90歳の父を連れて、札幌から所沢へ帰ってきました

気になること

一昨日、90歳の父をともなって、札幌から所沢まで移動してきました。

父の自宅近くのバス停からリムジンバスで新千歳空港へ、そして飛行機で羽田空港へ飛び、リムジンバスで東所沢駅、そこから自宅までタクシーという道程で、朝8時前に出発して午後3時半頃に到着、およそ7時間半をかけての大移動でした。

いやー、長かった。もう、クタクタ。
自宅に着くころには、私は意識が半分朦朧とするほどくたびれ果てていました。

どうしてそんなに疲労したかというと、遠距離移動は体力を使ういうのが根本にあるわけですが、それよりも90歳の父に気を使わなければならなかったのが大きな要因でした。
なにしろ今は、北海道も東京も埼玉も新型コロナウイルス感染の第5波の最中で、ものすごく感染予防に神経を使う状況にあるわけです。ところが、この90歳の老人は何かとマスクを外したがる。マスクをぐいっと顎まで下げて、鼻の下だの口の脇だのをポリポリ掻いたり、なんとなんと、鼻クソをほじったり、歯に詰まったものを取ろうと口に指を突っ込んだりもするんですよ。ちょっとちょっとぉー、もー、無礼千万、見てらんない。
もともとダンディとか紳士とかといった雰囲気のない父でしたが、ここまでしゅう恥心なくマナーを無視するとは、ほとほと年をとるのが恐ろしくなる。

耳元で「マスク!」とか「ソレ、きたない!」と注意しても聞こえないんだか聞こえてないフリをしてるんだかなので、こちらも声は出さず直ちに無言で対応するようになるわけです。で、マスクが顎にかかっていると見るやいなや手を伸ばしてマスクを所定の位置に引っ張りあげる。それを何度も繰り返すうちに、父は「やめろ!」と怒ったり、「マスクは嫌なんだ」と声を荒らげたりする。バスの中でも飛行機の中でも、「マスクの着用をお願いします」と繰り返し繰り返しアナウンスが流れているにもかかわらず、これです。

東所沢でタクシーに乗ったときに至っては、運転手さんの後部席に座った父がわざわざ身を乗り出し、マスクを顎まで引き下げ、「いや〜、この辺りも変わりましたなあ」と喋り出すではないか。「変わりましたなあ」などと気取った口調で郷愁にひたりたい気持ちはわからないではないが、目の前には「お願い:常にマスクを着用してください。お話はお控えください」と赤字で書かれた黄色いシートが貼ってあるんですよ。「お客さん、やめてください」と運転手さんの背中がアクリル板越しに語っている。慌てて私は「パパ!」と小声で厳しく制止し、目の前の黄色いシートを指差したのだが、見たんだか見てないんだか父は「またお前は!」と不機嫌に鼻を鳴らした。
もー、まじ、「クソじじーっ!」と叫びたくなりましたよ。

そんなわけで神経すり減る道中でしたが、たいへんありがたかったのが空港での車椅子サービスでした。
事前に電話で新千歳空港ビルに問い合わせたところ、親切なことに到着時刻を見計らってリムジンバスの降り場までスタッフさんが車椅子を持ってきてくれて、おかげでANAのカウンターまでのスムーズな移動が可能になりました。途中、お弁当屋さんで昼食のおにぎりと鶏ザンギを調達したり、車椅子をベンチ脇に止めて父に待っていてもらって愛犬マリアを駐車場でプチ散歩させたりもできました。カウンターでマリアを預けたあとは、ANAの車椅子に乗り換えて保安検査へ。検査場で父のセカンドバッグをカゴに入れようとしたとき、状況判断ができていない父が「俺のカバンを取るな!」と私に声を荒らげるという小さなトラブルはあったものの、係員さんはいたって落ち着いた様子で車椅子を押してそのまま通過してくれました。出発までに時間の余裕があったので、売店を2つハシゴして新聞とヨーグルトドリンクを買うこともできました。車椅子がなかったら、こんなスムーズな移動は不可能だったでしょう。

搭乗時は、子ども連れの方々とともに最初に案内され、搭乗口から飛行機までの通路は係員さんが、下り坂は後ろ向きに、床に継ぎ目のある箇所はゆっくりと、丁寧な車椅子さばきで父を運んでくれました。
羽田空港では、ほかの乗客がみんな降りてから最後に移動。飛行機を出たところに係員さんが車椅子を準備して待っていてくれて、荷物受け取りカウンターでマリアを引き取り、リムジンバスのチケット売り場に至るまで丁寧に介助してくださいました。
いやもう、本当にありがたかったです。

父は「車椅子なんて大げさだ。俺は歩ける」と言い張っていたのだけれど、足腰がどんどん弱っていて散歩中には電信柱や柵につかまって休むことがままあるし、ときにヨロヨロとあらぬ方向に歩みを進めていくこともある。かたや私はといえば、リュックを背負い、マリアのバッグを肩に下げ、荷物は少なめにと思っていても財布やスマホや飲み物を入れた手提げ袋に加えて母があれこれ買いためてあった賞味期限ぎりぎりだけど捨てるにしのびない漬物類なんかを入れた3kgほどの保冷バッグまで持って帰ることにしてしまったアラ還おばさんだ。車椅子なしで、足元も脳内もフラフラしている老人を連れて空港内の移動をしのげたとは思えません。

そんなわけで、長時間にわたる移動ではあったものの、実際に父が歩行しなければならなかったのは、自宅からバス停の100m程度、東所沢のリムジンバス降り場からタクシー乗り場の30m程度だけで済んだ。振り返ってみれば、たったそれだけ。
おかげで転倒や行き別れのアクシデントなく、無事に父を所沢に連れてくるというミッションをコンプリートできました。

長時間移動と父の無礼千万な態度に疲労困憊した私は、自宅に着いたとたん、「しばらく姿も見たくない、声も聞きたくない」と姉に愚痴り、父の世話を全面的にバトンタッチしてもらった。フゥーッ! ドタッ、ゴロン。

ハラハライライラの募る大移動だったけど、きっと後で振り返ると懐かしくなるのかな・・・と思うので、こんなこと書いたと知ったら父はきっと怒るだろうけど、忘れないうちにブログにしたためておきます。

大腿骨骨折で入院している母の回復とその後の状態がどうなるか予測はまだつかず、父との生活は数ヶ月に及びそう。ハラハラドキドキは尽きないでしょうが、せめて小さな笑いはたくさん拾い集めていきたいものです。