91歳の父に意地悪したくなって気づいた、自分ファーストの大切さ

気になること

あー、なんかもう嫌。。。 心がチクチクして、無性に父に意地悪したくなって、ギスギスと当たってしまう……そんなやさぐれた自分に気づいたのは、すこし前のこと。
8月12日に母が大腿骨を折って入院し、かなりボケている父が残された父母の家に飛んでいって10日ほど札幌で過ごし、父の世話をしながらあれこれ準備を進め、一緒に飛行機で移動して所沢の自宅に連れてきて2週間が過ぎた頃のことでした。

どんな風に意地悪かというと、こんな感じ。

父の散歩に付き合って歩いているとき、いつもなら並んで父の腕に手を添えたり、父の様子をすこし後ろから見守ったりしているのに、さっさと先に行って振り返って「まだかしら」的なオーラを出しながら待つ、とか。

やっと久しぶりに母と電話がつながって話せたのに、後で父が「ママと電話したか?俺は覚えてないぞ」と言ったとき、「覚えてないの? それは寂しいよね」ときつい口調で言い放ったうえに「寂しいよね」を二度も繰り返して強調する、とか。

老眼鏡をかけたまま、「眼鏡に慣れないと」と言いながら階段の上り下りをしている父に、「危ないでしょ!それは老眼鏡なんだから、歩くときには外さないと!」と怒鳴る、とか。

父がいつも味噌汁やおかずをほんの少しだけ残し、全部食べるよう促しても「俺は育ちがいいからちょっとだけ残すんだ」とかなんとか屁理屈をこねるのも耐えられず、「ご飯を自分で作っていないし、残したものを捨てる罪悪感を実感してないから平気で残すんでしょ。残すなら、自分で片付けてね」と言い捨てて父の食器だけテーブルに残して知らんぷりする、とか。

……我ながら、ゲンナリ。
胸がチクチクして、腹がドロドロして、体全体がどんよりしてくる。
自分の偏狭さ、未熟さが恥ずかしくなると同時に、そんな風になってしまう原因を作っている父の存在が疎ましくなる。
そして、全てが嫌で嫌でしょうがなくなる。

ある時、抑えきれずに涙が流れてきて、「あ、これはまずい、放っておいたらダメだ」と悟りました。

思えば、札幌に飛んでいってから私はずっと、何ごとも父を優先して行動してきたんですよね。とにかく父が環境の変化でパニックを起こさぬよう、父の理解に合わせた言葉でゆっくり繰り返し説明し、父のペースに合わせて計画し、父と一緒にゆっくり歩き、所沢に連れてきてからはケアマネさんやデイケア施設の担当者さんとの面談をこなし、仕事にでかけた日は速攻で帰宅して食事を作り食べたら片付け、父が規則正しく生活して体調を崩さぬように目配りするといった具合。加えて、できるだけポジティブな声かけを心がけ、父が前向きなモチベーションが持てるように心配りしてきた。

でも、無性に泣きたくなって気づきました。
今、私に必要なのは、自分ファースト。私自身を 優先しなきゃ。

じゃないと、徹底的に父を嫌いになりかねない。
昨年来、ボケている父を観察しながら自分なりに試行錯誤して、父の状態を理解し、人格を認め、愛おしむように心がけてきた過程をブログにも少しずつ記してきましたが、ここにきて否定感が雪崩うって押し寄せてきたのです。
そうなってくると、父が歯に挟まったものを取ろうと舌打ちしてチェッチェと大きな音を立てるのも、社会の窓を開けたままで平気でいることも、所定位置から自分で動かしたアレコレをあたかも私が無断で動かしたかのように言いつのってくるのも、そもそも私や姉が担っている父の世話や家事に無頓着で横柄でいることにも、耐えられないよぉぉぉぉぉ!……と叫びそうになってしまった。

でも、ふと、思いとどまりました。
ちょいと距離を置いてみようではないか、と。

で、すこし俯瞰してみると、実は問題は、私の中にあるんじゃないか?ということに思い至りました。
私が無意識のうちに自分に課してきた「父親ファースト」、いったいそこまでやる必要があるのかな? むしろ、それが自分で自分を苦しめる原因になってるんじゃないのかな? それこそを、見直してみたらどうかな?

そう自問して気づいた見直しのポイントは、3つありました。
1つめは、自分の中にある親孝行娘のイメージ
2つめは、父の生活の安定とか安全の線引き
3つめは、姉との役割分担の考え方

1つめの親孝行娘のイメージは、いつしか自分に課してしまっていた高いハードルにすぎない。「父のためにやらなくちゃ」と思いつくことを、私は全部やろうとしていたのです。でも、本当に全部やらなくちゃダメなのかな? それに、それらは本当に父にとって必要なことなのかな?……じゃないかもね。
なら、できないことがあっても、無理しない、自分を責めない、人を責めない。聞いてくれる人がいたら、愚痴もどんどん口にしよう。

そして2つめの父の安定とか安全については、もっと緩くしていいかもしれない。
例えば、それまでは「散歩は必ず一緒について行かなければ」と思い詰めていたけれど、だいぶ町内にも慣れてきたのだから、一人で行かせればいい。ポケットの小銭入れには名前と住所と私と姉の電話番号を記したメモを入れて、携帯電話と杖を持たせて、「迷ったり歩けなくなったりしたら電話してね」と送り出せばいい。
父が「パソコンが壊れた」とか「アレがないコレがない」と言ってきたときも、すぐに応対しなくていい。「3時まで待っててね」などと、状況によって後回しにすればいい。

3つめの姉との役割分担については、それまで阿吽の呼吸で分担してきたつもりだった。私としては、なるべく姉の負担が重くならないようにと気をつけてきたつもりだった。でも、父に対してできることも、やりたいと思うことも、姉と私では違う。父に対する感情も接し方も同じじゃない。だから、均等に世話することもできないし、そもそも何を基準に均等かなんて、測りようがない。それなら、それぞれができることを、できるだけ無理のないように融通すればいい。で、「えっ!? それも私がやるの?」と感じたときは、一人で呑み込まずに「じゃんけんで決めよう」と提案することにした。

そうやって俯瞰してみて、思いました。
これからは、ズボラでいることを自分に許そう。先回りはせずに、「あれ、ごめーん、やってなかったね」くらいでちょうどいいと思おう。
自分がやりたいことがあるときは、父と距離を取ろう。父が多少困っても不安になっても、離れていていいと思おう。

そう自分に言い聞かせたら、ボケた父のことがまた面白く愛おしく感じられるようになるんじゃないかな、という気がしてきたし、面白く愛おしい父の様子を、またブログにも書けたらいいなぁという気持ちも湧いてきました。

今回は、チクチクギスギスした私の心におつきあいいただいてしまいましたが、次回以降は、吹っ切れてると思います。乞うご期待!