3ヶ月半ぶりの電車移動で見たこと、感じたことと、これからの働き方について思うこと

気になること

一昨々日、超久しぶりに取材のために都内まで出かけてきた。
なんと、電車移動は3ヶ月半ぶり。

最寄の西武新宿線新所沢駅から東村山へ、そして国分寺線に乗り換えて国分寺へ、そこからJR中央線で2駅。
県境を超えて東京都内に入ったとはいえ多摩地域どまりで都心までは行っていないのだが、しばらくぶりの電車、しかも7月4日から都内の感染者が200人超えが続く状況もあり、心を引き締めて出かけた。

マスクは当然のことながら、できるだけ何かに触れる機会は減らさねばと自分に言い聞かせた。

が、まず駅でPASMOにチャージするところで、第一の接触が待っていた。古い人間なのでPASMOとクレジットカードの紐付けはしておらず、ましてやスマホのモバイルPASMOなどは論外だから仕方がない。
販売機にPASMOカードを置いたら、タッチパネルのチャージ画面にタッチ、さらに金額をタッチ。さて、今日は何人がこのタッチ画面に触れただろうか。こんな接触でも新型コロナウイルスは感染するのだろうか?と首をかしげつつ、でも私のような外出頻度でこのタッチ画面で感染したなら、そりゃもう運命と思うしかないよね。ええいままよ、である。

次は、ホームに降りていくエスカレータに乗ったとたん、「う、どうしよう?」と戸惑った。手すりベルト、触れたくないぞ。
でも見れば、前方の人もその前の人もベルトにつかまっていない。
だよね、みんな触れたくないよね……と心のどこかで安心しつつ、バランスを崩さぬよう注意する。そして決意する。「これからは階段を使おう」と。

さて、緊張しつつ新所沢駅で電車に乗ってみると、お昼過ぎという時間帯もあって乗客全員が座れる空き具合。しかも100%の人がマスクをしている。おしゃべりしているのは、向こう側に並んで座っている営業マンらしき中年男性2人だけ。窓は全開で換気は十分、これなら安全だろうという車内環境だった。

電車はそこそこ空いていたが、東村山駅での乗り換えで階段を上り下りするときは人がぎっしり密度高く移動することになって一瞬緊張したが、みなマスクをしているし黙々と歩いているだけなので大丈夫。でも、ラッシュアワーだったらもっと密にならざるをえなくて、さすがに緊張が高まりそうだ。

とはいえ日中の空いている時間帯のこと、国分寺線も中央線も座れてゆっくり読書しながら快適に移動できた。座れさえすれば、手すりや吊革につかまらずにすむ。不安はグッと小さくなる。

しかしこうしてみると昨今は非接触型のツールが多くなったものだと感心する。改札しかり、トイレだって便器も洗面所も手を近づけるだけで水が流れる。扉の開け閉めはさすがに手で触れなければできないが、最後にしっかり流水で手を洗えば心配ない。

というわけで、不安に感じていたほどには接触機会は少なく移動できることがわかった。
その反面、感染予防には「手で顔を触れない」ことが重要だとわかっていても、それが意外に難しいことも実感した。
マスクのズレを直す、前髪を整える、汗をふく、ちょっと鼻の脇がかゆいかゆいetc.etc.……思いのほか、顔って触ってしまうものなのね。

帰りは18時近くになってしまったが、予想していたほどには中央線は混んでおらず、人と触れずに立てる程度で、手すりにも吊革にもつかまらずにバランスをとって立っていることもできた。西武線は国分寺線も新宿線も、難なく座れた。よかったよかった。
というわけで、電車移動において何よりも着座できることが安心につながるものだなぁと身をもって学んだ道中であった。

ひるがえって毎日ラッシュアワーに満員電車で移動する方々の不安は想像に難くない。密集するし、人や手すりや吊革に接触せざるをえない機会が否応なく増える。さぞや緊張することだろうとあらためて思った。

フリーランスの編集者である私にとっては、外出自粛が始まった3月終盤から5月にかけては仕事に関しては停滞感が勝っていた。でも、6月後半くらいからぼちぼち動きが戻ってきた感がある。
以前との違いといえば、打ち合わせがほぼ全てオンラインになったことだ。コロナ以前にもビデオチャットは頻繁に使うようになってはいたが、リアル打ち合わせの補足のような位置づけだった。今は、それが逆転した。
たぶん、この流れは定着し、元には戻らないだろう。

そのような状況になってみると、郊外に住むメリットは大きいように思えてきた。
2年前、やむをえない事情から埼玉県所沢市に出戻ってきたときは、かなり後ろ向きな気分だった。都心に出るのに時間がかかるし、そもそも最寄駅まで徒歩30分だし、チェーン店ばかりが目立つ郊外の風景も好ましくなく感じられた。子ども時代に新しかったニュータウンは古びていて、さしたる魅力がないように感じられもした。
だけど、外出自粛のあいだにゆっくりと周辺を散策してみたら、江戸時代の新田開発の名残のある雑木林があったり、新鮮野菜が買える農家の軒先販売が点在していたり、なかなか良い環境であることも遅ればせながらわかってきた。
人口密度は低いし、都会のような騒音はないし、いたってのんびりした空気が流れていてストレスは少ない。

もし、このままオンラインの活用が増え、重要な打ち合わせと必要な取材のみ出かけるというスタイルで仕事が成り立つのであれば、郊外生活は決して悪いものではない。
久しぶりに乗った西武線の車内では、テレワーク環境を配慮して「夏の住み替え」を勧める不動産の吊り広告も見かけた。現在は都心に住んでいる人の選択肢としても、たしかにメリットはありそうだ。

これからは、東京偏重の仕事のあり方も変わっていくだろうと思うし、私自身、変えていきたいと思う。地元や近隣市域での可能性もあるはずだ。
できるだけ移動と接触の機会を減らせば緊張度合いは低減できるし、体力も温存できる。

コロナ禍は、すでに人の行動を変え、思考を変え、社会は変わりはじめている。
そもそもそれ以前から、大量生産大量消費で地球環境に過重な負荷をかける経済・社会活動の限界はわかっていた。だから元に戻ろうとするのではなく、環境や社会の持続可能性を優先した仕組みへと変換していかなくてはならないことは明らかだ。新型コロナウイルスをきっかけに、より良い方向へと舵が切られていくことを切に祈る。
私は自分なりに弱い体に大きな負荷をかけない働き方で、できるだけ社会のために役立つ仕事ができるよう、可能性を探っていきたいと思っている。

ところで、久しぶりの電車移動中には、マスク・ウォッチングもしましたよ。
近所の散歩や買い物でも観察しているけど、いまだアベノマスクをしている人を見かけたことがなく、電車ではどうなのかが気になっていたのだ。
しかし予想に違わず、私が目にした範囲とはいえ、道中、それを見かけることはなかった。多くの人が付けていたのは、顔の下半分がすっぽりと覆われる大きめなマスク。ミニサイズのアベノマスクをしている人がいたら、目立つよね、きっと。
数としてはスタンダードな白い不織布のマスクがまだ一番多いようだったが、以前はほとんど見かけなかったブルーやピンクの不織布マスク、グレーの立体型マスクなど、なんとバリエーションが豊かになったことか。
いったい、なんだったんだろうか、アベノマスク。
あらためて考察してみたいと思っている。