「私の畑、いったい、どうなっちゃうんだろう?」……8月から9月にかけての酷暑の日々、家庭菜園一年生はただただ困惑していた。
7月終盤の雨から8月の日照りに突入し、トマト祭りはあっけなく終わってしまった。
ナスの葉は虫食いだらけ、実がついても皮がガビガビであまり美味しくなくなってしまったなぁと思っていたら、ついに実らなくなってしまった。
キュウリなんて日照りのせいで、はかなく枯れてしまった。
なんとか実りつづけていたシシトウも8月中旬にはいっこうに実をつけなくなってしまった。
採れるものといえば自生したシソと赤紫蘇ばかり。シソは美味しいけど、シソばっかり食べるってのもねぇ、トホホ。
(9月後半から、ナスもシシトウも復活しました!)
そもそも暑すぎて、早朝か夕方に水やりに行くのがせいぜいだったのが、8月後半は、それすらあきらめた。だって、体温を超える気温なんだもん。まじクソ暑い。
「ああ、行きたくない、畑」……そんなネガティブな気持ちがこみ上げてきて、赤紫蘇でつくったシロップに炭酸水を注いで飲んではため息をついてダラダラする日々が続いた。
しかも、畑にはカボチャのツルがどんどん伸びちゃって葉っぱがボウボウしてて、完全なお手上げ状態になってしまった。
ね、ほら、こんなんだもん。わかってくれるよね、 私の深〜い困惑。
もう畑と呼べるような場所じゃなく、ボウボウと広がるカボチャの海原。もう、溺れそう。
振り返れば、苗を植えたのは6月20日のことだった。
うちの庭の片隅で、土と野菜くずを混ぜて堆肥化しようとした鉢にニョキニョキと生えてきたのがどうやらカボチャのようだったので、ポットに植え替えて畑に移植したのだった。
その数、7苗。60cm程度の間隔をあけて植えてみた(のだが、この種のカボチャはもっと間隔をとるべきだったと気づいたときは、後の祭りだった)。
ヒョロヒョロした苗たちだったので、定着するかちょっと心配だった。
1週間ほど経っても覚束ない感じで、下の写真でご覧いただけばわかるように、手前の小玉スイカが勢いよくグングンとツルを伸ばしていくのと比べるとなんだか頼りなかった。
しかし心配には及ばず、それから4週間ほど経った7月17日にはこのとおり。スクスクと育って葉が大きくなっていた。
その頃は、スベリヒユが元気いっぱいで「カボチャが負けちゃうかも?」と不安だったのだが、そんなことにはならなかった。
それから1週間経った7月24日には、この通り。
地面はすっかりカボチャの葉に覆われ、ツルが縦横無尽に這っていて畝の境はわからなくなって足を踏み入れることすらできなくなり、畑の3分の1以上がカボチャの海原と化していた。
茂っていたシソや赤紫蘇に絡みついて乗り上げて低木化している箇所など、せり上がってくる波のように見えた。な、なんか、すごすぎて怖くなるほどの勢いだ。
これだけ広がれば、さぞや充実した収穫が見込まれそうだと思いきや、花が咲いても雄花ばかりで雌花が見当たらない。よもや実らないかも???という暗い予感が心にひたひたと広がってきて、登校拒否ならぬ登畑拒否になりそうだった。
困惑は深まるばかり。
そして、ともかく暑い、ひたすら暑い、そして畑はカボチャの葉だらけで暑苦しい。
ああ、なんてこった。
ほとんど投げやりになっていた私の目に、花の下部のふくらんでいる雌花が飛び込んできたのは、なんとまあ、海原状態になって1ヶ月も過ぎた8月終盤の27日のことであった。
きゃ〜〜〜っ! 実がなるかもぉ♪♪♪
黄色の希望が、ポッと心に明るく開いた。
そして9月初旬、とうとう赤ちゃんがお目見え。
なんとなんと、形を見て驚いた! 宿儺南瓜(すくなかぼちゃ)じゃないですか。
記憶を辿ると、それは去年の12月。
私が会員になっている有機野菜の共同購入グループ『所沢生活村』に、栃木県の帰農志塾から宿儺南瓜が届いた。そのとき、私は初めてその存在を知った。
もともとは飛騨で自家栽培されていた伝統野菜で、2002年に旧丹生川村役場によって商標登録されたそうだ。
そのとき、美味しくいただいて「いずれ機会があれば植えてみたい」と思って種を取っておいたのだけれど、まさかコンポストにも種が混ざっていたとは。
宿儺南瓜はどんどん成長し、9月10日には20cmほどの長さになっていた。畑は依然としてボウボウではあったが、収穫という大きな楽しみができて心が軽くなってきた。フフフ、現金なもんよね。
9月も後半になってくると、だんだんと葉の勢いがなくなってきて、そろそろ次に何を植えるかの目処をつけられそうな気分にやっとなってきた。
そして9月25日のこと。
大家さんが「ネギ、植える?」とたくさん下さったもんで、生い茂っていたカボチャの葉とツルをちょいちょいとあちこちで動かしてみていたら、ポロッと1個、もげてしまったの。まだ収穫するつもりはなかったんだけど……。
宿儺南瓜の故郷の農協さん「JAひだ」の情報によると「収穫の目安は開花から60日前後、ヘタの部分に白い筋が入りコルク質化した頃」とあるので、8月末の開花だとすると9月25日ではまだ若い。実際、ヘタはまだほんの少ししかコルク質化していなかった。
でも、採れてしまった以上、食べるぞ〜!と俄然、食欲に火がついた。
「収穫後7日間程度風通しのよい日陰で保管し、追熟させる。追熟するとでんぷんが糖分にかわり、甘みが増す」とも書かれていたが、食欲に火がついてしまった私は、待てない。
その日の晩ごはんに、素揚げにしてしまったよ。
まだ若い実だし、追熟もしなかったから、たしかに糖度もホクホク感も少なめだったけれど、むしろ淡白で美味しかったかも(つーか、揚げればなんでも美味しくなるよね笑)。
翌朝は、茹で蒸しにして塩胡椒とエゴマオイルを少々。これまた美味でした。
そして残りは、北海道の大豆を炊いたのと鶏ひき肉と舞茸とともにカレーに。美味しくならないはずがないっ!
というわけで、9月のうちにポロリポロリとその後も計3個を収穫してしまったのだが、食欲に煽られての仕業ではない。
9月末から10月初旬に種をまいたり苗を植えたりしておきたい野菜が目白押しなので、ツルや葉をちょいちょいと押しやっているうちに、うっかりもいでしまったり、ブロッコリーの苗を植えたくて場所をあけるためにあえて収穫したのもある。
とりあえず、今回はグッとがまん。手をつけずに追熟してみている。
いずれも、2kgが上限のキッチン用スケールに乗せたらエラーが出てしまったから、たぶん2.5kgくらいはありそうだ。
テーブルに置いてあるその姿が、なんだかすごく愛おしい。
飛騨高山観光公式サイトを見ると、「宿儺(すくな)」の名の由来は、任徳天皇の時代に飛騨に現れたという鬼神「両面宿儺」なのだと書いてある。
「日本書紀によると、一つの胴体に二つの顔があり、手足が各4本ある怪物として恐れられ、大和朝廷に背いたとして難波根子武振熊(ナニワノネコタケフルクマ)に討伐されたとあります。しかし、飛騨地方では、両面宿儺は武勇にすぐれ、神祭の司祭者であり、農耕の指導者でもあったと言われ、地域を中央集権から守った英雄であったと語り継がれています」
ふむふむ、両面宿儺って「地域を中央集権から守った英雄」だったのか!
その名をカボチャに授けた地域の人たちの郷土愛と正義感が伝わってくるようで、食べると反骨心も養ってもらえる気がしてくるじゃあないの。頼もしいな、宿儺南瓜!
まったく納得できない「国葬」と呼ばれる茶番劇が開催されてしまった変な国なので、いっそ国民なんかやめたいと思ったりもする今日この頃だけど、宿儺南瓜を食べて虎視眈々と力をつけていくぞ。
ちなみに、検索してみると1個2000円台〜3000円台で売られていて、びっくり。