90歳の父が、友人のお通夜に行くと言い張ってすったもんだした件

日々の楽しみ

出先で、父から電話がかかってきたのは先週の月曜日の午後4時頃だった。

「どうしたの〜? 何かあった?」と出ると、向こう側の父の様子が変だった。なんだかひどく怒っている口調で、荒々しく言うのである。

「お通夜に行くっていうのに、喪服もYシャツもない。Yシャツは全部ない。さっき、業者とママが来て向こうの部屋でキャッキャと笑ってた。きっと全部持っていったんだ」と言う。

えーっ、どうしちゃったんだ? そんな支離滅裂なことを言うなんて。とうとう完璧にボケてしまったのか?
ゾワゾワッと震える背筋に「落ち着け落ち着け」と心の中でつぶやきつつ、ゆっくりと問いただしてみる。

「うーん、それはないと思うよ。だって、ママは今リハビリでずっと施設にいるから家には来れないもの。それに、さっき来てくれたのはヘルパーさんでしょ? 洗濯してくれて、お昼ご飯作ってくれたでしょ?」

「いや、さっき業者が来たんだ、ママと一緒に。Yシャツが全部ないんだ。きっとみんなで俺に嫌がらせしてるんだ」と父はさらに憤って言いつのる。

何度も繰り返す父の話を聞くうちに、「もしや、詐欺まがいの不用品回収業者を家に入れてしまったんじゃないか?」などというあらぬ疑惑まで浮かんできて不安が膨張しそうになる。

いやいや、だけど、それはないだろう。
そこで、父に言う。
「いま私、外にいるんだ。あと15分くらいで帰るから、家に着いたらまた電話するね」

帰る道々、頭の整理をした。

その前日の日曜日、中学校時代の友人の訃報を伝える電話が息子さんからあり、お通夜が火曜の18時から行われると父は知った。それで父は、喪服はどこにしまってあるかを聞くために、老人健康保健施設でリハビリ中の母に電話した。だけど、母はお通夜に行くことに猛反対。しかも「喪服はもう処分した」と父に告げたという。

それを聞いた姉も、父に電話して猛反対した。足元がふらつく父が夜に出かけるのは危険が多すぎるし、数日前に近所のグループホームで新型コロナウイルスのクラスターが発生したというニュースが伝わっていたからだ。

二人から猛反対された父は、むしろ頑なに心を定めてしまったに違いない。行くぞ、行かなければ、と。

私も、こんな状況下でお通夜に出かけることには賛成ではなかったけれど、姉と母から強く反対されたうえに私が追い打ちをかけるのもな・・・と思いとどまって、前日から父とは話していなかった。
おそらく、だから私に電話してきたのだろう。

母が喪服を捨ててしまったという話は、私にはにわかに信じられなかった。
きっと母は、「喪服がなければ、お通夜は諦める」と踏んで、あえて「処分した」と言ったのではないだろうか。でも、実はきっと、どこかにしまってあるに違いない。

とはいえ年々父の体は縮んでいるから、見つけられたとしても、喪服がブカブカで不恰好だという可能性はある。そしたら、父もお通夜行きを諦めるかもしれない。

・・・そんなこんなを考えながら家に戻り、深呼吸してから父に電話をかけた。

すると、父が言う。
「さっきは、なんだかいろいろ言ったんだが、何を言ったのかさっぱり覚えていないんだ」

「そっか。いいよいいよ、大丈夫」と私。そして付け加える。
「ごめんね。たくさんあったYシャツを処分したのは私なんだ(←これは事実)。去年の秋に札幌に行ったとき、引き出しに入っていたのは全部いらないってママが言うから処分したの。だけど、ママのことだから、喪服とそれに合わせて着るYシャツはどこかにしまってあると思うんだよね」

父は、「そうか、じゃあ、もう一度探してみるな」と言って早々に電話を切った。

しばらくして、父から電話がかかってきた。

「いやー、喪服が見つかったぞ。だけど、Yシャツがないんだ」

・・・やはり母は喪服を捨ててなかったんだな。ふむ。

私が「見つかったんだ。よかったね。Yシャツは、近所の『洋服の青山』でも買えると思うよ」と言うと、「青山は好きじゃない」とかなんとか父は言う。
そこで、「とりあえず、ズボンと上着を一度着てみなよ。サイズが合わなくなってたら困るでしょ」と促してみる。

「そうだな。じゃあ、電話は一度切るぞ」と父。

しばらくして、「大丈夫だ」と父から電話があった。

私:大丈夫って? 何を着てる?
父:上着だ。
私:鏡、見てる?
父:見てるぞ。
私:肩、落ちてない?
父:大丈夫だ。
私:ズボンは?
父:まだ履いてない。
私:じゃ、ズボン履いてから、また電話して。

少しして、再び父から電話があった。

父:・・・裾が長いな。
私:あら、そうなのね(内心「しめた!」と思いながら、口調は残念そうに)
父:ちょっと長いなぁ。
私:何センチくらい?
父:3センチ・・・いや、5センチくらいかなぁ。
私:そっか、5センチは長すぎるね。靴を履いても引きずっちゃうよね。(内心「いいぞいいぞ」と思いながら、やはり口調は残念そうに)
父:折ればいいかな?
私:折っただけじゃ無理よ。・・・昔、近くの西友の2階にお直しの店があったよね。今もあるか調べてみる?
父:そうだなぁ・・・でも、明日すぐやってくれるだろうか?
私:電話して、お店があるか調べて、間に合うか聞いてみようか?
父:・・・
私:問い合わせるのは、大した手間じゃないよ。
父:・・・いや、いい。諦める。
私:そうなの? 諦めるの?
 (内心「よかった」とホッとしながら、でも、念のため聞いておかなくちゃ、と・・・)
  何を諦めるの?
父:ズボンを直すのは諦める。
私:で、お通夜は?
父:明日、考える。
私:・・・(えーーーっ!? お通夜は諦めないの?)

まぁ、この成り行きでは致し方ない。
「そうね、明日の朝、また相談しようね」と言って電話を切った。

やれやれ、どうしたもんか。
父は札幌、私は所沢にいる。何も手助けはできない。

ま、そうはいっても、父も考え直してお通夜は諦めるかもしれないしね。と、気を取り直して夕食の支度をして食事を済ませた頃、父から再び電話がかかってきた。

父:いやー、喪服が見つかったんだ。しかも、Yシャツもネクタイも全部揃ってるんだ。
私:えっ?(・・・ってことは、さっき着てみたのは何だったんだ?)
父:Yシャツもちゃんとあるから、これで大丈夫だ。
私:そ、そ、それはよかったね(口調はうれしそうに、内心は困惑しきり)。で、着てみた?
父:着てみたぞ。
私:ズボンの裾、長くなかった?
父:大丈夫だ。ぴったりだ。
私:そ、そ、それはよかった。で、黒い靴はある?
父:靴はまだ見てないな。どこにあるだろうか?
私:パパの靴は、玄関の下駄箱の下の段にしまってあるよ。
父:そうか、じゃあ、見てみるぞ。・・・・・・・・・ゴソゴソ、ガタガタ(←音)・・・・・・・・・ああ、あったあった、黒い靴があったぞ。
私:履いてみた?
父:ちょっと待てよ。・・・・・・・・・ゴソゴソ、ガタガタ(←音)・・・・・・・・・ああ、大丈夫だ。先が三角に細長くなっていてカッコイイぞ。
私:痛くない? 歩ける?
父:・・・わからんなぁ。いま、片足だけ履いてみた。でも疲れてもう立てん・・・
私:そっか、疲れちゃったのね。明日の朝、また履いてみれば大丈夫よ。
父:そうだな。まあこれで準備万端だ。ありがとう。

という経緯は、姉妹にメッセージで伝えていたので、父の近所に住む妹がありがたいことに夕食後にわざわざ寄ってくれて、一通りチェックしてくれた。
喪服も、靴も、御霊前もしっかり準備できていて、タクシーも5時に迎車を予約したと言っていたという。
そして「お線香をあげるのはいいけど、友だちといっしょに飲んだり食べたりするのは絶対ダメ」と妹はしっかりと伝えてくれたという。
「いろいろ心配だけど、どうこう言って行動を制限できないよね・・・」という妹のメッセージを読みながら、しみじみうなずいた。
夕方電話してきたときの支離滅裂さと、タクシーの予約まで自力でできる対応力が共存しているのが、90歳になった父の現実なのだ。

こうして翌日、父は一人でお通夜に出かけ、「帰りは友だちと地下鉄に乗る」などと言っていたのだが、母が言い聞かせたとおりタクシーで帰ってきて、すぐに母に無事を伝える電話もかけたという。ちゃんと心づかいもできて、いたってマトモである。

「友だちなんて誰も来てなくて、つまらなかったって言ってたわ」と母。
むろん本人以外には想定内の「誰も来ていなかった」だが、父はさぞや寂しかっただろうなと思うと胸がキュンと痛む。

前日、父は電話で言っていた。
「人徳があると生前に言われていても『葬式に誰も来なかった』なんて他人から噂されるヤツもいるんだ。K(←亡くなった同級生の名)の会社のOB会がどうするかわからんが、行ってみて必要なら俺がなんとかせんといかんしなぁ」

父の話を聞きながら、そのとき私は半ば呆れていた。
やれやれ、見栄や義理ばかりの世界に生きてきたんだなぁ、と。
そもそも、そんな社会的評価だの会社のOB会だので噂する人なんて、周囲にご存命の方が少なくなった今となってはいないんじゃない?と、斜めから見てもいた。
だけど今、あらためて思い返すと、父はことのほかKさんを大切にしていたんだなぁと気づく。

「葬式に誰も来なかった」なんて他人から噂されることのないよう、長年の友人として自分はお通夜に行かなければと父は考えたのだ。家族から猛反対されても、新型コロナウイルス感染が心配でも、自分はその場に行きたい。父はそう望んだのだ。

認知機能が不安定で、短期の記憶障害もあるけれど、父は自分が大切にしていることに対して自分なりのベストを尽くそうとしている。
90歳ともなれば、毎日ダルいだろうし、体のあちこちも痛いだろう。だけど、大切なことはやる。そんな父に、あらためて私は敬意を覚える。

お通夜当日の朝に電話をしたとき、父は「自分でもどこに行くのか、どうするのかわからなくなりそうで、困ったもんだ」とため息をついていた。
自分の認知機能も記憶力もアテにならない状況は、想像しようとしても雲をつかむようで私にはよくわからない。だけど、すごく心細いだろうということは想像できる。
だから父が不安そうなときは、「わからなくなったり困ったりしたときは電話してね。大丈夫だから」と私は繰り返す。

どうぞ、電話がかけられない状況下で、父がわからなくなったり困ったりすることがないように。・・・いつもいつも、そう祈っている。