札幌を発つ朝は、定番のバタートーストを父に焼いてもらった

日々の楽しみ

母が熱中症で入院し、独居生活を余儀なくされた90歳の父をサポートするために札幌に飛んで1ヶ月が過ぎ、いよいよ、私が帰宅する9月15日がやってきた。

父の朝食は、母と二人で生活していたときからサラダとトーストと牛乳が定番。一方私は最近、玄米と味噌汁と納豆などを軽く食べるのが朝の習慣になっていて、札幌に来てからも父とは別のものを食べていた。
父の独居生活に向けて朝食の合理化・仕組化・習慣化を進めるに当たっては、別のものを食べていたから気持ちが割り切れてよかった。
もし同じメニューだったら、「ついでに作ったほうが速いのに」とか、「同じものを用意するのに自分のだけ作るのはなんだか気がひける」といった葛藤が生まれたかもしれないが、どうせ別々のメニューだから私は私のリズムで用意して食べる、父は父のペースで用意して食べる、ということを淡々と実行できたように思う。

だけど、父が不器用にバターをのせてトースターで焼いて美味しそうに食べている様子を毎日見てきて、「最後の朝くらいは」と思い、「私にもバタートースト焼いて」とねだってみた。
すると父は「そうか、食べてみたいか」と、まんざらでもない笑みを浮かべてゆっくりとパンを2枚取り出し、決してテキパキとはいえない手つきでバターを厚切りにして2切れずつのせてから、トースターのつまみを8分の位置まで回した。

母の習慣と異なるので、「5分じゃないの?」と尋ねると、「いや、このくらいの方がこんがりカリっと焼けて旨いんだ」と父は自信たっぷりに言う。

ふーん、そうなのか。
3週間にわたる「朝食づくりの習慣化」の特訓のあいだに私が気づかぬうちに試行錯誤していたのかもしれないし、あるいは、あれこれこだわりの多い母がいるとそのやり方に従っている父だが彼なりの一家言を隠し持っていたのかもしれない。

8分かけてカリッとほどよく焦げ目がついたトーストは、噛むとジュワッと有塩バターの脂と塩味が滲み出てきて、たしかにとっても美味しかった。すっごくお腹いっぱいになった。大満足。
ごちそうさま、とーちゃん。

食事を終えたら、私の食器は洗って拭いて棚にしまい、父の分はむしろ洗いかごに出しておいた方が便利だろうと思ってそのままにしておいた。

そのあとで、歩いて2分ほどのバスターミナルまで父は一緒に来てくれた。
バスターミナルで待つ人はさほど多くなかったが、みんなマスクを着用していた。それを見て、あ、またマスク付けてないじゃないか・・・と気づく。
父は外出するときにマスクを付けるという習慣がなかなか身につかない。そして私も、出がけに父がマスクをしているかチェックするという習慣が身につかないうちに帰ってしまう。
やれやれ。次に来るときはマスクが不要になっていたらいいけれど、たぶん、それまでにコロナ収束は無理だろうな。

乗るバスが来るまでのあいだに、父は不安そうに「明日は、行くのかな? あれ? 誰かが来るのかな?」と聞いてくる。
「明日はデイケアに行く日でもヘルパーさんが来る日でもないよ。1日、自由な日だよ」と言うと、「そうだったか」と肩を落としてますます不安そうになる父。
「大丈夫、マネージャーが毎日いちいち電話するから!」と肩を叩くと、少しだけ顔が明るくなった。

一人の生活は不安だよね。
自分の記憶が頼りにならないのも不安だよね。

だけど父は杖に両手を置いて前のめりに立ち、バスが出発するまで見送ってくれた。

まあ、今回は2日後に姉が行く。だけど姉が帰った後は、父はしばらく一人で生活しなければならない。

次、私はいつ行けるかな。
それまでは、父のリモート・マネージャーをしっかり勤めようと肝に銘じつつ、車窓から父が見えなくなるまで手を振った。

来たときよりは人出の多かった千歳空港。
預ける前に、しばしマリアをなでなで
右翼上の席から、曇りがちな千歳空港を眺める