「凹む」という字は使えません

日々の楽しみ

鉛筆で「凹む」と書いたら、その文字がピコんと赤枠で囲まれた。そして、「使用できない文字が含まれています」とポップアップ画面が浮かび出てきた。

エーッ!? 紙に鉛筆で書いて、こんなことが起こるなんてスゴイ!
いったいどんなテクノロジーなんだ!?

と思ったところで目が覚めた。夢だったのだ。

そして、笑ってしまった。
というのも、去年の秋から週3回通っている勤務先での、こんな体験があるからだ。

勤務先は一般の人たちからの相談を受けるセンターで、全国の拠点がつながっているシステムに相談内容を入力するのも業務のひとつになっている。入力すべき項目は多岐にわたり、キーワード分類を選んで入力しなければならない箇所もある。
で、全角文字を入れるべき箇所に半角文字やスペースを入れたり、関連項目と違うキーワードを選択したりすると、「使用できない文字が含まれています」「◯◯には△△を入れることはできません」などとポップアップ表示が出て、該当箇所が赤線枠で囲まれる。その指摘と指示にしたがって修正し、「エラーチェック」のボタンを押して「チェックしました」と認められれば、ひとまずOKだ。

勤務日には、そうした入力を何度も行う。そして、この職に就いてからやっと5ヶ月、まだ相談業務にも入力作業にも習熟しきれていない私には、入力のたびにポップアップ表示と赤枠に間違いを指摘されない日はないのである。
そんなわけで、こんな夢。笑っちゃう。

しかも、「凹む」という字を、私は前の晩、紙に書きつけていた。

というのも、私は気持ちがモヤモヤしてどうにもならないとき、紙に書きたくなるのだ。
例えば、「つらいつらい」「やだやだ」「むりむり」とか。
そのモヤモヤした気持ちに一番近そうで、そのとき浮かんできた言葉をキャッチして、とりあえず書いてみるのだ。
そうすると、モヤモヤを解く手がかかりが見えてくることがある。手がかりが掴めなくても、なんとなく落ち着くこともある。

というわけで、前の晩、私は「凹む」と紙に書いた。
「かなり凹む、すごく凹む」と続けて書いた。

その日、職場の先輩が、最近私が受けた相談の記録を見ながら「これはどんな判断でやったの?」「どうしてこう言ったの?」などと次々と質問を投げてきた。
すぐに答えられたものもあれば、しどろもどろで答えにならなかったものもある。
そして、「それは変だよね?」「何が論拠なの?」「それは個人的見解としてはよくても、相談員としてはどうなの?」・・・などなど鋭い指摘を立て続けに受けた。

グググ・・・。
申し開きしようのないことばかりだった。
ただただ、知識不足と経験不足と思慮不足が露呈するばかり。あぁ。

失敗から学ぶしかない。
ビシッと指摘して教えてくれる先輩に感謝しなければ。
と思っても、あぁ、あぁ、あぁ、どうして私ったらぁ・・・という劣等感に苛まれずにはいられなかった。

そしてその晩、モヤモヤを抱えて鉛筆を持ち、書きつけた言葉が「凹む」だったわけだ。

で、「凹む」と書いてモヤモヤが解けたかというと、まあ、そうはいかない。
だって、書いたからって、急に知識が増えるわけでも経験値が上がるわけでも思慮が深まるわけでもないんだもん。

だけど、こんな風には思えた。
時間はかかる。というか、時間をかけてやっと身につくことはある。
これまでも、あぁ、あぁ、とジタバタしているうちに、「あれ、できるようになってるじゃない」と思える瞬間に至れたこと、あったんじゃない、自分?

とはいえ、モヤモヤが解けないままなのは嫌だから、「いっそ泣いちゃう?」と心に問いかけて泣くことにしてみたんだけど、ちょっとした諦めに至っていたこともあってか数秒泣いただけで涙は出なくなってしまった。

うーむ。
若かったときは、もっと泣けてたかも。

で、じゃあどうするかと言えば、できることといえば寝る、だな。

というわけで、どんなときでも寝入りがいいことだけは取り柄の私は眠りに就いた。
そして見たのが、冒頭の夢だったというわけだ。

眠っている間に、脳にある海馬という部分が、日中に起きたさまざまな出来事を整理整頓しているという話を、以前、何かの本で読んだのを思い出す。
A、B、C、Dという異なる事象が日中にあったとしたら、AとB、AとC、BとD、etcと、いろいろ組み合わせてみたりも海馬はするそうだ。

私の夢って、まるでそれだ。
情報システムの赤枠とポップアップ表示と、自分が書いた「凹む」を組み合わせてみたのだ、私の海馬は。笑っちゃうほど単純だ。

けど、その現象をこうして眺めてみると、私の海馬は「凹むという字は使えないよ」と伝えることで、「凹むなよ」とエールを送ってくれたのかな、とも思う。

こんなふうに笑わせる演出ができるなんて、なかなかユーモアのあるいいヤツだな、私の海馬ちゃん。