「おじさん」から少女たちが見えなくなる・・・奇想天外なのに、読後感がすごくリアルだった

日々の楽しみ

松田青子著『持続可能な魂の利用』(中央公論新社2020年5月)を読んだ。
なんとも奇想天外な発想と構成の小説なのに、読後感がすごくリアルで驚いた。

冒頭の一文は、こうだ。

「おじさん」から少女たちが見えなくなった当初は、確かに、少しは騒ぎになった。

え、何それ?・・・と否応なく「?」がフツフツと湧いてくる始まりだ。

「おじさん」のねっとりした視線の対象にされる警戒心が不要になると、少女たちの中に潜在的にくすぶっていた不安や恐怖が消え、結果、少女たちは解放された、自由になった、と淡々と綴った後で、著者は読者に伝える。

まずはあなたに覚えておいて欲しい。少女たちの世界から、「おじさん」が消えた年のことを。

こうして読者は、謎めいた冒頭を念頭にページをめくっていくことになる。

小説は断片的なパーツで構成されていて、カナダから帰国した敬子が抱く日本社会の違和感や、なぜか敬子が夢中になってしまったアイドルグループのこと、かつて敬子が派遣社員として働いていた職場の同僚のこと・・・など、時系列も場所も登場人物もまちまちに展開していく。「女子高生になってみる週間」の一環としてグループ発表する未来の少女らしき「声」によって語られている場面も、ところどころに挟み込まれる。

読者は、「なんだろう、このエピソードは?」「なんだろう、この声は?」と、たくさんの「?」を追っていくことになる。断片的で飛躍的な数々のエピソードに翻弄されながらも、それでも読者が迷子にならないのは、それらが「少女たちの世界から、『おじさん』が消えた年」とどんな関係があるかを探りながら読み進めるからだ。

読むうちに、「おじさん」とは、家父長制や男尊女卑的な思考によって女性の存在をないがしろにしたり傷つけたりする人たちの象徴であることがわかってくる。
「おじさん」は、自分たちの補助的役割を女性に担わせたり、給与や待遇の悪い非正規雇用に女性を囲い込む社会構造にしたり、少女たちを「アイドル」として消費したりする。「おじさん」こそが、女性たちが現実社会で避けることのできない理不尽さの元凶なのである。その事実が、じわりじわりとあぶり出されてくる。
そのリアルさが、記憶に新しい元JOC会長の発言や報道ステーションのCMなどの数多の女性差別問題や私自身が体験したさまざまな「おじさん」被害を脳裏にオーバーラップさせ、憤りがメラメラと胸に迫ってきた。

終盤で明かされるのは、奇想天外な陰謀である。まさか・まさかが入れ子状になっていて、その陰謀を逆手にとった奇襲によって「おじさん」が消された後の世界が見えてくる。そうか、それが「持続可能な魂の利用」だったのか・・・と、タイトルの謎が解かれるのである。あっぱれな結末だった。
だけど、あっぱれと思うと同時に、こうでもしないと「おじさん」の力を無効にできないのかぁという絶望感に傾きそうにもなった。

とはいえ、反芻するうちに私の胸にこみ上げてきたのは、あたたかな希望だった。なぜなら、おじさん社会の呪縛を解くきっかけを作ったのが、違う部署で働く非正規雇用の女性同士のつながりだったからだ。
おそらく現実でも、今、決定権を握る立場にいる人のほとんどが「おじさん」である日本社会に変化を生み出せるとしたら、それは女たちの連帯の力なんだろうな。というか、それしかない。

そろそろ私も気づいてはいたけれど、それを確信させてくれた貴重な小説だった。
松田青子さん、すごい。