9ヶ月の別離を経て、2泊3日のランデヴーがかなった母と父だったが……

気になること

去る5月11日、介護タクシーと飛行機を乗り継いで、ほぼ寝たきりの母を札幌から所沢に連れてきました。そう、昨年2021年8月に大腿骨を折ってしまった母を、である。

そして、「連れてきたら終わり」ではないのである。
介護の先輩でもあるご近所のお姉さまがいみじくも「これからだね」と示唆してくれていたとおり、人生いろいろ介護いろいろの展開となっております。

まずは、到着の翌日から2泊3日、母が入所した老人保健施設のショートステイを父が利用することで、9ヶ月ぶりのランデヴーが実現できました!パチパチパチ!
コロナ禍で面会できぬまま離れ離れでいるうちにどちらかが逝ってしまうなんてことがあったらと気が気ではなかった私としては、ひとまず移動日に二人が再会できて、翌日からランデヴーがかなって二人で一緒に食事したりおやつを食べたりできるという現実がしみじみと感慨深く、姉と「よかったね、よかったね」と手は取り合わずに喜び合った。

が、父の滞在1日目から、うんざりした口調で母が電話してきて「パパがいると疲れる」と訴えてきたのであった。久しぶりのキラキラ感あふれるランデヴーを心のどこかで淡く期待していた私たちだったが、そんな真逆ともいえる母の反応を想像していなかったわけではない。
というのも、いつも不安いっぱいの父は(←認知症の人はいつも不安、ということは「認知症の人の心の中はどうなっているのか?」を読むとよくわかる)、まじ、そばにいる人をその不安と妄想あふれる言動で疲れさせることを私たちは身をもって知っているからだ。

母自身によると、まだ新しい施設には慣れないながらも、9ヶ月におよぶ入院生活ではしていなかった着替えもして普段着姿になり、甘いものやおかきなどのおやつも食べれてコーヒーも飲めると喜んでいる様子だった。しかし、父は私に何度も電話をかけてきて「ママは調子が悪いようだ。いつも機嫌が悪い。ここには合わないみたいだ。俺は仕事が終わったら帰るからな」などと、あきらかに母の言うことを聞いておらず母を見ておらず、何やら妄想の中で一人混迷しているのだった。

2泊3日後に帰宅した父は、「あそこは●●製紙系の会社なんだな。働き方がなってない。伝票をチャチャッと書いて乱暴に投げて、あとで戻ってきてまた書くんだ。あの様子では適当な仕事しかしていないだろう」などとぶっ飛んだ妄想語りを続けた。きっと母にも、こんな調子でペラペラとタガの外れた話をしていたのだろう。
こちらは9ヶ月のあいだ、認知症についての本を何冊も読んで学び、妄想語りを「ふーん、そうなのね」と聞き流したり、「ところでさ」と話題を変えたりする術を身につけてきたのだけれど、その間、父から隔離されて看護師さんや理学療法士さんにお世話される一方だった母が、別次元の世界に視野も思考も囚われている父を前に、にわかに調子を合わせてあげられないのは無理もない。そもそも意のままに身体を動かすことすらできない母は、自分のことだけでいっぱいいっぱいなのだ。

そんなわけで、翌々週に再び父のショートステイの予定を入れてあったのだが、姉は「ママが疲れすぎたらよくないかなぁ」と予定変更を辞さない気遣いを示した。だけど、私は2泊3日の父の不在に味をしめてしまっていた。だって、ほんと、彼がいないと、心底のびのび休めるのよ。いると一事が万事、めっちゃ気遣いばかりさせられて気の休まる暇がないんだもの。

二人の様子を老人保健施設の相談員さんに聞くと、「お母様がかなりお疲れなのがちょっと心配」とのことだったが、介護士さんは「お互いにそばにいないと探したり、お父様がまだいらしてないとお母様は『おやつは、待ってからにするわ』とおっしゃったりしていて、微笑ましく見守っていました」とのことだった。

私は思う。こういうときは、心配しすぎないのが肝要だ。
姉には「私たちにもレスパイトが必要!二人がお互いの現状を認識するのも必要!」と強く主張し、二度目の父のショートステイは、予定通り敢行する流れとなった。

二度目は、父も少し環境に慣れたのだろう、さすがにもう仕事モードにはならず●●製紙の話題も出てこなくなったのだが、それでも「ママは調子が悪いようだ。いつも不機嫌だ。もう昔のママではない。あそこの病院にいてもママはよくならない(注※老人保健施設は病院ではないと何度説明しても父は理解できない)」などと不満を募らせた。何度も電話をかけてきて同じことを繰り返すので途中からスルーしたのだが、ときに連続6回などという着歴もあった。いやはや、ショートステイ中くらい休ませてください、お願いします。

帰宅後、「俺はあそこではやることがない」と主張し、連絡帳には実行したと記載されているマシントレーニングも、「俺はやっていない」と言い張る父。
一方、「パパがいると疲れる」と繰り返し訴えつづける母。

やれやれ、である。
しかし思えば、札幌の自宅で二人で暮らしていたときから、いつも仲良く一緒に何かしていたわけではないのである。母はリビングで、父は書斎で、それぞれ好きなようにテレビを観たり居眠りしたりしていただけなのだ。いまさら「どうぞ一緒に仲睦まじく」と隣り合わせに座らされても、会話に花が咲くわけでもなければ、互いのできることを踏まえて新しい楽しみ方を編み出すなんてことができるわけはないのであった。

とはいえ老人保健施設には、同じフロアの両端あちらとこちらに離れて近づこうとしないご夫婦もいるとのこと。まだ並んで食事ができているなら、よしとしようではないか。

というわけで、母は「パパがいると疲れる」、父は「あそこは退屈だ」というそれぞれの主張はひとまず受け取りはしたものの、私と姉の結論としては「まぁ、二人とも慣れてちょうだい」である。

そして再び、翌々週に父の3回目のショートステイの予定を組んだ。
幸いなことに、その老人保健施設では6月から10分という短時間ではあるけれどリアル面会が解禁となり、それならショートステイ中の父も含めて、母と父と姉と私の4人で面会するというスペシャル企画(というほどのものではないけど)を立てた。予定は、6月8日(水)16時から。

その日、平日だが休みをとっていた姉と「いや〜、楽しみだね」と言いながら、退屈している父のためにトランプとかフォトブックなんかを袋に仕込んでいた15時頃、母が発熱したという連絡が入った。「PCR検査では新型コロナ感染症は陰性だったので、隣接している病院にストレッチャーで連れていきます。ご家族も来てください」とのことだった。

自宅から一番近い徒歩圏内で、病院が隣接している施設を選んで、ほんとうによかった。
週に2回は洗濯物を取りにいったり届けにいったりですっかり慣れた道を、ひとまず私一人で自転車をかっ飛ばした。
受付で母が降りてくるのを待っていたところ、顔なじみの介護士さんが「お父様が『これから家族4人で食事に行く』とおっしゃってました」とにこやかに教えてくれたので、「16時からの面会予定をそのままにして父に姉を会わせてください」と頼んでから、姉に電話で「混乱してるみたいだから、予定どおり面会に来て話してあげて」と伝えた。
毎日家で顔をつき合わせている父と姉が、わざわざ近所の老人保健施設の面会室でアクリル板越しに対面するのもなんだけど、放っておくと、母は消えるは家族で食事はできないはで父が不安と混乱のどん底に落ち込む危険がなきにしもあらずだったもんで。

結局、血液検査と尿検査とレントゲンとMRIを経て、おそらく尿路感染症だろうとの診断で、極度な貧血もあるので、ひとまず母は入院とあいなってしまった。肺炎ではないのはよかったが、またも入院か。かわいそうに、普段着もおやつもコーヒーも再びおあずけだ。
札幌から所沢に移動して、きっかり4週目の水曜日のことでありました。

翌週の火曜、主治医が病状説明をしてくれるというので、父を車椅子にのせて二人で病院に出かけた。
思いがけず、待ち時間に看護師さんが母のベッドを廊下まで運んできてくれて面会もさせてもらえた。母の目に輝きが戻っていて、回復の兆しが感じられてありがたかった。貧血の治療をして、あと1週間ほどで老人保健施設に戻れる見込みとのことで、すこし胸をなでおろした。

だが、しかし、その翌日に、こんどは父に異変が……。(つづきは、また今度)