私は、お金を使わずに生きられるだろうか?

気になること

衝撃的な本だった。
マーク・ボイル著/吉田奈緒子訳『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(紀伊国屋書店2011年11月発行)。

この本は、アイルランド人の著者が1年間、イギリスのブリストル近郊でお金を使わずに生きるという冒険にチャレンジした記録なのだが、何が衝撃的だったかといえば、著者が考えに考え抜いてまっすぐに行動する姿勢である。
とことん徹底している。そこまでやるか?の連続だ。すごい、すごすぎる。

お金を使わずに暮らすためには、家賃も光熱費も食費もかからない状況を準備しなければならない。スイッチをオンにすれば照明がつき、洗濯ができ、料理ができるetc.という先進諸国ではあたりまえになっている便利さをすべて手放さなければならない。
著者は、幸運なことにキャンピングカーをタダで譲ってもらって住居にして、農園に労働力を提供するバーターとしてその置き場を確保し、水は川から汲み、コンポストトイレで用を足し、自ら菜園で野菜を育て、そこここに実る果実を収穫し、賞味期限切れの食品を店で貰い受け、ロケットストーブで薪や古ダンボールを燃やして湯を沸かしたり調理したりする。その暮らしときたら、ともかく時間と労力がかかることばかり。

「気がついてみたら、仕事と社交と私生活のバランスをどうとるかなんていう悩みとは無縁になっていた。あるのはただ、生活だけだ。」

なぜ著者がこんな徹底的な冒険を試みたかといえば、現代社会の抱えるさまざまな問題の根っこにあるのは「お金」だと悟ったからだ。
どこでどのように生産されているかに関心を向けることなく、私たちは日々ありとあらゆるものを買って消費して暮らしている。そして、必要なものも必要じゃないものも手にいれることに必死になり、お金を稼ぐことに躍起になり、お金がなければ生きていけないと思い込み、お金を中心にしすぎた結果、人々は森林を伐採し、絶滅寸前に追い込むまで魚を取りつくし、無尽蔵であるかのように石油を吸い上げ、この星の自然資本を売り払い、気候変動が加速してしまっている。働きすぎて鬱になる人もいれば、お金が稼げないからと自らを価値のない存在とみなしてしまう人もいる。

「ぼくは疲れてしまったんだ。毎日起きている環境破壊を見聞きし、ちょっとでもそれに加担することに。どんなに倫理性を標榜する銀行であろうとも、限りある地球上で限りない経済成長を追求している存在に対し、自分のお金を提供することに。西洋のぼくらが安価なエネルギーの恩恵を受けるために中東の家庭や土地がめちゃめちゃにされる姿を目にすることに。ぼくは疲れた。そしてなんとかしたかった。ほしいのは、対立ではなくコミュニティーだ。争いではなく友情だ。人々がこの地球と和解し、そこに住む自分自身やほかのすべての生き物と和解する姿を、この目で見たいんだ。」

ほんとうに、そうだ。私も、疲れてしまった。普通に生活しているだけで、知らず知らずに環境を破壊したり誰かを搾取したりしてしまうことに。
こんな状況、なんとかしたい、しなくちゃいけないよ。

今年の夏も息絶え絶えになるほどの「災害級の暑さ」が続いている。
日本でも海外でも洪水や森林火災などの自然災害が年々驚くほど増えている。
気候変動を止めるには地球の限界を超える石油中心の消費生活をストップしなければいけないのはわかっていても、エアコンをオンにせずには生活がなりたたないという矛盾。なるべく節エネ・節水を心がけたとて、心ならずも日々環境破壊し、弱い立場にある人々や生物を苦しめることに加担し、次世代にツケを回してしまっている。
状況は幾重にも悪くなっている。なんと苦しく、なんと悩ましい。焦りが募る。

「いつかは取り組まなければならない問題だ。だとしたら、ぼくたちが取り組まなくて誰がやる? 今やらなければ、いつやるのだ。どうせ大きな影響を被るのは、ぼくたち自身よりも次の世代なのだから、次の世代に闘いをゆだねたほうがよいのか。それとも、そのときが来たら子どもたちに住み良い地球を引き継げるように、親の世代として努力すべきなのだろうか。一生たゆまず働いてローンを払いつづけた愛着ある家を、我が子に相続させたいと考えるように。」

マーク・ボイルさんの言葉は、あまりに自明だ。

この本がイギリスで出版されたのが2010年6月。そして翻訳書が日本で出版されたのは2011年11月。それから12年近く経ってはじめて、私はこの本を知った。
先人はすでに「ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした」(2021年11月発行)というレベルに進んでいるようだ。最新の報告も読まなければ。

「そこまで徹底できない」と思いつつも「やらねば」という気持ちが湧いてくるのは、著者がチャレンジを通して得た確信が、そうする先を照らしてくれるからだ。

「ぼくがカネなし生活からまっさきに学んだ最大の教訓は、人生を信じることであった。みずから与える精神を持って日々を生きれば、必要な物は必要なときにきっと与えられる。ぼくはそう確信している。これを理性で説明しようという努力は、とっくの昔に放棄した。感性と経験から導かれた確信である。」

人生を信じる。
与える精神で生きる。

私は、どこまでラディカルに生き方を変革できるだろうか。
この本を読んで衝撃を受けてしまったからには、ひとごとで済ませることはできません。