「ここはどこだ?」「どこへ行く?」を連発する認知症92歳の父と姉の5泊6日の札幌への旅

日々の楽しみ

父は「札幌に行かねばならん」としょっちゅう言っていた。
一昨年の夏、母が大腿骨を骨折して入院し、急遽、父は札幌を離れて姉と私が住む所沢で同居するようになったのだが、それ以来しばしば、そう口にしていたのだった。
以前住んでいた自宅マンションが気になるときもあったようだし、認知症なのでときに仕事の用事があると錯覚したりもするようだった。

先々週、そんな父を連れて、姉が夏休みをとって札幌へ旅立った。父の願いを叶えるためである。
正直、私は「わざわざ連れて行ってあげなくても」と思っていた。というのも、最近は「札幌に行かなければ」とほとんど言わなくなっていたし、所沢にいても「ここは札幌か」と思い込んでいるときもあるし、足腰も弱くなって歩くのがおぼつかないし、認知症が以前よりも進んでいるので移動や人混みや環境の変化で予期せぬ反応を起こすかもしれないと危惧したからだ。まあ本音は、認知症のパパを連れて札幌行くなんて、めんどくさい、私は遠慮するわ、といったところ。

しかし、長女気質で生真面目な孝行娘の姉は、「そうはいっても、まだ自分でトイレに行けるうちなら連れていける」と考えたのであろう。何より、懐かしの札幌に連れて行って父を喜ばせてあげたかったのであろう。職場で夏休みの調整をして、飛行機やリムジンバスを予約し、予定表を父に渡し、実行に移したのだった。

予定を伝えると、叔父(父の弟で札幌在住)が会食の席を設けてくれたり、気になっていた妹の義父のお墓参りにも妹夫婦が車で連れて行ってくれることになった。そして懐かしの大通り公園や自宅付近を散歩できたらいいね、という5泊6日の夏休み。
むろん、姉にとって認知症の父との二人旅行はヴァカンスというより、ほぼ100%介護漬けの日々となる。休めないよね、パパと一緒じゃ。

その苦労は想像するまでもなく、せめて遠隔で姉の精神的サポートを万全にしようと私は体制を整えた(といっても、メッセージが届くとピコン♪と音で教えてくれるSNSを仕事中もPCで開いたままにして即レスできるようにしただけだけど笑)。

出発の日、朝10時頃に自宅の玄関先でタクシーを見送って約半時間後、最初のピコン♪が鳴った。
「バスはガンガンのクーラー。便意を催している模様。がまん、空港まで🙏」
あららー、さっそく大変じゃ。
そしてまた半時間ほど経ってから、「渋滞」の速報が。「パパは『ここはどこだ?』を連発」とも。
その「連発」が疲れるのよね、ほんと困ったちゃん。

姉からのメッセージが届くたびに私は一言二言返信したり、「おつかれさまー」と合いの手を入れたり、ウサギが首を振ったり跳ねたりする動画スタンプを送って姉の気分を晴らさんと試みた。とにもかくにも介護者を孤独にしてはいかんのだ。不機嫌になりがちな認知症の老父と二人きりでいると、メンタルがやられそうになる。私も身をもって何度も体験済みだ。

それからまた約半時間後、「渋滞。着くのか?」とメッセージが届いた。充分に余裕をみてスケジュールを組んだとはいえ、所沢→羽田空港のリムジンはときに想定外に時間がかかることがある。しかも空港に着いてからは父を車椅子に乗せ、「お手伝いの必要なお客様」のカウンターを通って車椅子を預け、航空会社の車椅子を借りて搭乗口までたどりつくのは、普段より手間も時間もかかる。たいへんだ。渋滞で動かない車中では、なおさらヤキモキさせられるぜ。
「ここはどこだ? どこに行くんだ?」を繰り返す父の傍らで、姉がスマホ画面に集中して予約を変更するなんて逆立ちして歩くより無理だよなーと思い、「飛行機の予約番号教えておいて。最悪、私が変更するよ」と返信。空席を随時PCで確認できるように航空会社の予約画面のタブも開いておいた。「こちらスタンバイOK。12時半にどこにいるかで判断しましょ」と姉に伝えた。

その後も父の不貞腐れた表情の写真や、走行状況を逐一伝えるメッセージが届いたが、幸い、途中からバスは快走して余裕をもって空港に到着。買う時間がなくても昼食抜きにならないよう私が朝作って持たせたお弁当を搭乗口のベンチで食べてから、二人は機上の人となった。やれやれよかった、ホッ。

ひきつづき札幌滞在中は毎日毎日、実況中継写真が次々と送られてきた。パフェを食べる父、トンカツ定食を食べる父、リビングのソファで寝ころんでいる父、髪の毛ボサボサで不機嫌な寝起きの父、懐かしの公園で車椅子に乗っている父etc.。
そして「ここはどこだ?」「どこに行くのか?」「お前とどこまで一緒なのか?」「誰に会うのか?」「明日、帰るのか?」「どこに帰るのか?」etc.・・・場所・時間・人を常に問うだけの会話のうんざり感を笑いに変換した数えきれないメッセージも届いた。

中でもサイコーだったのは、帰路の羽田空港から所沢行きのリムジンバスの車中からのメッセージだ。

「あんた、東京以外でどこに住んだことがある?」
「函館で生まれ、札幌では伏見、円山とか」
「俺と同じようなところだな」

普段、父は姉のことをファーストネームに「さん」付けで呼ぶのだが、このときは「あんた」。話の流れからすると、父は姉を娘とは認識していない。

そんなわけで、「どんな状態で帰ってくるかなー」と私は夕飯の支度をしながら待っていた。

タクシーが玄関先に着いたのを見て外に出て、車から降りるのを支えようと手を差し伸べると、父は私を見て言った。
「それじゃあ、お茶だけ一杯、いただいていこうかな」

えっ? もしかして、ここを家と認識していない? 私は誰? あなたは誰?だったりする?

とっさに笑いをこらえ、「まあまあ、お茶だけと言わず、お食事を用意したので食べていってくださいよ」と私が言うと、父は少し戸惑った様子で、私が導くまま玄関に向かったのだが、その実、いつの時点で自分が「家に帰ってきた」と認識できたのかは定かではない。

洗面所で手洗いをしてから食堂に連れていくと、テーブルの脇に立って「で、俺はどこに座るのかな? お客さまはどこに座るのかな?」と父は聞いてくるのであった。
「今日はお客さまはいないわよ」と告げると、父はちょっと不思議そうな顔をして、でもすぐにそんなことは知っているというふうを装い、私が示したいつもの父の席に着いたのだった。
たぶん、「函館生まれ、札幌では伏見、円山とか」に住んだことのあるお客さんも一緒に食事をするつもりだったのだろう。

いつの時点で、ここが今の「我が家」で、娘である姉と私と住んでいるという状況にあることを再認識できたのだろうか。私にはわからないのだけれど、翌日、父は姉に「いやー、あのときは混乱した。暗いトンネルが怖かった」と話したというから、やはり認知症の父にとって移動はスリリングすぎる出来事で、まじ、混乱していたのだと思う。

父の混乱をかたわらで見ていると、認知症の父親を描いたイギリスの映画『ファーザー』の「わからなさ」を思い出す。すごくリアルに「認知症視点」で描かれているがゆえの「わからなさ」。観てから随分と時間が経つけれど、「ああ、それは多分、そういうことだったのか」と、思い出しつつ咀嚼してはまた思い出して感心してしまう。ご覧になっていない方は、ぜひ。