眠るのが好きすぎて、眠るために生きている気がしてくる(犬が、ではなく、私がです)

日々の楽しみ

眠るのが好きだ。好きで好きでたまらない。
以前から好きだったが、この1ヶ月ほど、これまでにないほど好きになってしまった。

夜、布団にもぐりこむ瞬間が好きだ。
「ああ、これから眠るんだ」と実感する、そのひとときが幸せだ。

少しだけ本を読み、睡魔と軽くジャブを打ちあった後、「ああ、もうダメ」と本を閉じ、照明を消す瞬間が好きだ。腕も体も脚も一度グーンと伸ばしてから体を弛緩させ、身も心も眠りに委ねる・・・これはもう極上の快感だ。

そして愛犬マリアがモゾモゾと寄ってきてスルスルと布団にもぐりこんでくる気温がグッと下がる未明の時が、とっても幸せ。ぬくぬくしながら、「ああ、まだ2〜3時間眠れる!」と思いながら再び眠りに溶けてゆく。

朝、目覚ましの音にゆるゆると起こされるのも好きだ。
そうそう、思えば、これは最近の特徴だ。
以前は、起きるのは嫌だった。起きたくなかった。できるなら、もっと眠っていたかった。もちろん今も布団のなかでまどろんでいたい気持ちはある。だけど、また夜になって眠る幸せを得るためには、目を覚まして、起きて、ほどほどに食べ、ほどよく活動し、充分に疲れる必要がある。これからの一日の先には、また眠れる夜が訪れる。そう思うと、起きるのもまた楽し、という気分になれる。
いまだ靄のように残る眠りのぬくもりを体の芯に感じつつ、体のこわばりを解くために布団のなかで足先をくるくる回したり、脚をストレッチしたりしながら、「ああ、また夜になれば、このぬくもりが戻ってくるのだ」と近未来の幸せを予感しながら起きることができる。

そんなわけで、大好きな睡眠を妨げるものは、可能なかぎり避けている。
夕飯は腹八分目、午後8時前には終える。胃がもたれて寝入りが悪くなったり途中で起きたりするのは絶対に嫌だからね。

夕方以降は水分は控えめにし、カフェインを含むコーヒーや紅茶や緑茶はほとんど飲まない。トイレに起きて睡眠を中断したくないもんね。飲みたければ、朝から昼に飲めばよろしい。

パソコンの前で過ごすことの多い仕事だけに、働きすぎも避けている。肩こりがひどかったり頭痛がしたりすると、よく眠れなくなってしまうから。以前はしばしば夕食後に残業することがあったけど、いまは夜はできるだけパソコンには触れない。

入浴後には、呼吸法とストレッチをする。するのとしないのとでは、睡眠の質がまったく異なることに気づいてからは、よほど体調が悪いとき以外は毎晩の習慣にしている。

むろん、暑すぎて起きる、寒すぎて起きる、などという事態に至らぬよう、翌朝の最低気温の予報をチェックして布団や毛布の調整にも配慮する。なるべく週に一回は、天気の良い日に布団をベランダに干す。ほかほかふっくら太陽の匂いのする布団は幸せの象徴だ。
体を締め付けず、肌触りの良いパジャマも必須だ。

・・・という塩梅で、気づけば、私の日々は細部に至るまで、心地よい睡眠を得るという目的を中心に回っているかのごとくである。

以前は、「きちんと仕事できるように眠ろう」「健康を保つために充分な睡眠時間を取ろう」などと配慮したものだったが、いまは逆転。気持ちよく眠れるように、仕事も食事も運動も配分する。そして、それが味気ないとか堅苦しいとか感じることなどなく、むしろ嬉しくてしょうがない。
もしかして私、眠るために生きているのかも。

いったい、どうしちゃったの、私。

思えば、この5年ほどは大病をしたり引っ越したり会社をたたんだりして、養生しつつ家族や地域の人たちと新しい関係をつむぐなかで手探りで暮らしを立て直してきたわけだが、治療が終わり肩の荷を軽くして気張りすぎない自分にたどり着いてやっと、自らの体のリズムに身を委ねられるようになれたのかもしれない。

冬至に向かって夜が長くなるこの時期は、ひたすらたっぷり眠る。
それが自然の摂理なのだろう。
酷暑の夏には、こんな眠りは得られない。

ともかく今、私は眠るのが好き。
で、それだけでとっても幸せです。