「俺はヘンパなんだ!」と92歳の父は叫んだ

日々の楽しみ

私と姉が、認知症の父と一緒に暮らすようになって、1年と4ヶ月が経った。

認知症の高齢者は、いつも不機嫌だ。
いや、認知症じゃなくても、高齢者の多くは不機嫌なのだろうが。

一緒に暮らしていると、父の不機嫌を持て余すことがしばしばあることは91歳の父の不機嫌は、朗らかな大笑いで吹き飛ばせ!にも書いたが、ほんと、手を焼く。

しかし、だいぶ慣れた感のある今日この頃。

とりわけ声かけするときの言葉選びや発声が、なかなか板についてきたと我ながら思う。日々の試行錯誤を経て、今では言語や口調を変えることによって父の不機嫌をいなせるようになってきた。
あちらさんが不機嫌そうにしていても、あくまで明るく大きな声でゆっくりと「Ça va?」(元気?大丈夫?などの意味のフランス語)と聞くと、父は「Non!」と楽しそうに答えたりする。答えの意味とは裏腹に、ま、大丈夫じゃん、と思えるのである。
「立って」とか「座って」と言えばふてくされる場面では、「Stand up, please」「Sit down, please」と促すと、なぜか父は機嫌を損ねずに従う。そんなことなら、じゃんじゃん使ってあげるさ、下手くそな英語も。

おそらく、簡単な単語しか使っていないとはいえ外国語で会話できるということが父の自尊心をくすぐり、「俺、頭がちょっと変で不安だけど、まだ外国語ができる」と自信が湧いてくるのかもしれない。ま、日本語だとなりがちな命令口調がなんとなく薄まるからかもしれないけど。
ちなみに、方言、アニメ声なども有効だが、外国語はダントツに効くようだ。

食卓での配膳方法もけっこう重要で、工夫すれば父との不機嫌対決を少なくできることも、段々とわかってきた。
どんな工夫かというと、こんな感じ。

栄養バランスを考えて小鉢料理を複数出すと、かえってよくない。父はそれぞれちょっとずつ残すからである。料理担当者としては腹が立つ。これは良質なたんぱく質だ、鉄たっぷりだ、生産者さんが丹精込めて育ててくれた豚だ、などと講釈を加えて全部食べるように仕向けようとすればするほど、「残り物は食わん」と本当に嫌そうな顔をするもんで、誰が「残り物」にしたんかい?と余計にイライラさせられて私まで不機嫌になってしまう。せっかくおいしいものを食べたのにプンプンするなんてナンセンスだ。だから、小鉢に盛るのは、やめた。

大きめの皿に、カフェ風に主菜や副菜をちょこちょこと盛り付けるのもNGだ。なぜなら、糖尿病の父には、野菜→たんぱく質→炭水化物という順番で食べるように言うのだが、その判断が父にはできない。それで、私も姉もついつい「あ、こっちの野菜から食べて」「あ、そのおかずは後よ」などと口を出す流れに勢いが付いて、みんな揃ってゲンナリすることになる。

というわけで、最近定着しているのは、大皿や中皿におかずを盛って食卓に出し、それぞれの皿に取り分けながら食べるスタイルだ。最初は少なめに取り分け、父の箸の進み具合を見ながら「これ、もっと食べる?」と追加してあげる。「このくらいなら食べれる?」と確認しながらよそえば、父も「残り物」を増産しづらくなる。家庭の平和のための知恵である。

といった具合で、絵に描いたような明るい団欒とは言えなくとも、灰色の重い空気が漂う食卓にはならない日が多くなってきた。

しかし、1ヶ月ほど前の夕食時のことだった。
その日のメニューが何だったか覚えていないが、父がアレコレちょこちょこと残していた。本人が食べると言ったからよそった料理も、汁物の具も、父が残すと、ほんと、汚く見える。さっきまであれほどおいしそうだったものが、こんな惨めな様子になるなんて、料理した身としては悲しい。食べれば栄養、残せば廃棄物。もったいない。で、たぶん、きつい口調で「残さず食べて」とか「食物繊維たっぷりなのよ」とか「お腹の調子が良くなるわよ」とか、私と姉で代わる代わる言っちゃったんだと思う、よく覚えてないけど。

すると父が突然、半分立ち上がり、大声で吃りながら叫んだ。
「俺は、俺は・・・ヘン、ヘン・・・ヘンパなんだ!」

不機嫌とも怒りとも区別のできない感情のほとばしりに気圧されたのもあったし、「ヘンパ」という言葉の響きの面白さもあって、一瞬、私と姉は顔を見合わせて固まった。
で、次の瞬間、二人して笑っちゃって、「そうね、そうね、パパはヘンパだもんね、いいよいいよ、残せば」と納得しちゃった。
意味はわかんないけど、「ヘンパ」。今のパパは、それ、それなのね。ま、いいじゃん、わかった、残せばいいよ。

認知症の父は、人と名前と関係性がちぐはぐになったり、所沢にいるのに札幌だと思ってしまったり、昔から何度も食べたことのあるホワイトチョコを「白いのにチョコなのか? 初めて食べる」と言ったり、ほんと、しょっちゅう辻褄の合わないことが多く、使う言葉が妙なこともしばしばあるので、「ヘンパ」も意味不明な造語か言い間違いの部類だろうと私たちはとっさに解釈したのである。

しかし、違った。
ヘンパ」とキーボードで入力してみたら、変換されて出てきたのである、「偏頗」と「偏波」。えーっ!?びっくり。そんな言葉、あったんだ!

意味からすると、父が言いたかったのは「偏頗(→コトバンク)」だと思われる。
「かたよって不公平なこと。えこひいきすること。また、そのさま。」
ふむ。食べ物の好き嫌いがある、偏食なんだと父は言いたかったのかな?

後日、「ヘンパって言葉、知ってる?」と聞いてみると、「漢字が難しくて書けないんだがな。意味は、偏ってるっていうようなことだ。元は漢文なんだろうな」などと答えるのであった。

認知症になったとて、侮ってはいけない我らの父。
その昔、北海道の片田舎で「秀才」とか「神童」と呼ばれたとか呼ばれなかったとか今となっては定かではないが、その頭の中には、私などの想像の及ばない知識や言葉や理論なんかがいまだにいっぱい詰まっているみたいだ。
シャツの前後や腕を入れる場所がわからなくて一人で着替えができなかったり、歯磨き粉をフェイスクリームと間違えて顔に塗ったりする父だが、博識っぷりはときに健在なのであった。

こうして私は、父に新しい言葉を一つ、教えてもらった。ありがとう。