超高齢化社会を生き抜くために、わたしたちはどうすればいいのだろうか

気になること

わたしは今、超高齢期の父の世話や母の施設との連携や事務手続きのために、日々、かなりの時間と労力を費やしている。
その日々から気づくことや父の迷言などをこのブログに綴るのは楽しいし、超高齢化社会の現状をしっかり観察して自分の老い先を考えるヒントにしたいという魂胆もある。そもそも、なんだかんだいっても自分の親のことだ。だから、ときどき「やってらんないわ」と愚痴りながらもやりがいは感じるし、「やらなければ」という覚悟もある。

だけど、前回のブログ高齢の父母のこれからの身の振り方についてに書いたように、あまりに父母がここに至るまで身の振り方を主体的に考えていなかったことには愕然としつつ、「じゃあ、この先、アラ環のわたし自身は老い先に備えて何ができるのか?」と自問すると、70代・80代・90代の自分と未来の社会状況までは想像ができずにモヤモヤしてしまう。

そのモヤモヤはかなり濃い霧なのだが、春日キスヨ著『百まで生きる覚悟 超長寿時代の「身じまい」の作法』(光文社新書2018年11月発行)を読んだら、ひとまず視界に少しだけ光が射してきたような気がしてきた。

著者の春日キスヨさんは、1990年代初めから、高齢者支援の現場での勉強会や、問題を抱える高齢者・家族に対する聞き取り調査などを行いながら、社会における高齢者の変化を追ってきた研究者である。
2000年の介護保険開始以降は、単身息子による同居高齢者の虐待問題が急激に増え、近年はそれが減ってきた代わりに、80代後半以上の夫婦2人暮らし、ひとり暮らし、身寄りのない長寿期の人、高齢で自立できないシングルの子と長寿期の親の双方が困難を抱えるパターンが増えているという。

そして、子世代からは最近、こんな言葉をよく聞くと著者は書いている。

元気なうちに、自分が倒れた後、どこで、どのように過ごしたいのか、自分の考えを持って備えておいてほしかった。自分でしていたのはお金と葬儀場の予約だけ。もう、全部、丸投げで、大変なんですよお!

まさに、それはほとんど、わたしの悲鳴だ。
わたしだけじゃなかったのね。
というか、超高齢期の親をもつ多くの人たちが直面している大問題なのですね。
今わたしが日々感じている重荷と同じような重荷を、丸投げする親をもつあなたもあの人もこの人もみんな、ずっしりと背負っているということなのだ。いったい、全部合わせたらどんだけの重量になるだろうか?と想像せずにはいられない。つまり、もはやそれは社会問題なのだ。

著者は、さまざまなアクティブシニアと超高齢期の人たちからの聞き取りと観察を通して、ほとんどの人たちが将来介護されることに対して非常に強い不安を感じているにもかかわらず、成りゆき任せで備えができていない現状をこんな風に分析している。

長寿化が急速に進むなか、多くの人がまだ「人生80年時代」の意識しか持てずにいて、それよりもずっと長く生きる可能性が高くなっていることを自分ごととして認識できていない。さらに社会の空気に蔓延する「ピンピンコロリ願望」に憑かれて「生涯現役」を信じて疑わず、自分が介護されるなどという状況は想像できない、というか、そんなことからは目を背け、むしろあれこれ元気にチャレンジすることに力を注いでしまう。誰も怖いものは見たくないのだ。そして80歳以上になって「最期は自宅で迎えたい」と言っている人でも、例えば現実にヘルパー利用料金がいくらかかるかすら知らない人がほとんどで、結果、口では「子どもの世話にはならない」と言いながら、結局は「子どもに丸投げする」という生き方になってしまっている。いざ倒れたり認知症になったりしたときには判断力を失って手遅れになるという厳しいリアリティを、自分ごととして想像できる人はほぼ皆無なのだ。

とはいえ、しっかりと老い支度を整えようとしている希少な超高齢期の人もいる。ただ、そういう奇特な人ですら、実際に倒れたときの備えはできていない。それは、社会制度に原因があると著者は指摘する。
例えば、備えとしてケアマネージャーとつなぎをつけておきたいと思っても、介護保険制度的には要支援・要介護の認定が起点になるため、元気な高齢者が事前にケアマネと相談することは制度上できないのだ。結果、ひとたび倒れて判断能力・自己決定能力を失ってしまったら、人任せにならざるをえなくなる。

この本を読んで、社会全体で「人生100年時代」のシビアな現実から目をそらさず、ピンピンコロリ幻想を手放し、「健康づくり」も大切だけど「ピンピン・ヨロヨロ・ドタリ」という経緯でしかあの世に逝くことができない事実を直視して、それを学ぶ機会を増やしながら、社会制度も早急に変えていかなければならないことが、よく理解できた。

いま、高齢の親たちからの「丸投げされる体験」をなんとか切り抜けようと日々格闘しているわたしたちが、そこからの学びを糧にして知恵を集め、次世代の重荷を減らすにはどうしたらいいか考えながら自分たち世代の老い支度を整えていくことが急務だと思う。なにしろ、これまで高齢化と少子化は平行して進んでいて、これからは超高齢化と超少子化の流れが滝のように怒涛の勢いを増しながら下っていくのだ。そして月日は、わたしたちの老いとともにどんどん加速する。アラ環のわたしも、あっというまに高齢者に仲間入りしてしまうだろう。

この本の巻末には、著者が「もし、あなたが家の中で転倒して、大腿骨頸部骨折してしまったら……」という場面を想定し、そんなときでも困らないような日頃の準備がリストされている。その名も、【転ばぬ先の備え −−−まさかのときの知恵袋】。
受診、入院、入院期、退院期、退院後の暮らしや金銭の困りごとまで、時系列でまとめられている。ほかにも、社会とのつながり、家族関係、友人・知人関係、生活能力や身体的自立度の低下など、ライフイベント表を書くうえで参考にすべき視点も付記されていて、とても参考になる。本書の随所で紹介されていた希少な老い支度実践者たちの知恵も、頭に刻んでおくべき価値がある。

これから老い支度にかかろうとしているあなた、自分の親に老い支度をすすめたいあなた、親の介護と格闘しているあなた、そして介護や社会制度の構築や運営にかかわる役所の方々や政治家の人たちにも、この本を絶賛おすすめします。