2019年7月15日、札幌で起きた「ヤジ排除」が教えてくれること

気になること

昨年2023年12月12日、私はミニシアター・ポレポレ東中野で映画「ヤジと民主主義 劇場拡大版」(制作・編集・監督:山﨑裕侍/製作:HBC北海道放送/配給:KADOKAWA/2023年12月9日公開)を観た。
その後、書籍版「ヤジと民主主義」(北海道放送報道部 道警ヤジ排除問題取材班 著:山﨑裕侍・長沢祐/ころから発行/2022年11月)を図書館で何度も借り直しながらゆっくり咀嚼して読み、結局、手元に置いておきたくて書店で注文した。

「ヤジと民主主義」は、
2019年7月15日、札幌駅前と大通り公園で起きたヤジ排除のドキュメンタリー&ルポルタージュである。街頭演説する安倍晋三首相(当時)に向かってヤジを飛ばした大杉雅栄さんと桃井希生さんが、北海道警察の警察官によって強制的に排除された事件に端を発する。
生活困窮者を支援するソーシャルワーカーの大杉さんは「安倍やめろ!」と叫び、当時大学生だった桃井さんは「増税反対!」と叫んだ。ただそれだけなのに、警察官は力づくでその場から彼らを連れ去り、結果、二人は安倍首相に自らの思いを直接伝える機会を奪われた。

実はその日、安倍首相に自分の「声」を届けようとしていた人は他にもいた。
「年金100年 安心プランどうなった?」「老後の生活費2000万円貯金できません!」と書いたプラカードを掲げた女性二人、「ABE OUT」のプラカードを膝の上に置いて座っていた男性、札幌駅から大通り駅を結ぶ地下通路で「安倍やめちゃえ!やめちゃえ!」と叫んだ男性もいた。この日、少なくとも9人が、強制的に警官に排除されていたことが取材でわかっているという。
方や、「安倍総理を支持します」と書かれたプラカードを持っている人たちがその場から連れ去られることはなかった。
「ヤジと民主主義」の映画と書籍は、そのときの状況を詳細に記すとともに、その後、「排除はおかしい」と彼らとともにアクションを起こした支援者たちの声や証言、メディアが報道したこと、情報公開請求をして不開示とされたこと、札幌地裁での国家賠償訴訟の経緯、そして大杉さんや桃井さんのその後もたどる。

街宣中の首相に対して「ヤジ」を飛ばしたり批判の声を示すことは、悪いことなのか? 警察が阻止すべきことなのか? 警察が阻止する権限を持っているのか? なぜ、声を上げる市民の排除は起きたのか? この映画と本はそれを検証し、勇気を出して声を上げることの大切さと、市民が繋がって声を大きく響かせていく意義を教えてくれる。

私は2023年12月に映画を観てから事件の詳細を知り、大杉さんや桃井さんや支援者の方々が街中でデモ行進をしたり、北海道議会での質疑や裁判を通して異議申し立てを継続してきてくれたことを知った。
以来、自分がそれまで事件について知らずに暮らしてきたことに、じんわりと衝撃を感じつづけてきた。振り返れば、そのヤジ排除が起きた4日後の2019年7月19日から2ヶ月近く、私は老父母の介護のために札幌に滞在していた。なのに、まったく知らずに介護や雑務にまみれて過ごしていたし、その後も知らぬままに4年半が過ぎてしまっていた。
こうして遅ればせながらでも知ることができたのは、粘り強く声を上げている人たちの取材を続け、より広く伝えるためにテレビで発信してきた北海道放送報道部があり、書籍にしようと企画してくれた出版社があり、劇場拡大版として映画にするために労を厭わなかった人たちがいて、上映してくれるミニ・シアターがあり、SNSの投稿で上映情報を広めてくれた人たちもいたからだ。いろんな規模のさまざまな媒体と、たくさん人たちが、それぞれの立場で、あきらめずに疑問と共感を広めていく。それがすごく貴重なのだとあらためて思う。

それにしても私の心に強く残ったことの一つは大杉さんと桃井さんが警察官に強行に排除されながらも抵抗して発した言葉だった。「他の人に迷惑がかかる」と連行しようとする警察官に、大杉さんは「抗議だよ!抗議!」「暴力じゃないからさ!」「言論の自由があるでしょ!」「僕の声を上げる権利を守りつつあなたたちの職務を全うすればいい」と主張した。警察官に腕や肩を掴まれて押しやられながら桃井さんは「待って待って! 警察? 私なんの法律に違反してるの?」「大声出すのにも許可がいるの?」「取り押さえたじゃん!腕つかんでさ」 と怯まずに抗議していた。
すごい。本当にすごい。私よりもずっとずっと若い二人が、有無を言わせまいとする警察官に堂々と正論を投げつづけた。しかも、大杉さんの知人は傍からスマホで状況を動画撮影して記録を残し、桃井さんは女性警官2人に両脇から腕を組まれて自由を奪われながらも自分でスマホ動画を撮影し、そのおかげで私たちはリアルにその場面を追うことができるし、それは証拠映像にもなった。私だったら、こんな勇気ある言動が取れただろうか。はなはだ自信がない。

報道部を率いてこの一連の取材を指揮し、映画の製作も担った山﨑裕侍氏が本の最終章に語っていたことも深く印象に残った。
それは、取材の出発点となった3つの後悔だ。1つ目は、自身が現場の札幌駅前にその時に居合わせていたのに事件に気づけなかったこと。2つ目は、テレビ局のカメラがそこにいなかったこと。3つ目は、すぐにその事件を報道できなかったこと。彼が事件を知ったのは、2日後の朝日新聞の全国版の記事によってだった。「うちも追いかけて報道しなければ」と焦ると同時に彼の心に浮かんだのが、反ナチ運動で知られるニーメラー牧師の警句だったという。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。
私は共産主義ではなかったから。
私は社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。
私は社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。
私は労働組合員ではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。


事件が起きたとき、報道部の統括編集長になったばかりだった山崎氏は、部内の記者に取材するよう指示し、報道番組で一報を伝えた。それから時を重ねながらドキュメンタリー番組、書籍、映画をつくり、現在の日本の政治と社会に警鐘を鳴らしつづけている。

映画を観て・本を読んだ今、私も伝えていかなければと思う。
「おかしい」と思ったことは「おかしい」と勇気をもって言おうと、あらためて肝に銘じた。

「ヤジと民主主義」では、札幌での事件の約1ヶ月後に埼玉県の大宮駅前で起きていたヤジ排除にも触れられていた英語民間試験反対のプラカードを掲げ、「柴山やめろ!」と、自民党候補者の応援演説に来ていた柴山昌彦文部科学大臣(当時)に向かってヤジを飛ばした男子学生が警察官に強引に排除されていたのだ。柴山議員はメディアの取材に応じて、「表現の自由は最大限保障されなければいけないが、選挙活動の円滑、自由も非常に重要」と答え、「演説会に集まっておられた方々は候補者や応援弁士の発言をしっかりと聞きたいと思って来られているわけですから、大声を出したり、通りがかりでヤジを発するということはともかくですね、そういうことをするというのは、権利として保障されているとは言えないのではないか」と語っている(参考記事:朝日新聞記事2019年8月27日→演説中に抗議受けた文科相「大声出す権利保障されない」)。
ヤジ排除された男子学生は「権利が保障されないと言った柴山さんは、弁護士の資格を持っています。法に縛られる方が勝手に解釈を変えてしまう。文部科学大臣がこのような発言をするのは法治国家として危ういんじゃないですかね」と憤ったと「ヤジと民主主義」に記されている。私も、ヤジ排除に対する柴山議員の解釈はおかしいと思う。
柴山議員は、私が住んでいる所沢市を含む埼玉第8区の選出議員で、昨今は裏金896万円を事務所の引き出しに「保管」していた安倍派議員としても注目されている。次期選挙では、別の候補を応援したいと今から心に決めている。

【 参考サイト】
映画「ヤジと民主主義 劇場拡大版」
ヤジポイの会