エッセイ集『黄色いマンション 黒い猫』から感じとれたキョンキョンらしさについて

日々の楽しみ

最近、キョンキョンが気になる。
キョンキョンと一緒に国会ライブ中継をみることにワクワクする自分の反応が意外と面白かったという体験を経てのことである。

「芸能人は政治的発言をするな」という、いわれのないバッシングを受けながらも、
「私、更に勉強してみました。読んで、見て、考えた。その上で今日も呟かずにはいられない。」
「国会中継見てます。#検察庁法改正案の強行採決に反対します」
などとtwitterでシンプルにブレない意志表明をつづける姿勢に、私は共感せずにはいられない。

で、小泉今日子著『黄色いマンション 黒い猫』(スイッチ・パブリッシング2016年4月発行)を読んでみた。
2007〜2016年に雑誌『SWITCH』に連載された「小泉今日子 原宿百景」を加筆訂正したものを再構成した本で、デビュー前から出版当時までの暮らしや出来事、家族や友人のこと、原宿の様子などを語る34編のエッセイがまとめられている。

昔のボーイフレンドのこととか、お姉ちゃんに指示されて制服のスカートを長くしたこととか、誰にでもありそうな懐かしい追憶も語られる。
そして、「有名人って大変だな」と思わされる数々のエピソードもつづられている。
深夜ラジオの放送後に追いかけてくるファンたちを巻くために回り道を余儀なくされてまっすぐ家に帰ることができなかったとか、自由気ままに出かけられないけど折々に騒がずそっと寄り添ってくれた街の人々がいたとか。

なかでも私にとって印象的だったエピソードは『彼女はどうだったんだろう?』というタイトルの一編に描かれていた、2年後輩のアイドル歌手が自死してしまったときのこと。
原宿を一人で歩いていたキョンキョンに、若い男の子が「サインしてよ」と話しかけてきた。騒ぎになったら困るからと躊躇していたら、「冷たいなぁ、○○ちゃんみたいにビルから飛び降りちゃうぞ」と、その男子が言った。
それに対してキョンキョンはキレて、その男子の胸ぐらを掴んで言ったというのだ。

なんにもわかってないくせに、人の死を茶化すようなこと言うな。そんなこと冗談みたいに言うな

その男子はビックリして、「すいませんでした」と言って去っていったという。

とっさのことなのに、胸ぐら掴んでビシっと大切なことを言い放てるって、すごい、カッケー! 胸がすくリアクションだ。
しかも、そのとき彼女はまだ若いアイドルだったし、ちょっとした騒ぎを起こそうものならマスコミの標的にされてしまうというプレッシャーもあったのに。
彼女は若くして、すでにそんなブレない対処ができる人だったのだ。
昨今の政治的発言にも通じる「キョンキョンらしさ」だと感じた。

この本の最初と最後のエッセイには、それぞれ違った黒い猫が登場する。
とりわけ最初の黒い猫のエピソードは、陰湿でショッキングだ。そんな、アイドルでなければ投げつけられなかったであろう悪意のこめられた出来事をつづり、エッセイ集の冒頭に掲げる。そこに、彼女からの強いメッセージを私は感じた。
華やかで注目を集めるアイドルや俳優という職業だが、生半可に続けられるものではないというメッセージ。ただし、決して高飛車なトーンではなく、腹の底から漏れてくるような重みのあるトーンだ。
思い出せば胸がつぶれるような出来事の数々をしっかり受けとめながらやってきたんだよ、という淡々としたメッセージを私は読み取った。

有名人でいるって、めんどくさそうだし、しんどそうだ。
だけど彼女にはゆるぎない感性や価値観があるからこそ、芸能界で生き抜いてこれたのだと、この本を読みながら思った。
気どらず、媚びず、自分らしくいられる強さに、あらためてリスペクト。

終盤には、『アキと春子と私の青春』と題した、2013年NHKで放映された朝ドラ『あまちゃん』にまつわるエッセイも収録されていた。
テレビを持たない私はリアルタイムで見ていなかったで、近所のTSUTAYAに走っていってDVDを借りてきた。
で、1枚に12話入ったDVDの3枚目を昨日見終えたところ(全部で13枚ある!)。
社会一般からだいぶ遅れて、今、「じぇじぇじぇ」ブームで盛り上がっています。笑