今年の8月は、札幌には来ないつもりだったんですよ。
仕事の予定も入ってるし、新型コロナウイルスの第5波が全国的に凄まじい状況になってるし・・・で、7月中旬に姉が介護に行ってくれたので、次は私が9月中旬に行くという予定を立て、高齢の父母が二人でなんとか夏を持ちこたえてくれたらと祈っていたわけです。
しかし、見込みが外れてしまった。
8月12日の早朝、なんと、父から電話で「ママが転んで大腿骨を骨折して、救急車で病院に来ている」と知らされたのでした。
父は、近所に住む妹の携帯に電話したけど出なかったので、私にかけてきたとのこと。
90歳の父は、彼の携帯に設定されている家族の名前のボタンを押すことはできるけれど、それ以外の操作ができない。むろん、妹が携帯に出なかったら固定電話にかけ直すことなどできないので、私の名前のボタンを押したというわけだ。かなりボケている父にしては、上出来の機転だ。
私はすぐに妹の家に電話をして、急ぎ病院に向かってくれるというので一安心できた。
さっそく妹と電話が通じたので私はフウーッと安堵の息をついたのだが、次の瞬間、「いやいや、一段落してはいられないぞ」と気がついた。母が入院してしまったら、父はどうなる?
来月91歳の誕生日を迎える父は、かなりボケている(昨年の顛末を「父のこと」で読んでくださった方は、うんうんと頷いてくださるかと・・・)。
周囲で何が起きているかわからなくて慌てたり、何度も何度も同じことばかり話したり、つじつまの合わぬことを主張したり、日にちや予定がわからなくなったり、ご飯を食べたか薬を飲んだかも覚えていなかったり、暑いのにセーターを着込んだりもする。本人もしきりと「忘れるのが怖い」「もう頭が変だ」と訴えている。そして致命的なことに、家事が全くできない。
母の入院という突発的で不安な大事件を一人で乗り越え、今日明日を一人で過ごすことなどできそうにない。それに大腿骨骨折といえば、母の入院が短期間で済まないことは容易に想像がつく。今後の段取りも早急にしなければならない。初動が遅れれば、負担が大きすぎて妹が潰れてしまいかねない。
どうする?どうする?と考えていても、どうにもならない。
ままよ、と札幌へ飛ぶことにした。
ごめんなさい、ご迷惑をおかけすることになってしまった仕事関係のみなさま。いつかご恩返しを必ず、と心に誓う。
そしてやってきた8月12日の札幌は、何日か前にはオリンピックのマラソンで参加選手の3分の1が途中棄権したほどの暑さだったというのに、なんと最高気温25度くらい。涼しすぎて、つらかった。気温差って、時差に匹敵するくらいダルくて眠いのだ。
それから毎日、家族と考えた。
で、ひとまず所沢に父を連れて行くことにしました。父を受け入れてくれるデイサービスも近所で見つかり、なんとか仕事をしながら父と暮らせそうだから。
そうなんですよ、なんと、介護保険は全国共通だということを私は今回初めて知って、もう感動です。札幌在住の要介護1の父は、埼玉県にある所沢市でも介護保険を使ってサービスを受けられるんですよ。ケアマネさんがすぐに連携してくれて、移動したらすぐに対応していただけることになって、まあなんとありがたいこと。
もちろん、父にもよくよく説明し、彼の希望も聞いた。
ほどほどの自由を確保した上でデイサービスを利用しながら所沢で私と姉と一緒に暮らすのか、あるいは自由はなくなるけれど札幌で安全な生活ができる老人保健施設のショートステイに入るのか。
結果、父も今の状況ではこの二択しかないと納得し、施設は絶対に入りたくないと主張し、「これはルネッサンスだな」という不思議な発言で所沢行きの決意を表明した。
・・・のだったが、揺れる揺れる、激しく揺れてます。
この数日、「そうだな、所沢に行けば散歩もできる」と言ったかと思えば、「無理だ、俺は一人で札幌に残る」と駄々をこねる。私が作った準備リストを見ると「俺はこんなことはできない。やめる、所沢には行かない」と言い張る(いやいや、全てやるのは私です)。
といった具合で、揺れは1日に何度も押し寄せてくる。彼の不安は、その度にジワジワと私に乗り移ろうとする。その不安に飲み込まれないようにするのが、大変です。
けど、ここまできたら、やるっきゃない。
施設に入れたら、父は確実に一挙にボケの下り坂を転げ落ちるだろう(昨年、1ヶ月の入院と2ヶ月のショートステイを経た母を見ての予測)。もちろん生活環境が変わることでボケてしまうリスクもないとは言えないが、今は、環境の変化が良い刺激になるという可能性に賭けたい。
というわけで、飛行機予約、移動中の車椅子レンタル情報収集、ケアマネさんとの相談、新聞や配食や生協宅配の休止連絡、事前に送る荷物の準備、諸々の調整etc.を着々と進めてます。
ときどき父がSOSを求めて私のところにやってきます。
「パソコンが変だ、なんだか操作方法が勝手に変わってる」(いやいや、あなたがどこか変なところをクリックしたんでしょ)、「通帳がない、勝手にお前がどこかにやったな」(いやいや、あなたが動かしたんでしょ)、「やっぱりママを置いて所沢には行けない」(だ・か・ら、ここで一人でいるのは無理だってば)・・・「いい加減にしろーっ!」と叫びたくなるが、グッと我慢。いたって呑気な風を装って、「どーしたの、どれどれ」と父の肩を叩く。
さて、どうなることやら90歳の大冒険。
こんな状況に至ったからには、私はプロデューサーになったつもりで、役者にのびのびと演じてもらえる環境を整え、役者をその気にさせることに力を注ぐしかあるまい。精進せねば。
今日は母の手術が無事に終了したとの報告を受けて一安心しましたが、出発日まで残すところあと2日。家族みんなでハラハラドキドキの日々がしばらく続きそう。