昨年2019年12月後半から札幌の父母の家に来ているのだが、記録的な雪の少なさだ。1月中旬になっても雪のない地面がそこここに見られる。これは珍しいことだ。
しかし、全く雪がないわけではなく、すこぶる歩きづらい。冬用ブーツを履いて歩いているのだが、すぐに腰が痛くなる。足も脚も痛くなる。
私は生まれてから3歳までの約3年間と、小学校2年生の秋から4年生の終わりまでの約2年半、合計しても5年ほどしか札幌に住んでいない。だから雪上を歩くのは苦手だ。しかも今年のような少雪の道は、なおさら苦難・苦痛を多く感じる。
歩きにくいのは、「雪が残っていて踏み固められている部分」、「雪が溶けてグチャグチャしている部分」、「雪がない部分」が混在しているからだ。
そして気温はといえば、最低気温はマイナス5~7℃ほどに下がり、昼間の最高気温は0℃からマイナス1~2℃などという日が多い。つまり、踏み固められた部分も、グジュグジュしている部分も、朝から午前中はカチンカチンに凍っている。午後になっても、日陰は凍ったままだ。
言わずもがな、その上を歩くと滑るんである。ちょっと気を抜くと、オットット!!……ツルんと後ろに転びそうになり、不意に足や体に妙な塩梅で力を入れてしまうものだから、あちらこちらが痛くなる。
だから歩くときは、なるべくゆっくり足の裏を地面に平らに押しつけるように一歩一歩踏みしめるようにするのだが、ちょっと気が抜けた瞬間、すぐにオットット!!となる。
道を渡ろうとするときの歩道と車道の段差にも、ハイレベルの注意が必要だ。残雪が凍ってできた斜面では、滑る確率は俄然高くなる。
歩きにくさに拍車をかけるのは、多様で微妙な凹凸だ。雪が踏み固められた部分でも、雪が溶けたグジュグジュが凍った部分でも、その微妙な凹凸によって重心のバランスが乱され、オットット!!が誘発される。まったく油断もスキもありゃしない。
降ったばかりの新雪なら、着地する足をフワっと受け止めてくれるのだが、そんな親切な新雪はない。
そして意外なことに、歩きにくさに留めをさすのは、雪がない部分だったりもするからやりきれない。日当たりの良い場所や、マンションやクリニックなどに沿ってロードヒーティングされた場所を通るとき、一瞬、「ああ、ここは大丈夫」とホッしそうになるのだが、そこに足を踏み入れたとたん、お腹の芯からズシンと地面にひきづられそうな重さを一歩一歩感じることになる。冬靴の裏に施された滑り止め加工が、アスファルトの表面に妙に密着してあらぬ力を発揮するのだろうか。これがまた、なんともしんどいのである。
そんなわけで、雪が残っていて踏み固められている部分と、雪が溶けてグジュグジュしている部分と、雪がない部分とが不規則にまだらに現れてくる道は、それぞれに私の神経をフル活用させ、あらゆる筋肉に複雑な反射運動を要請し、ときに大小さまざまな揺さぶりをかけて転ばせようと仕掛けてくるのである。ああ、しんどい。
そんな風に、少雪の道と格闘しながら歩いていた今日、ほんわりと心を明るくしてくれるものを見つけた。
札幌の街にはあちらこちらに「砂箱」が設置されていて、「滑り止め材」が備えられているのだが、通りがかりの「砂箱」に、こんな「砂のまき方」が貼ってあったのだ。
この書き文字、このイラスト♡ 思わずにっこり、心はほっこり。
円山小学校6年生さん、ありがとう!
心が明るくなると、道に撒かれた細かな砕石が「ご飯にふりかけたごま塩」のように見えてきて、楽しく一歩一歩踏みしめながら歩けましたよ。