9月15日、一ヶ月滞在した札幌の父母の家から所沢の自宅に帰ってきた。
熱中症で入院した母は、老人保健施設に入居してリハビリの日々を送ることになり、父の独居生活は当初の予測よりも長くなりそうな状況となった。
そんなわけで、滞在中の一ヶ月の後半は、これからの独居生活で父が直面するであろう家事の困りごとは何だろう?と予測するためにこれまでになく父の行動を観察し、その観察にもとづいて対策を練ることに時間と労力を費やした。
ずいぶん頭を悩ませたことの一つに、お茶問題があった。
というのも、これまで父母の家ではいつも母がお茶をいれてきたのである。
父は「おーい、お茶」という言葉を発する労をとる必要すらなく食後や午後のひとときの良きタイミングに、すーっとお茶が出てくる、という特権的立場に慣れきっていた。
私にしてみると、想像を絶する不思議な世界である。
「ずっとママがやらせてこなかったから、自分でお茶をいれることもできない爺さんになってしまった」と妹に愚痴ると、母から聞いたという話を教えてくれた。
私が生まれたとき姉は3歳前でまだ手のかかる時期だったのだが、てんやわんやの母のかたわらで父はミルクを作るなどして健気に母に手を貸していたというのだ。やるじゃないか、イクメン。
ところがである。
生まれたばかりの孫(←私)の顔を見にきた祖母(←父の母)が、母にきつく言い放ったというのである。
「ミルクを作らせるために京大に行かせたわけじゃない!」
いやはや、こともあろうに祖母の「呪いの言葉」に父母が縛られてしまったとは。
そしておそらく母と父は、その言葉をはじめとする幾多の社会的呪縛にとらわれて、長い年月をかけて「お茶を入れる人」と「お茶を飲む人」という明確な役割分担を固定させてしまったのだろう。
というわけで、90歳にして自分でお茶をいれられない父が、そこにいた。
とはいえ、父が自分でお茶をいれたことがまったくなかったかというと、そうではない。その昔一年ほど単身赴任をしていたこともあったし、8年前に母が脳出血で入院・リハビリを余儀なくされた数ヶ月一人で生活したこともあったのである。おそらく、自分でお茶をいれて飲んだことは少なからずあったはずだ。
ところが現状、父は自分でお茶をいれられないのである。
その背景には、3つの原因があるようだ。
・かなりの経験不足(習慣化されていない)
・かなり手先が不器用(これは、もともと)
・かなり認知機能が不安定(これは、最近)
たいていの人は経験がそれほどなくても、手本を真似るという器用さで補う。あるいは、類推したり予測したりする認知力で補う。
だけど、父には経験不足を補うに足るだけの器用さも認知力もなく、しかも経験したことを半ば忘れてしまっていて、さらには、さっき示された手本すら思い出せないことがしばしばある。
どうしたものか。
8年前に半身不随になる前から、母は、いつも押せばお湯が出るように電気ポットを常に満タンに給水し、急須に茶葉を入れて電気ポットからお湯を注いでいた。
しかし父には、それは複雑すぎる。
電気ポットのお湯をたやさないように給水しておくなど、到底できそうにない。もし空焚きしたら、この年季の入ったポットはどうなるのだろうか?という不安がよぎる(そもそも一人で2Lのお湯を常に沸かしておく必要はないし)。それに急須を使ったあとで茶殻を捨てて急須を洗うという作業も、父の手に余る。
ならば、電気ポットも急須も使わずに済ませばよいではないか。
うん、そうだそうだ、名案だ。
そう考えた私は、1.2L用の小さめなケトルとほうじ茶のティーバッグを買ってきて、お湯を沸かしてマグカップでお茶をいれる方法を父に伝授しようとした。
しかし、現実はそう甘くなかった。
なんとも危なっかしいのである。
ケトルの取っ手は、熱くなる。私は布巾をかけて持つことができるが、父は不器用でできない。
取っ手が熱すぎて手からケトルがすべり落ちて足に火傷、お湯を手にかけて火傷、ガス台の火が衣服に着火etc.・・・すべてにおいて手元がぎこちない父を見ていると、恐ろしい光景が次々と頭をよぎる。
いやいや無理だ。父がガス台でお湯を沸かしてお茶をいれるのは危険が多すぎる。
さらに、意外なことに、ティーバッグの扱いが父にはなかなか困難なのであった。
最初に私が買ってきたのは、これだった。選んだ理由は、「プレミアム」だから美味しいだろうと思ったのと、環境配慮に関してはトップランナー的存在のメーカーだから。
ところが、この布製の三角ティーバッグが、ことのほか父の手を煩わせるのだった。
四角い持ち手が、取れないのである。よしんば取れたとしても、糸をまっすぐに伸ばすことができない。
私の理解を超える現象だったが、ともかく取れない、絡まる、焦る。不思議だ。
飲めば美味しいお茶ではあったが、残念ながら不採用となった。
そこで今度は、オーソドックスなティーバッグを買ってみた。西友ブランドのお手頃価格のお茶である。
このタイプのティーバッグも、四角い持ち手を外すところで若干手こずるものの、そのハードルさえ越えれば糸はするすると解ける、絡まらない、焦らない。
というわけで、ひとまずティーバッグはオーソドックスタイプを選べば大丈夫そうだという結論に至った。
後日、金曜日に来てくれるヘルパーさんにそんな経緯を話したら、「お湯は、レンジで沸かせばいいんですよ」と教えてくれた。
なんだ、そんな手があったとは。
「それ、常識でしょ」と思う方も多くいらっしゃるだろうが、私はレンジでお湯を沸かすという発想がなかったのである。とほほ。
以後、マグカップに水を入れる→ レンジに入れて「あたためる」ボタンを2回押す→ パッケージを開けてティーバッグを入れる、という手順が確定し、何度か実践を重ねた。
そんなある日、近所に住む妹が寄ってくれた。
「美味しいお茶をいれてあげたら?」と促してみると、父は途中迷い迷いしながらも、マグカップ一杯のほうじ茶をいれることに成功し、それを妹に差し出した。ちょっと嬉しそうな、ちょっと誇らしげな、まんざらではなさそうな顔をして。
その顔を見て、私は思った。
父は、もともと人を喜ばせるのが好きなのだ。
人に何かしてあげることも、好きなのだ。
だけど、こと家事となると、固定的性別役割分担の意識が強すぎて「俺はやらん」という態度に出てしまう。きっと、これまでそうだったのだ。
90歳にして、自分が飲みたいときにお茶をいれる、人が訪れたらお茶を入れてあげるということができるようになったら、それは父にとって素敵な大変革なのだろうと私は思う。
そういえば、父がお茶をいれている姿を見ていて、なぜか思い出されたものがあった。
映画『PK』で、インドの「国宝級スター」と称される男優アーミル・カーンが演じる宇宙人の眼差しである。
不意に地球に舞い降りてしまった宇宙人にとって、人間社会のありとあらゆるものが未知。洋服も、お金も、車も、神像も・・・出会うもの何から何まで「これはなんだ?」という好奇心と探究心をもって見つめる宇宙人。
ティーバッグを手に持ち、四角い持ち手や糸がいかなる機能を持っているのか認識しきれずジーッと見つめる父の眼差しは、アーミル・カーン演じる宇宙人のそれと重なるように私には思えたのだった。
ある意味、純粋無垢。
「これはなんだ?」というわからなさには、ワンダーwonderがあふれる。
それは、ワンダフルwonderfulなことではないか。
父自身、「最近の物忘れはひどいなぁ」と不安がりつつも、「しかし、これは新しい境地なのかもしれんぞ」と言ったりもしている。まさに、その通りなのかもしれない。
不安よりもワンダフルな側面にスポットを当てるほうが、きっと楽しい。
ちなみに、朝食後には母がコーヒーメーカーでいれたコーヒーを飲む習慣もあったのだが、これはさしあたり、あきらめた。
というのも、コーヒーメーカーの扱いは父には複雑すぎるし、個装のドリップコーヒーを試してみたのだがどうしても上手くいかなかったのだ。
やり方を示しながら3度やってみたのだったが、4度目に父は、パッケージから取り出したドリップコーヒーを手に持ち、まじまじと無垢な眼差しでそれを眺め、どこをどうやったらいいかわからないという様子だったので、点線に沿って袋の先を切り取って両側の厚紙をピッと剥がすのだと私が言うと、そこまではなんとかできたのだが、次に、何を思ったのか袋の中に右手の親指と人差し指を突っ込み、コーヒーを摘もうとしたのである。
「えっ!? どうするの?」と聞くと、「さあなぁ・・・」と父は佇むのであった。
まぁ、コーヒーは飲めなくても死なない(という意味では、お茶もそうだが笑)。
インスタントコーヒーにしたっていいし、散歩がてらに近所のカフェで飲んだっていい。
それよりも対策を講ずべき問題としては、食事問題、運動問題、洗濯問題などのほうが優先順位は高い。
というわけで、生活のいろいろなシーンで生ずるであろう問題を予測しつつ対策を考え、父の「できる」を伸ばそうとした一ヶ月の札幌滞在を終えて帰宅した今、自分のことだけにかまけていられる環境に久しぶりに私はいる。
帰宅して2日後、こんどは姉が父の元に行ってくれたので、なんとなく物足りないというか、熱中していたことが急に目の前からなくなってしまったような虚脱感にとらわれそうになる。
だけど姉の滞在期間が過ぎれば、「薬飲んだ?」「ご飯食べた?」「明日のゴミは燃えるゴミだよ」「デイケア行く準備した?」etc.とあれこれ電話確認をするという役割を担うリモート・マネージャー業が始まる。
とりあえず9月の連休は、父の宇宙人ぶりを思い出しつつ、のんびり英気を養っている。