「引き算の世界」の人と穏やかに付き合う方法とは?

気になること

ネット予約した本を借りに図書館に行ったとき、ふと見ると、「認知症」に関する本がセレクトされた棚があった。何冊かは表紙が見えるように立てて置かれていて、まっさきに目に飛び込んできたのがこの本だった。
「これこそ、今私が読むべき本だ!」と直感した。

というのも、専門医の診断は受けてはないが、現在91歳の父は明らかに認知症が進んでいて、おかしな言動の頻度が高くなっている。
8月に母が大腿骨を骨折して入院してしまい、姉と私が住む家に父を連れてきて一緒に暮らすようになってから、以前よりも辻褄の合わないことを主張することが頻繁になった気がする(そばで過ごす時間が長くなったからかもしれないが)。しかも、その辻褄を指摘しようものなら大声で怒り始めることもあり、対応に窮することがしばしばだ。
だから、いくら父の言うことがまっとうじゃなくても、まず聞く姿勢を示そう、あるいは、なるべく否定せずに話題を変えよう、と心がけてはいるのだが実際には難しくて、なんだか言い合いめいた言葉の応酬になってしまって後味の悪い疲労が残ることがしょっちゅうある。

そんなわけで、『認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ』(右馬埜節子著/講談社2016年3月発行)は、きっと実践的なヒントをたくさん与えてくれるに違いないとビビッと直感したというわけ。そして期待どおり、「なるほどなるほど」がギュッと詰まった本でしたよ。

著者はまず、こんな風に説明してくれる。
一番のポイントは、認知症の人の場合、記憶が新しいものからどんどんこぼれ落ちていくということ。生まれてから人は様々な体験を通して学んだことを次々と記憶して成長していく「足し算の世界」に住んでいるけれど、認知症の人はその逆で「引き算の世界」に入っている。だから、何はともあれ「住む世界が違う」ということを認識すべきなのだ。そして、「足し算の世界」の常識や理屈を押し付けるのではなく、認知症の人の「引き算の世界」にこちらが合わせることで、本人から納得を引き出すように誘導する。それが認知症の人も介護者も共に穏やかに日々を過ごすためのコツなのだと著者は教えてくれる。

文章の合間には、数々のエピソードの漫画が挟み込まれている。例えば、デイケアに行こうとしない元税理士さんに「うちの申告もお願いできませんか?」と頼んで施設に連れ出す。デイケアで「私のコートがない!あの人が盗んだ!」と言い張る人に、「ごめんなさい!割引セール中だったからクリーニングに出しちゃったの。明日にはきれいになって戻ってくるわ」と言って納得させる。ショートステイに「高級ホテルに泊まる」と言って連れて行く。etc.……そうか、「引き算の世界」と「足し算の世界」を橋渡しするってことは、つまり「嘘も方便」ってことなのね。

“異なる世界に歩み寄ることができる私たちが、認知症の「忘れる」という特性を上手に活かしてその場の空気を変えること。場合によっては笑顔を生み出して明るくすること。それが最も大切なことです。認知症の人にも介護者にも「優しい関係」をつくり出す手段、それが私の提案する「引き算」を使った認知症介護なのです。”

なるほど無駄に気持ちをささくれだたせて怒鳴りあったりするよりは、「引き算の世界」の人が納得できる嘘を活用したほうがいい。これまで、父が苛立ちそうなときは話の方向を変えようとしてきたけれど、これからは嘘も上手につけるようになりたいものだ。

家族の心理についての解説も、心に沁みた。
認知症に詳しい川崎幸クリニック院長の杉山孝博医師によると、認知症介護にあたる家族の心理的変化は、「否定」「混乱」「怒り」「あきらめ」を経てようやく、認知症の「受容」という段階に到達するのだそうです。うまくつき合えるようになるまでに、家族がつらい思いをするということは、誰もが知っておくべきです。

……私は今、「混乱」「怒り」「あきらめ」を行ったり来たりしながら、少しずつ「受容」に向かっているところなのだと思う。葛藤の多い日々だけど、認知症の人とうまくつき合えるようになるまでは誰もがつらい思いをするし、あたふたしながらも「受容」に向かっていけるのだと知ると、父の現状も自分の葛藤もひっくるめて受け止められる気がしてくる。

とはいえ、認知症専門相談員だった著者の知恵と技をそっくりそのまま使えるとは限らない。父の「生きざま」を理解したうえで、その場その場に応じた「嘘」でなければ父の納得は引き出せないわけで、やはりなかなか実践はしんどいなぁとため息が出る。特に、自分でお金の置き場所を変えたのに、「お前が取ったんだろ!」と詰め寄られたことなどを思い出すにつけ、どうしたものかと頭を抱えたくなる。

だけど、この本を読む前よりは、客観的に俯瞰して対処できるようになれそうな気はする。少しずつでいい、異次元の世界に慣れていこう。