グチるよ、グチるよ、グチりますよーーーっ! 父さん、母さん、あんたら、どこまでジコチューなのさ!?

気になること

ここにきて、ほんと時間がない。
師走だからってのもあるけど、あれよあれよと時間が過ぎていく。
やらなきゃいけない仕事も、やりたい活動も読みたい本もいっぱいあるのに、ザルが水を通すようにザーザーと時が流れ過ぎてしまって、「えっ!?もうこんな時間?」と焦り、「ああ、今日もアレもコレもできなかった」と頭を垂れる日々の連続なんである。
「なんでだろ?」と自問するに、「やっぱ、父母の介護のせいよね」と思うのであります。

認知症の父は、1年半前に札幌から連れてきて、姉と私が住む所沢の家で同居中。
ほぼ寝たきりの母は、今年2022年5月に札幌の病院から介護タクシーと飛行機を乗り継いで7時間かけて自宅近くの老人保健施設に連れてきて、11月からやはり近所の特別養護老人ホームのショートステイを利用中。

つまり、できるだけ介護サービスを利用していて、ありがたいことに父は平日の日中は近所のデイサービスでお世話になっているし、母は洗濯物以外の実質的な介護は施設の介護士さんたちに全面的にお願いしている。

が、しかし。
それでも、子である私たちに、やらねばならないことがどんどん降ってくる。
日常的な父の世話だけでも、着替えのサポート、時間配分の目配り、薬の管理、トイレや洗面所の汚れや水こぼしの後始末、デイサービスの見送り・出迎え、その他諸々次々と降ってくる。

さらに、介護サービス利用にあたってのケアマネージャーさんや施設の担当者さんたちとの連絡をはじめ、介護保険・健康保健等の書類や郵便物やらの整理を主に担っている私に降ってくる雑用の比重は姉妹のなかで一番重い。

フリーランスの編集者・ライターである私は、ほとんど自宅で仕事をしていて、事務処理が苦手というわけではないので、これまで「とりあえず私がやるわ」と引き受けてきた。そして気づけば今、私の時間はどんどん削られていて、その一方で、書斎には父母の書類があれよあれよと山となっては雪崩を起こす(しばしば要不要を確認してファイルに整理したり、廃棄したりはしているんだけどね、ふぅ)。で、「あれ? コレ、まだやってないじゃん」という取りこぼしが増えているという現実。グググ。。。

なんといっても、私の仕事時間が極めて限られてしまっているのが問題だ。
父のデイサービスのお迎えは朝8時半の曜日もあれば、9時半、10時半という曜日もある。いくら優しいスタッフさんたちが送迎してくれるとはいっても、認知症が進んでいる父には、混乱をきたさずに一人で上着を羽織って荷物を持って靴を履いて鍵を閉めて出かけるのはハードルが高すぎる。
同居の姉は朝早く出かけて夕方帰宅する出勤パターンなので、自然な成り行きとして私が見送り・出迎えの担当になっている。
デイサービスのお迎えが8時半の日はまだいい。9時半も、まあどうにかなる。だが10時半の日に至っては、父が出発する前から書斎で作業を始めてはいても、ときどき父の面倒を見なければならないのでそれほど集中できず、やっと見送って仕事に没頭できたと思ったら、もうお昼だ。

そして、父が帰ってくるのは毎日おおむね16時半頃なのである。帰ってくると、「おせんべ食べたい」、「じゃあ、お茶いれるね」といった流れになって、ついでにお米を研いで炊飯器のタイマーをかけ、再び仕事に戻り、夕飯の支度にとりかかる18時までの短時間勝負に挑むのである。
保育園に子どもを預けているママ・パパたちと比べても、私の就業時間は短い。圧倒的に短い、短い、短すぎるのよぉー!(睡眠時間は削らない主義だからでもあるけれどね)

幸か不幸か、自宅で仕事をしていると洗濯物を干したり取り入れたり、父がしょっちゅう汚すトイレを掃除するといった家事も休憩ついでにパパッとできちゃったりするし、母のいる施設に服だの薬だのを届けるのも近所だから半時間ほどで済むから便利なんだけど、それが結果的に、時間をさらに削ることにもなる。私の一日は、介護と家事が幾層にも重なり、その間に仕事が挟まれている状態で、ミルフィーユを食べようとフォークを刺すとクリームがムニュッと出てしまうように、仕事が押し出されてしまうのだよ。トホホ。

だからですね、貴重なわけです、私の短い仕事時間は。
ところが、電話をかけてくるんですよ、父も母も。

父の電話は、どうせ取っても不毛な訴えが寄せられるだけなのは度重なる経験からわかっている。
「青い上着がない」(←今日はグレーの着ていったよね)
「杖がない」(←持っていってないよね)
「電話が故障した、ママにかけても出ない」(←今、電話できてるでしょ、故障じゃなくてママが出られないだけ)
「暇だ、何もすることがない」(←自分でどーにかして)
つまり、話しても解決にならないし、説明して理解したかと思いきや、再び同じ内容の電話がかかってきたりもするので、仕事を中断するまでもないことは自明だ。だから、もう出ない。具合が悪くなるなどの緊急事態であれば、父からではなくデイサービスからかかってくるわけで、「父の電話」=「問題なし」のサインなのだ。

そもそも、最初の頃にデイサービスからは「できれば携帯電話は持ってこないで」と言われた。ところが父があまりに不安がって「携帯を忘れた」と騒ぐもんで、妥協案として「持ってはいくけど、かけない」を原則にしたのである。そして「私は昼間は仕事をしているから出られない」と口を酸っぱくして何度も何度も言い聞かせてある。
なのに、父はかけてくる。着歴が6件、7件と連なる日も稀ではない。締め切りに追われているときなどは、父の名が表示されたスマホがバイブしているのを見るたびに、「うるせー!電話するなって言ってんだろ!」と思わず口走る。
(ワタクシ、ほんとうは悪態は嫌いなんですのよ、ホホホ)

そして一昨日のことだ。
いつものように父からの着信をスルーしてほどなく、今度は母から電話があった。母はずっと一人で施設にいて、コロナ禍で面会もできないから気の毒に思うし、体が不自由なのでこちらからかけても取れないことがあるので、かかってきたときはできるだけ出るようにしている。で、スマホを取って耳に当てた。すると母が「こんにちは」の挨拶もなく、開口一番言うんである。

「パパから電話あったみたいだけど、もうかけさせないで。うるさいから」

・・・えっ!? なに、それ。そこまで拒否るか?

「うるさい」と思うのはわかる、充分わかる、っつーか、あなたより私の方が知ってるよ、毎日毎日相手しているんだから。
認知症の父は、いつも母との電話で同じことばかり話す。たとえば、習字や絵が上手くなったとか、肌や歯がきれいだと褒められたとか、要は自慢話だ。あるいは「お前もがんばれ、いまに家に帰れるから。そしたら一緒に富士山を見に散歩に行こう」などという、もうどうにも自分で体を動かせなくなってしまった母に向かって送るにしては無責任で的外れな応援メッセージだ。
母の状況を理解して、母の話に耳を傾け、母の気持ちに添った話をしてあげることができないのは、認知症だからか、もともとなのか、それはわからんが、とどのつまり、そんな父を相手に話すのは楽しいものではない。それは、わかる。

が、しかし。
「パパの面倒は最期まで私がみる」と長年言っていたのは、母である。
しかも、「施設の介護士さんが『これまでの人生で一番良かったことは?』と聞いてきたから『主人と会ったこと』って答えたの」と誇らしげに話しているのを聞いてから、まだ2ヶ月も経っていない。
その「ご主人」とやらと、たまに3分間くらい電話の相手をしてくれたっていいんじゃね?と私は思うのである。
しかもそのとき、父からの電話に母は出なかったのだ。そのままスルーしておけばいいだけの話だ。わざわざ、「パパに電話をかけさせないで」なんて私に訴えてこなくてもいいじゃん。

昨日は、こんなこともあった。
夕食後に母から電話がかかってきたので、父にも会話が聞こえるようにスピーカーホンにしてテーブルにスマホを置いて話していた。「テレビもつまらない」と母が不平モードなので、新聞のテレビ欄を見ながら「コレはどう?ママが好きな俳優の○○さんが出てるよ」と勧めたりしていたのだけれど、途中で父は不機嫌に席をたってしまい、ムッとした私が母に「パパったら、いつも不機嫌でイヤになっちゃうわ」と言ったとたん、母は「そう、じゃあね」と通話を切ってしまったのである。なに、そ、そ、その態度?
あなたの「ご主人」とやらの不機嫌に毎日付き合わされている私のグチくらい、たまには聞いてくれたっていいんじゃね?

そして今日。
父が帰宅し、おせんべとお茶を出してあげて、おでんを仕込んでから、あと30分、仕事するぞ!と意気込んでいるところに母から着信。
取ると、「暇だから電話したわ」とのたまう。「こっちは暇じゃない」という言葉を飲み込んで気を取り直そうとしていたら母が言葉を継いだ。「あなたたちが持ってきてくれたお菓子、もうないのよ。介護士さんが、ほかの人にあげちゃったみたい」と。
「え? ほかの人にあげることはないと思うよ。きっとママが食べたのよ。それほどたくさん預けていなかったから、なくなっちゃったのね。また差し入れするね」と伝えると、「ほかの人に、あげちゃったのよ」と母は繰り返す。「差し入れたお菓子は、手紙にリストにして書いたから、見てみて。食べたのを思い出すかもよ」と言ってみたのだが、なぜか反応がない。しょうがないので「お菓子のリクエストはある? しょっぱい系と甘い系、混ぜた方がいいよね?」と気分を引き立ててあげようとしたのだが、母はすげなく「じゃ、よろしく」と電話を切ってしまったのである。
え、え、えっ!? なに、それ?

ほどなく帰宅した姉に顛末を話すと、「やだ、ママもじゃない?」と言う。
あら、ほんとだ、やだわ。

「ものとられ妄想」は、言わずもがな典型的な認知症の症状のひとつだ。母の「介護士さんがお菓子をあげちゃった」は、たしかにソレの始まりかも?
やれやれ。先が思いやられます。
が、それでも「お菓子が食べたい」と欲し、「差し入れがうれしい」と感じていて、それを表明できる。それだけでも良しと思おう。

そろそろ、あっという間に年末年始の「休み」に突入していく。
父と毎日顔を突き合わせる「休み」である。
ま、できるだけグータラしますわ、とここに宣言。