7月中旬から3週間ほどの予定で、札幌の父母の家に来ている。
体が不自由な母と、料理を全くしない父。
毎日の食事の準備に苦労し、スーパーで売っている惣菜やコンビニのおにぎりでやりくりしている様子を日頃から電話で聞かされているので、できる限り、ときどきご飯づくりを担当しようと札幌に滞在するようにしているのだ。
ただし、私は低血圧で朝は食欲がなく、料理をする気になかなかなれない。
一方、母は何もしないと体力気力が弱ってしまうので、習慣どおり朝食づくりを続けているほうがいいと言う。
というわけで、朝食の準備は母に任せ、毎朝、父母の定番食を一緒に食べている。
レタス、ハム、トマト、ブロッコリー、キャロットラペ(←普段はヘルパーさんに作り置きしてもらっている)、こんがりと焼いたトースト。
普段はもっと簡単な朝食の私には、かなり贅沢だ。
しかし見た目ほどに、朝食シーンは華やかではない。
父は朝、動けるようになるまでしばらく時間がかかる。
「朝ご飯よ!」と知らせると、ゆっくりゆっくりステテコ姿で、ズボンを手に持って食堂にやってくる。
椅子を引かずに斜めに座り、トーストを一口、二口、と食べる。
そしてボーッとする。
サラダを一口、二口、そしてまたボーッとする。
母が見かねて言う。
「もう! ズボン履いて! 朝からそんなだらしない格好で! いつもこんなで、あきれるわ」
急き立てられて父は、
「婆さん、そうギャーギャー言うな」
と嫌味な口調で言い返す。
すかさず母は、「婆さんって呼ばないで」とやはり機嫌悪く声を荒らげる。
しぶしぶズボンを履いて座り直した父が、左手で食事をする母を見て言う。
「婆さん、素手でうまく食うなあ」
母はますます機嫌悪く、
「だから婆さんって言わないで! 右手が効かないんだから、そんなこと言わないで!」
……そんなふうに、朝が、爽やかであるはずの1日の始まりが、口喧嘩で幕を開けるのである。
たまにしか来ない私だが、うんざりさせられる。
子どもじみた嫌がらせ口調は父の昔からの十八番だが、まるで悪ガキだ。「いい加減、大人になれ、大人に!」と心の中で毒づく。
しかし父は大人になるどころか、老いるにつれ、その悪ガキのような嫌がらせを増長させているように感じられる。
やれやれ、しかしそれが私の父の老いの姿なのである。
そこで横槍を入れることにする。
「朝からそんなに喧嘩するなら、施設に入居すれば? それぞれ個室に入れば、喧嘩しなくて済むんじゃない?」と言い放つ。
すると、二人は同時に力を込めて言う。
父「施設には、入らん」
母「施設なんか、入らないわ」
二人揃ってムキになって言い張る様子に、私はつい、吹き出してしまう。
絶対に施設には入りたくないと二人が思っているのは、私も重々知っている。だからこそ、この話題なら喧嘩に終止符を打てると算段したのだ。
父88歳、母79歳。
父はそろそろ足がふらつき物忘れが激しくなりつつあり、母は7年前に脳梗塞を発症してから半身不随で身の回りのことをするだけで手一杯。車椅子を押してもらわなければ外出はできない。
二人だからなんとか暮らせている。
微妙なバランスがちょっとでも崩れたら、この生活は厳しくなるだろう。
そんなリスクといつも背合わせの現状を、二人とも自覚しつつ暮らしている。
夫婦喧嘩は子どもの前ですべし?
今年2019年のお正月、父が高熱を出し、トイレにも一人で行けない重症に陥ったことがあった。
幸い、姉と私が滞在中だったので看病できたが、半身不随の母一人では何もできなかっただろう。
そんなこともあって、ケアマネージャーさんに相談して老人ホームの仲介をしている方を紹介してもらい、話を聞いたりパンフレットを取り寄せたりしたのだが、二人とも「施設はイヤ」の一点張り。
母はそれでも友人のアドバイスもあって、3月に姉が滞在中に近隣の二軒のホームを見学してきたが、父は「行かん」と突っぱねた。見学してみた母の心も変わらず、むしろ「入りたくない。家にいたい」という意志をさらに固めた。
長年住みなれた自宅が一番いい。
その気持ちはよく分かるし、できるだけ長く二人で一緒に暮らせることを私たち姉妹も願っている。できれば喧嘩などせずに、仲良く楽しく……。
しかし現実は、理想とはちょっと違っている。
でもまあ、それでいいのだろう。現実とは、そういうものだ。
父母の近所に住んでいる妹に、朝の口喧嘩の様子を話すと、喧嘩のとばっちりを受けたのは私だけではないことがわかった。
「私もこのあいだパパとママの家に行ったら、『ここに座れ』って言われて、二人の喧嘩を聞かされたよ」と妹が言うのである。
「私がいるのに喧嘩しないで」って言うと、「お前がいるから喧嘩してるんだ。いないときは、しない」ってパパが言うんだよ。
やれやれ、私たちの両親は子どもたちをなんだと思っているんだろうか。かつて「姉妹喧嘩はするな、仲良くしろ」と厳しく言っていたのは誰なんだ?
二人きりで面と向かって喧嘩をすると修復できなくなると思い、そんな最悪の状況を避けるための一種の知恵なのか?
もしくは、いつの頃からか「喧嘩するなら子どもの前で」を「家訓」にしたとか?
……謎だ。
昨日は朝食後、何を思ったか父が椅子に座ったまま、テーブルに両足を乗せた。よほど足がダルいのかもしれない。しかし、さすがに行儀が悪い。見るに耐えない。
母「やだ、やめて。食事をするテーブルですよ、足を乗せるなんて、やめてちょうだい」(イライラと)
父「いや、いいんだ」(ふてぶてしく)
母「いい加減にしてちょうだい。コドモが真似しますよ」(ほとんど金切り声)
私「……」
しょーがない、やってやるか。
おもむろに、私もテーブルに足を乗せた。
もう私は50代。「コドモ」じゃないけど、あなたたちの「子ども」ですもん。
「コドモが真似しますよ」と口から出たあたりから、その陳腐さに気づきつつあった母の怒りが笑いに転じる。父もつられて笑い、テーブルから足を下ろした。
やれやれ。手のかかる親たちだ。
でも家族でこんなふうに笑えるのは、悪くない。
せいぜい私がいる間、たっぷりバトルすればいい。