ミラクル畑のトウモロコシに、ありがとう!

日々の楽しみ

3月末から近所で借りているミラクル畑の収穫のおかげで、7月に入るとトウモロコシ祭りが始まった。
食べよう!食べよう!どうやって食べるぅ〜? もう、気分はスキップ♪

しかし、畑の大家様からいただいて自分の区画に植えた20数株のトウモロコシのうち3分の1は鳥さんと虫さんに先採りされてしまい、残りの半分を息子一家にお裾分けで送ったところで祭りは短期にて一旦終息したと思われた。
ところが、「美味しかったねぇ、甘かったねぇ、プチプチしてたねぇ」……と余韻に浸っていた日曜の昼前、大家様から電話がかかってきた。

「虫食いだけどトウモロコシ食べる?」

日差しがギラギラと照りつけてめっちゃ暑い日だったけれど、もちろん、喜びいさんで自転車を走らせましたとも。

そして、ほとんど虫食いじゃないのも含めて自転車のカゴからあふれんばかりに頂いちゃって、えらいこっちゃ♪えらいこっちゃ♪と踊り出しそうな勢いで帰宅した。
トウモロコシ祭りの復活でぃ♪

ドド〜ンと30本近くも!
重量はなんと6.7kg!!
あれこれ考えずに、ひたすら茹でた!
採りたて茹でたて、サイコー!
そして毎食毎食、トウモロコシ!
並行してトマト祭りもスタートした♪
あれこれアレンジするより、かぶりつきが一番♪
醤油をつけて焼くと香ばしさ倍増!

すでに半世紀を優に超える私の人生で、こんなに大量のトウモロコシを調理したのは初めてだ。いやぁ〜、剥いた剥いた、茹でた茹でた!
近年は魚焼きグリルで皮ごと焼くのがマイブームだったのだけれど、白ごはん.comが教えてくれた薄皮を2〜3枚残して茹でる方法を採用してみたところ、コレがなんともデリシャスで病みつきになった。

で、あちこちご近所さんにも茹でたのをお裾分け。
そして我が家では朝に晩にとトウモロコシ三昧が5日ほど続いた。いまだ自分の歯でしっかりと食べることのできる91歳の父も、「うまいうまい」とかぶりついていっぱい食べた。

それにしても、私にとってトウモロコシがこれほど大きくクローズアップされた夏は初めてである。もちろん、これまでもフツーに好きだった。美味しい美味しいと食べてきた。だけど、今はもう「フツーに好き」なんていうレベルを一気に超えてしまった。

というか遅まきながら、トウモロコシの素晴らしさにすっかり魅了されてしまったのである。
いったい何に魅了されたのかといえば、美味しさだけではない。

そもそも形からして、すっごく不思議じゃないですか。
なのにこれまで、その不思議さを噛みしめてこなかった自分が恥ずかしい。おいおい自分、何で気付かなかったのか、この造形美、そしてその成長過程の奇妙さ精巧さに。

おそらく私は、幼少期から植え付けられた「小さな黄色い粒々が並んでてとんがった棒みたいな形をしてるトウモロコシ」という概念があまりに定着しすぎて、その不思議さに目を向けることなく、ただただ喜んで食べる鈍感さを身につけてしまっていた。
しかし、その成長を畑で日々眺め、いまかいまかと収穫を待ち焦がれているうちに、こんな奇妙な形状に至る過程がことさら意味深く感じられてきたのですよ。

上に上に伸びながら、まずは先っぽに「おす穂」がツンツンと突き出てくる。やがて下のほうから斜めにフサフサの絹糸(けんし)の「めす穂」が出てきて、その「めす穂」の元の部分が膨らんでいって実になっていく。あらためて、へーっ、こんな風に実っていくのかぁと目を丸くして感動した。

「おす穂」からパラパラとこぼれる花粉は3〜4mmくらいの長さの麦粒のようで、それが細く繊細な絹糸の先の「柱頭」にくっつき、そこから花粉管が絹糸を通って花までのびていって受粉して実っていく。つまり、黄色い粒々はもとはといえば1つ1つ花だったのだ(ってことは、農文協の「そだててあそぼう」シリーズの『トウモロコシの絵本』に書いてあった。目で確かめたわけではない。てへへ)。

「そだててあそぼう」シリーズ、ほんと秀逸!
てっぺんにツンツン伸びてくるのが「おす穂」。
時期がくると、ここから花粉がパラパラと降り注ぐ
「おす穂」に遅れて、脇からフワフワの「めす穂」が出てくる
下に生えてくる2段目の「めす穂」はヤングコーンとして食べた

思えば今日日、仕事でも家事でもなんでも「効率化」が求められるようだけれど、どうです? トウモロコシの成長を見よ。
「どうしてそんな面倒くさい工程をわざわざ?」と思える非効率さが目立つ。

例えば、あの大きな花粉。周囲に植わっているキュウリやイチゴの葉にも降り積もるほどふんだんに撒き散らさねばならぬのか? 無駄、多すぎじゃね?
そして受粉のプロセス。大きな花粉が細い細い絹糸の先に絡みついてから、花粉管が花に届くのに一晩から一昼夜もの時をかけるという。花粉管、長すぎじゃね?

「もっと効率よくしちゃえば?」と、いちいち横槍を入れたくなる。でもそれがトウモロコシの命のつなぎ方で、人が作ろうとしても及ばない精巧で完璧な仕組みなのだ。そして何より、そんな非効率なプロセスあってこそ、こんなに美味しくなる。すごいじゃないか!
しかも、人は美味しいトウモロコシを食べるために、1株につき1本しか収穫しないのである。2段目の「めす穂」が出ると早々にもぎとってヤングコーンとして食べてしまう。

農の営みとは、簡単に「効率化」なんぞを押し付けられない複雑で尊いものだとあらためて思う。遺伝子組換えとか除草剤とか殺虫剤などによって、その不思議さ精巧さを壊してはならない。人間中心になりすぎて、驕り高ぶってはならない。
だよね?

畑にいると、支柱にとまるカラスやキジバト、花にとまるチョウやハチ、茎を歩き回るアリなど、いろんな鳥や虫が動いているのが目に入ってくる。
作業の手を休めてボーッと佇むと、そこに集う多様な生き物の働きによって野菜が育っていくのが見えてくる。そうやって自然の力によって育てられた実りを、私はいただいているのだ。野菜たちを育てているのは、じつは私だけではないの。

ああ、本当にありがたいことばかりです。

たぶん、ついばんだのは鳥。
「ケンケン(←キジの鳴き声)だと思う」と大家様。
皮は虫食いの穴があっても中身は無事だった
鳥についばまれたあとには、アゲハチョウも来訪