日本国憲法に刻まれた「男女平等」のうしろに、「日本の女性が幸せになるためには何が一番大事か」を考え抜いたベアテさんがいる

気になること

ベアテ・シロタ・ゴードン著『1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』(平岡磨紀子構成・文/柏書房1995年10月)を再読した。

はじめて読んだのはかれこれ20年以上も前になるが、いたく驚き、かつ深く感動したことを今も鮮明に覚えている。

何よりの驚きだったのは、日本国憲法の草案が連合軍総司令部(GHQ)の民政局のアメリカ人25名のメンバーによって作成されていたという事実だ。
もちろん、私とて小中高を通して学校の社会科や日本史で日本国憲法については学んでいた。だから、「基本的人権」「主権在民」をはじめとする民主主義の理念に貫かれた新しい憲法が敗戦後にできたことも、それが日本社会で一番重要な「最高法規」だということも知っていた。
でも、この憲法が「どうやってつくられたか」は、まったく知らなかったのだ。

そして著者であるベアテ・シロタ・ゴードンさんが運命に導かれるようにGHQの民政局の一員となり、日本の女性が幸せになるには何が一番大切かを考え抜き、憲法の人権にかかわる条項のなかに「女性の権利」を明記するに至った経緯と熱い思いを知り、心を揺さぶられた。

ベアテさんは当時22歳。世界的に有名なピアニストで東京音楽学校の教授だった父親のレオ・シロタさんと母親のオーギュスティーヌ・シロタさんとともに、5歳から10歳まで東京赤坂で育ったベアテさんは、翻訳や通訳ができるほどに日本語に精通していたし、何よりも日本社会における女性の地位の低さを日常感覚で知っていた。

憲法草案で「人権」の条項における「女性の権利」の担当となったベアテさんの脳裏に浮かんだのは、赤ん坊を背負った女性、男性の後をうつむき加減に歩く女性、親の決めた相手と渋々お見合いをさせられる娘さんの姿、子供が生まれないというだけで離婚される女性たちの姿だった。財産権も選挙権も裁判を起こす権利もなく、「女子供」とまとめて呼ばれて子供と成人男性の中間の存在でしかない女性たち。かつてホームパーティで耳にした「あそこの家では、お妾さんと奥さんが同居している」「夫がどこかで産ませた子供を、突然連れて帰ってきて養子にした」といったヒソヒソ話と、諦めの中に深い嫉妬と怒りを押し殺して生きる数々の女性たちの顔も、ベアテさんは思い出す。

そしてベアテさんは、「自分が気づかなかったばかりに、後で日本の女性たちが苦労することがないように」と念を入れて各国の憲法を読みなおし、女性の権利の表現を何度も何度もチェックする。日本女性の味方は自分一人しかいない。そんな切迫した思いに急かされるように草稿を何度も何度も書き直す。

しかし、当時の日本の社会状況や国民感情を配慮しながら草案を推敲するにあたって、担当メンバーと責任者のあいだで多くの激論が交わされる。その過程で、ベアテさんがどうしても必要だと考えていた言葉がどんどん削られてしまう。

例えば、「妊婦と乳児の保育にあたっている母親は、既婚、未婚を問わず、国から守られる」「嫡出でない子供は法的に差別を受けず、法的に認められた子供同様に、身体的、知的、社会的に成長することに於いて機会を与えられる」「女性は専門職業および公職を含むどのような職業にもつく権利をもつ。その権利には、政治的な地位につくことも含まれる。同じ仕事に対して、男性と同じ賃金を受ける権利を持つ」etc.etc.

削られた理由は、「社会保障について、完全な制度を設けることまでは民政局の責務ではない」ということ。また、全体のボリュームを減らさざるをえなかった事情も、削除の背景にはあった。

ベアテさんはそのときの苦痛を、こう記している。
「私の書いた“女の権利”は、無残に、一つずつカットされていった。一つの条項が削られるたびに、不幸な日本女性がそれだけ増えるように感じた。痛みを伴った悔しさが、私の全身を締めつけ、それがいつしか涙に変わっていた。」

しかし、ベアテさんが心を砕きながら刻んだ言葉は、すべてではなくても新憲法にしっかりと残された。しかもそれは、戦後の日本女性に新しい地点での飛躍的なスタートを実現させることになる。

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない

日本国憲法

日本国憲法は、先人が蒔いてくれた希望の種

民政局での推敲の過程でいくつも削られ、かろうじて残された女性の権利に、さらなる存亡の機が立ち現れる。

GHQが示した草案について、白洲次郎を含む日本の代表5名と民政局の代表4名が合同で草案を検討した会議でのことである。5人の通訳のうちの1人はベアテさんだった。

午前10時からはじまった会議では、一つひとつの条項の翻訳・検討が進められた。ベアテさんのチームが担当していた人権条項に関する検討に入ったのは、日付が変わった午前2時。
長丁場で疲労困憊で睡魔と闘っていたベアテさんだったが、日本側の発言で冷水を浴びせられたように眠気が吹っ飛んだ。

その発言は、「次の人権に関する条項は、日本の国には向かない点が多々あります」というのもの。そして次々と指摘された「日本人に適さない点」のなかには、「女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない。日本女性には適さない条文が目立つ」というものまであった。
当時の日本人に人権感覚が希薄で、とりわけ男尊女卑がどれほど根深かく巣食っていたかが、このことからもわかる。

それに対して、民政局のトップは「この日本で育って、日本をよく知っているミス・シロタが、日本女性の立場や気持ちを考えながら、一心不乱に書いたものです。悪いことが書かれているはずがありません。これをパスさせませんか?」と提案した。
長丁場の会議を通してベアテさんを「日本人に好意を持っている通訳」と感じていた日本側は、「このシロタさんが? それじゃあ、おっしゃる通りにしましょう」と承諾したという。

女性の権利は、ベアテさんが草案に記し、さらに会議で日本人の立場や気持ちに親身になって通訳をしていたおかげでかろうじて残され、憲法に刻まれることができたのだ。
女性が幸せにならなければ、日本は平和にならない」というベアテさんの真摯な思いと粘り強さのおかげで、私たちの「今」があるといっても過言ではないだろう。

そして日本の代表が「日本人に適さない」と指摘した「人権」が、全体のほぼ3分の1を占めていることが、日本国憲法の大きな特徴でもあることに、今、あらためて注目すべきだと私はこの本を再読して思った。

『1945年のクリスマス』には、連合軍総司令部(GHQ)の民政局が草案を作成することになった経緯もくわしく記されている。

軍国主義だった日本を改造するために、GHQは日本政府に新しい憲法を作成することを求めた。しかしその草案は、明治時代の大日本帝国憲法とほとんど変わるところのないものでしかなかった。「国民」はまだ「臣民」と記され、教育や勤労についての権利義務や、法律によらずして自由や権利を侵されることはないといった条文は加えられていたものの、民主主義の根本をゆるぎなく定めるようなものではなかった。人権が十分に保障される内容ではなかったし、ましてや女性や子供に触れる条文など見当たらなかった。

そこでGHQの総司令官のマッカーサーは、日本の軍国主義的組織を解体して民主主義化するための政策を推進する役割を担っていた民政局に、代替案の作成を任じたのだった。

「民政局は、軍服こそ着ていたが、弁護士や学者、政治家、ジャーナリストといった知識人の集団だった」とベアテさんは書いている。
そして彼らが草案を練っていた場には、「とにかく、戦勝国の軍人が、支配する敗戦国の法律を、自分たちに都合よくつくるのだなどという傲慢な雰囲気はなかった。自分たちの理想国家をつくる、といった夢に夢中になっていた舞台だったような気がしている」と追想する。

ベアテさんは、民政局での議論における主要メンバーの発言の記録も引用している。
「今回の憲法改正は、日本に民主主義政治を樹立するだけでは不十分です。今日までに、人類が達成した社会および道徳の進歩を、永遠に保障すべきだという理想を掲げなくてはなりません

こうした記録を読むと、日本国憲法は、長年の世界的な戦闘の果てに紡がれた平和を希求する理想であることがわかる。そして一人ひとりの人間の尊厳が守られるべきだという人権の概念の根っこに、戦争中に多くの不遇不幸を経験した人たちの願いが凝縮していることもわかる。
日本国憲法は、悲惨な戦争を二度と起こすことなく人々が幸せになるために、国籍を超えて知恵と希望を託したバトンなのだと私は思う。

にもかかわらず、日本には長らく、この日本国憲法がGHQによる押し付け憲法であり、日本人が自ら新しい憲法をつくるべきだという意見を持つ人たちがいる。「改憲は私の悲願」と声を大にする現首相もメンバーである「日本会議」が組織する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のWebサイトを見ると、現在の憲法は「戦勝国アメリカが、敗戦国日本を永久に隷属させるための順守事項を列挙した誓約書」だというような“声”まで紹介されている。
そんな主張をする人たちには、ぜひ『1945年のクリスマス』を読んでいただきたいと思う (そういう人たちは、22歳の娘っこが携わっていたことを知れば、さらに改憲の必要性を訴えるのだろうが)。

この本には、憲法草案がどのような考え方で作成されたかを後世に伝えられるよう、日常の仕事に至るまできちんとした報告書を民政局チームが作っていたことも記されている。その書類は、今も国立公文書館や国会図書館に残されているのだ。
今、公文書改ざんに絡む疑惑の数々が問題になっている首相をはじめとする閣僚たちは、憲法改正を声高に唱える前に、当時の憲法草案チームを見習って、日常の仕事の詳細に至るまで報告書をしっかりと作成することから出直してほしいものだ。


かくして1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された日本国憲法。
70余年を経て、新型コロナウイルス感染拡大とその影響でこれから大きな世界的な経済危機の津波が押し寄せてくることが予想される今だからこそ、読み直し、そこに込められた意味や思いを再確認したいと思う。

「人権の条項が、憲法にこんなにたくさん盛り込まれて充実しているのは、草案者のベアテさんが女性で、生活者であったからだと思うのです。憲法学者ではなく、素人であったことが良かったと思います。憲法の専門家なら、いろいろな規約にとらわれるけれど、ベアテさんは人が幸せになるためには何が必要かを知っていて、その本質をズバリ書いて下さった、それが良かったと思います」
とは、憲法学者で衆議院議長も務めた土井たか子さんの言葉。あとがきに、この本の構成・文を担当した平岡磨紀子さんが記している。
読みながら、昨今、新型コロナウイルス感染対策で信頼を得ているニュージーランドや台湾の若い女性リーダーの顔が思い浮んだ。憲法も政治も、生活者である若い女性の視点が加わると、現実を生きる一人ひとりに寄り添うものとなる。

生活感がなく、人々の幸せになどには思いを馳せず、利権にばかり囚われ、セクハラ・パワハラ・モラハラを繰り返すオジサン政治屋たちには、決して改憲などさせてはいけないと、あらためて思いを強くする。

みなさん、何はともあれ『1945年のクリスマス』を一度読んでみていただきたい。
ヨーロッパを迫害されたユダヤ人であったベアテさん一家の物語としても、戦後に日本やアジアの芸術文化をアメリカに紹介するプロデューサーとして活躍した一人の女性のキャリア物語としても読める、凝縮した素敵な一冊です。