早期発見・早期介入よりすべきことは、そのままを受け入れること

気になること

新聞の書評欄で知り、上田諭著『認知症そのままでいい』(ちくま新書2021年7月発行)を読んだ。

タイトルを見ただけでなんだかホッとしてしまったのは、数年来とみにボケてきた91歳の父と日々接しながら心が不安で揺れがちだからだ。「そのままでいい」……というタイトルを見て、揺れる心をふわっと柔らく肯定してもらえた気がしたのだ。

これまで、あれこれ本を読んだり家族と話し合ったりしながら、基本的には「このまま見守っていけばいい」と考えるに至っている。だけど、ときに父のズレまくりの言動に直面して確信が揺らぐこともある。そんなときは、「やっぱり専門の病院に連れていくべきか?」「何か他に効果的な対策があるんじゃないか?」などと不安がくすぶる。
「そのままでいい」というタイトルを見ただけで私は少しホッとして、読んだらきっと「やっぱりそうだよね、そのままでいいよねー」と、もっとホッとできるんじゃないかと期待を抱いたのである。

で、読んだら期待にたがわずすごくホッとしたんだけど、ついでに宿題をもらっちゃって悩ましいような気持ちにもなった。先だって読んだ『認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ』の読後感と共通するのだが、「そのまま見守ろう」という姿勢が受容されてホッとさせられても、現実に日々起きてくる細々とした葛藤がスカッと一掃されはしないからだ。

たとえば、こんな著者の言葉。
「孤独で居場所をなくしている本人の気持ちを少しでも想像し、『問題が起きているのは、私たち周囲の家族の声かけや対応の仕方が本人を傷つけているせいではないのか』と振り返ってほしいのである」……読むと、もっともだと思う。そう思いながらも、「だけど、あっちの言動がこっちを傷つけることもあるのさ」とやさぐれたり、「親子だと積年の関係の中で譲れない譲りたくないみたいな気持ちも沸き起こってきて、ややこしいんだよ」と愚痴ったりしたくなってしまうのだ。
でも、わかってます、本を前にブチブチ言っても埒はあかないし、そもそも著者は、私の父への対応を非難しようとしているわけではないことも、現実には自分でその場その場で考えて対応するしかないことも分かっているのよ、ほんとは。

著者は、病院の高齢者外来で診察にあたっている精神科医。
「そのままでいい」と言い切る理由は、認知症の7割にあたるアルツハイマー病は現在の医学には根治療法がなく、確実な予防法もないことだ。現存する薬は、効果が出たとしても数ヶ月から一年半程度の進行を遅らせるのみ。しかも、その効果には個人差が大きく、効果の出ない人もいるうえに、消化器系の副作用や怒りっぽくなったり徘徊したりする副作用が後から出るケースもある。
そんな現状なのに「治そう」と頑張ることは、本人にも介護者にも辛いことだと著者は言う。それよりも「治らない」を出発点にして、「治さなくていい」「治らなくていい」を基本にし、どうしたら本人が元気で張り合いのある生活を送れるかに注目すれば、本人も介護者も幸せになれるのではないかと言うのである。
もっともだと思う。

ところが現在の社会は、「『認知症の正しい理解を』という掛け声の下、医療職向けにも啓発活動が各地で行われている。しかし、その理解は『本当の理解』になっているのだろうか。表面的な『早期発見、早期介入』になっているのではないか。認知症診療をしていると、そう感じざるを得ないケースにたびたび出会う」と著者は問いかける。
私が「何かしなくちゃいけないんじゃないか?」「できることは他にあるんじゃないか?」と思ってしまいがちなのは、あたかも早期発見・早期介入が有効であるかのような社会の空気のせいなのかもしれないと読みながら思った。

受け皿となる医療の世界では、認知症を診る医者といえば脳神経内科や精神科だ。かたや生物学的視点で脳と症状の関係を探り、かたや家族関係や恋愛や対人関係の心理や精神病理を探ってきた分野である。「認知症の人は、生物学的視点と心理学的視点の谷間に落ち込んでしまっていたのである。結果、看護・介護職が中心となって認知症の人の心理に向き合うほかない現状が生まれた」と著者は指摘する。
なるほど、そのような医療分野のこれまでの経緯と専門性を俯瞰してみると、高齢期の認知症への医療的な課題がよく分かる。

今回この本を読み、そのような認知症をめぐる現状を知り、やはり「そのままでいい」と割り切って右往左往しないほうがいいという思いを強くした。
しかも、認知症の人の比率は、80〜84歳で20%、85〜89歳で40%、90〜94歳では60%と上がっていく。91歳の父にしてみれば、その年頃になればもう認知症で当たり前と言っても過言ではない。むしろ、「まぁ、順調に年を重ねてボケましたね」と思うのが自然だ。
これまでも父が「最近、頭がおかしいいんだ」と訴えてくるときは、「年をとるとみんなそうみたいよ。順調順調!」と応えるようにしてきた。そう言うと、父も釈然としないながらも、なんとなく安心するみたい。
これからは、「お医者さんも『そのままでいい』って言ってるよ」と伝えてみようかな。もっと安心できるかもしれない。