるが、彼らの言動に触れて「ほんとう」が増えていくことを私は切に祈っている。
そして私自身が「ほんとう」であるかどうか、常に問いつづけていかなくてはならないと、この寓話を読んで思った。
常に「ほんとう」でありつづけることは、とても難しい。葛藤することを避けてもっともらしい言い訳で自分を納得させたり、ちょっとのことだからと目をつぶって妥協を重ねたりしていると、「ほんとう」は簡単に「うそ」に化けてしまうからだ。自分の心に芽生える小さな「うそ」は、私が怠けていたらどんどん増えてしまう。
私の「ほんとう」が、心の隅っこのさびしいところでうつむいてはいないだろうか。
いつもそう自問し、心を覗いてみることを忘れないようにするために、この『イソップのお話』を手元に置いておきたいと思う。もし妹がプレゼントしてくれるなら。