もうすぐ90歳の父の独居生活に向けて、朝食の合理化・仕組化・習慣化に取り組んでます!

日々の楽しみ

母が8月7日に熱中症で突然入院し、父の生活をサポートするために8月15日に札幌に来た。
そして1週間ほど経った頃、80歳という年齢の母の回復には思いのほか時間がかかり、すぐに退院とはいかないことがわかってきた。あと1ヶ月、もしかしたら2、3ヶ月の月日をリハビリに要する可能性すらありそうだ。

そうなると、問題になるのが、不意に訪れた父の独居生活をどうするかである。

8年前に母が脳梗塞を患って右半身不随になってから、掃除や買い物の一部はヘルパーさんを頼り、朝食用のキャロットサラダやキュウリの塩もみなどの作り置きもヘルパーさんにお願いしてきたとはいえ、朝昼晩の食事の用意も片付けも、生協の注文も、気候に合わせて何を着るか、洗濯物をどうするかといった諸々の家事のすべてを采配していたのは母である。
父も、頼まれれば買い物もするし、料理も少しは手助けするし、ゴミも捨てるが、ほとんど母の指示でこなしていただけである。現状、父の家事能力は限りなくゼロに近い。

そんな状態での一人暮らしは、心もとないこと限りない。
「いっそ施設に入居した方が父にとっても楽なのではないか?」という考えが頭をよぎるのだが、父は一人で大丈夫だと言う。
「そのうちママも帰ってくるだろう」と。
まあ、自宅が一番過ごしやすいのは、誰も同じであろう。

では、どうすればいいのか。
私と姉が来られないあいだ、近所に住む妹にばかり負担をかけすぎずに父が独居生活を送れるために必要なことは何だろう?

まず、思いあたったのは朝食だ。自分で用意して食べられれば、最低限なんとかなるだろう。あとは、ヘルパーさんに頼めることは頼み、父が言うように昼間ならおにぎりやお惣菜を買ってきて食べることもできないことはないだろうし、夕飯は配食サービスを利用するという手もある。あとは週に3日デイケアに行ってお昼ご飯をしっかり食べて入浴もしてくれば、まあ、健康は保てるだろうと算段がつく。

そこで、それまでは私がササっと用意していた朝食だったが、「朝ごはん、食べよう」と声をかけるにとどめ、父がどうするかを観察してみることにした。

ところが、声をかけただけだと、父はテーブルの自席に座っただけであった。
無理もない。笑
まあ、予想の範疇だ。それが彼の習慣なのだ。

「今日からは、朝ごはんは自分でバイキングだよ」と言ってみた。
が、それだけでは、もちろん腰を上げない。
無理もない。笑
まあ、これも予想の範疇だ。

最初は、ハードルが低い方がいいかもしれない。
そう考えた私は、朝食の野菜類の入った保存容器を冷蔵庫から取り出してテーブルに並べてみた。

すると、父は「ああ、これを食うんだな」と言う。

「うん、これが朝ごはんだよ」と私。

「皿がないなぁ・・・」と父。

そうそう、そういう気づきが大事なんだよな、と思いながら私は言う。
「そうだね、お皿持ってこなくちゃね」。

それでやっと、父は「よっこらしょ」と重い腰を上げて、キッチンにお皿を取りに行った。
そして戻ってきて、テーブルに並んだ野菜類が目に入ったところで、「あれ、フォークがないなぁ」とつぶやき、もう一度キッチンに向かった。

そんな具合で、「ああ、トーストを焼かんとなぁ」と、冷凍庫から食パンを取り出し、冷蔵庫からバターを取り出し、ゆっくりゆっくり手際悪く食パンにバターを2切れのせてトースターに入れ、「ああ、牛乳も飲まんとなぁ」とコップを取りに行き、冷蔵庫から牛乳パックを取り出し・・・と、どれだけの時間がかかったかわからないが、何とか朝食の用意ができたのであった。

できないわけではない。だが、今のままでは、一人になったときを想像すると不安だ。
どうしたら、一人でもできるようになるだろうか?

今回札幌に来てから父を見ていて、ゴミ捨ては他の家事と比べて率先してやっていることに私は気づいていた。燃えるゴミ、容器プラスチックなど、翌朝に回収されるゴミを前日の夜に母がまとめて父に玄関先に置かせたら、それを父は朝一でマンションのゴミ置き場まで出しに行っていた。だから私が来てからも、その習慣は守っていたのだった。

だから朝食も、習慣さえ付けばなんとかなるに違いない。
それが、バイキング実験をやってみて私が得た結論だった。

習慣付けるには、まず、私がやらない、手を出さないことが肝となる。
これは、私の意識と忍耐を要するだけだ。

だけど、朝食を用意する父を見ていて気づいたのは、父が冷蔵庫のどこに何が入っているかがわかっていないことだった。食パンは冷凍庫にあるのに野菜室の引き出しを開けたり、バターの置き場がわからず私が教えるまで探しつづけていた。これは、改善の余地がありそうだった。

そこで、貼り紙をしてみることにした。

だが、これでは「小さくて見えないなぁ」と言うのである。
それならもっと大きくしてやろうじゃないか、というわけで、こんな風にしてみた。

ところが、父が言うんである。

「そんなもん貼らんでも、俺は大丈夫だ」

・・・「大丈夫じゃなかったから貼ってんじゃねーか!」 と、ここで私が短気を起こしてはいけない。
そこで、少し違うアプローチから攻めてみることにした。

「とーちゃんは大丈夫でも、ヘルパーさんはいろんな家で家事をしてるんだよ。だから、こうしておけば、わかりやすいでしょ」

すると、父が言ったのである。

「そうか、合理化してるんだな」

むむむ・・・そうであったか。
父は、そういう頭の働きは健在であったのか。さっき言ったことは忘れても、思考の機能は衰えていない部分もあるようだ。
それなら話は早い。

「そうなのよ。合理化して、仕組化して、習慣化すれば、とーちゃんは朝ごはんが自分で用意できるようになって、ママが退院してくるときまで元気で待ってられると私は思うのよ」

そして言い足しておいた。
「だからね、私がやらないのは、とーちゃんに意地悪してるんじゃなくて、とーちゃんが習慣化できるようにと思ってのことなんだよ」と。

以来、私が「朝ごはん、食べよう」と声をかけると、ゆっくりゆっくりと父は自分で用意するようになった。

ある日は、こうして調理台に皿を置いて盛り付けしていた。

かと思うと、翌日は、冷蔵庫の扉を開けたまま、冷蔵庫がピーピーと鳴るのをガン無視して、ダイレクト・バイキングで盛り付けていた。

さらに翌日は、冷蔵庫の扉を開け放してピーピー鳴るがままにしながら調理台で盛り付け、「皿を洗うのは一枚でいいな」とワンプレートに盛っていた。

彼なりの合理化を試行錯誤しているのか、あるいは単なる行き当たりばったりなのかはわからないが、確実に習慣化は進んでいるように見受けられる。

パンを取り出す手も迷わなくなったし、冷蔵庫の扉を開けると「朝ごはん、だな。バターはここだな」と声出し確認しながら必要なものを取り出せている。
しめしめ、である。

そして食べ終わったところで、「お皿、洗ってね〜♪」と明るく促せば、はい、この通り。

ものすごい水流でジャブジャブと洗うので、「水がもったいないな・・・」とは思うのだが、やる気をそいではいけないので口を出さずに目を逸らす毎日である。

どうも片付けは好きじゃないようで、ややもすると、知らんぷりで書斎に立ち去ろうとする傾向がある。ボケているようでもあり、確信犯のようでもある。

習慣化の道は平坦ではない。
私が帰ってしまうまで、あと10日。どこまで定着するだろうか。

ちなみに、父母の定番朝食はこんな感じで、その朝の風景については昨年、どうやら私の両親は「喧嘩をするなら子どもの前で」を家訓にしたらしいに綴ったので、よかったら合わせて読んでみてね。