車椅子無料レンタルを利用して、航空公園まで散歩してきた♪

あちこち散策

所沢市の社会福祉協議会が「わたしのまちの車いすちょい借りステーション」を運営していて、しかも私の自宅から徒歩3分の薬局さんがそのステーションのひとつであると知ったのは、父を札幌から連れてきた8月末のことだった。
以来、いつも念頭にあった。車椅子を借りれば、普段行けない距離の所にも父を連れていってあげられる。だけど予定やら体調やら気分やらの調整がなかなかできず、ここに至ってやっと実現できた。

「車椅子を借りるから、航空公園まで散歩に行こうね〜」と父に告げると、「いや、俺はそんなものには乗らん。自分で歩ける」と端から拒否された。
しかし、「自分で歩ける」とは言うは易く行なうは難しだ。

91歳の父は富士山が最近のマイブームで、自宅から400mほどの米軍基地沿いのビューポイントまで散歩するのに凝っていて、デイケアのない日はそこまで行って帰ってきてソファで眠る、もう一度そこまで行って帰ってきてソファで眠るというのを日課にしている。その往復には、30分ほどかけている。そんな足腰の弱った父が、自宅から片道3km弱、公園内の散策を加えて往復すれば7kmは軽く超える距離を歩くなんて、どう考えても無理だ。

だけど私が「車椅子、無料で借りられるんだよ」と言うと、「そうか、じゃあ、乗ってみるか」と父は意外と簡単に翻意した。
な〜んだ、レンタル料を気にしてたのねと思っていたら、「だが、俺は重いぞ。お前では押して歩けないかもしれないぞ」とも言う。そうか、そういう心配もしてくれていたのね、いつも自己チューな父だけど殊勝なところもあるじゃないの。
「大丈夫よ、車椅子って少しの力で動くように設計されてるから、私だって軽々と押せるよ。それに姉妹2人で替わりばんこで押せば疲れないし」と諭すと、「まぁ、やってみるか」と乗り気になった。

ところが、その散歩を計画していた土曜、先だって予約しておいた車椅子を昼前にピックアップし、昼食後いざ行かんという間際になって「今は無理だ。俺は新聞の切り抜きがしたいんだ、30分はかかる、それに足がふらついて歩けない」と父がゴニョゴニョ言い出した。眉間にシワが寄り、目つきも悪くなっている。やれやれ、めんどくさい男だ。

「足がふらついても、車椅子に座ってればいいだけよ」「それでも辛ければ、すぐ帰ってくればいいよ」「車椅子でもふらふらするなら、タクシーで帰ってこよう」「今日を逃すと黄色いイチョウが見れないわ」「そうよ、明日は天気が悪くなりそうだから、行くなら今日しかない」「今出かけないと、帰りが遅くなっちゃう」と姉と私で代わる代わる背中を押すと、父は不機嫌顏のまま「じゃあ、行くか」とのろのろ上着をはおり、しぶしぶ靴をはいた。まったく、めんどくさいブー垂れ男だ。

その割には、道に出てご近所さんに出くわすと、外面がいいので瞬時に相好を崩して挨拶し、さらに車椅子で動き始めると、「おお、これは楽だなぁ。なかなかいいもんだぞ」と、さっきの仏頂面はどこに行った?というほどのご機嫌になった。めんどくさい男だが、気分の切り替えが早いのには救いがある。

父の乗った車椅子を押して、自宅のある所沢ニュータウンと並木通り団地を抜けて米軍基地沿いの道に至ると、「ああ、これはいつもの道だな」と父は嬉しそうに声をあげた。そして昨年2020年3月28日に米軍基地内に開通した東西連絡道路を通ると、「この道は昔よく通ったなぁ」などと懐かしそうに言う。それはないぞ、ありえないぞ、ここ通るの初めてじゃん。

車椅子からの眺めは視点が低くなり、普段とは違った風景が見えることもあるだろうが、「この木はずいぶん大きくなったなぁ」「家は向こうか?」などなど、父が発する数々のコメントはなんだかちょっと変。方向感覚もズレている。
かれこれ40年以上前に6年ほど住み、折々に訪れていたとはいえ、地域の歴年の変化をたどってきたわけではないから仕方ないとも言えるし、かなりボケちゃってるし……というか、もともと父は方向オンチだし、昔から一緒にいても私たちが見てるモノを見てなかったりもしたよなぁ。ま、何をどうコメントしようが、ご機嫌なら結構結構。方向感覚が悪くても、どうせ車椅子に乗ってるから道を外れて迷うこともないしね。

お天気の良い週末、公園には親子連れがたくさん来ていて、所沢航空発祥記念館前の広場には「暮らすトコロマーケット2021」の雑貨屋さんや食べ物屋さんの白いテントが並んでいて、なんだか久しぶりに人が集まってる感じだった。夏が終わって秋が深まり、コロナ感染がやっと落ち着いて、ここにも解放感が広がっている。

芝生に寝転がったり、喫茶室「彩翔亭」で抹茶と和菓子をいただいたり、父も車椅子を降りてゆっくり歩いたり、青空にくっきりと映えるイチョウを眺めたり……秋の公園を心ゆくまで満喫して、帰路についた。

車椅子を姉と私で交互に押し、途中のスーパーで買い物もした。帰宅すると、かなりの疲労感。それほど力を入れなくても車椅子は動くとはいえ、腕も何気に疲れていた。父の乗った車椅子を押しての1万歩超えのウォーキングは、運動不足気味の私にはそれなりの負荷のかかった全身運動になったようだ。

「けっこう疲れたね〜、ちょっと寝ちゃう?」なんて姉と話していたら、父が割り込んできて「いやぁ、今日はよく歩いたなぁ」と言う。え?もしかして、自分で歩いた気になっちゃってる?と姉と目配せしてニヤニヤしていたら、今度は「意外と俺は軽いんだな」なんて感慨深げに言ってくる。なんじゃそりゃ? まるで自分で自分の車椅子を押してたみたいな口ぶりだ。もー、笑っちゃう。

いや、ほんと、なんでしょうね、この自己チュー感。
父の探し物を見つけてあげても「俺はちゃんと見つかるところにしまっているんだ」だし、私たちが食事作って洗濯して自分は何もしてなくても「俺は一人で生活できる」だし。

ま、そういう人なんです、91歳になった昭和一桁男。
とはいえ、こちらも「おかげでいい散歩ができた」「おかげで生活できてる」とか言われたくてあれこれやってるわけじゃない。父がご機嫌に日々が過ごせれば、こちらにも害は及ばない。つまり、父のためにやってるようで、その実、自分のため。はい、そう思っていれば、お互いにご機嫌さんで平和に暮らせます。

母が入院してしまって一人暮らしができない父を札幌から連れてきて丸々3ヶ月が経ち、私も少しずつ賢くなってきました。

「彩翔亭」でいただいた抹茶と練り切り。おいしかった♡
イチョウは、たぶん先週の方がきれいだったかな〜
所沢駅周辺の高層マンションが向こうにニョキニョキ