石井妙子著「日本の天井 時代を変えた『第一号』の女たち」(角川書店2019年6月発行)を読んだ。
登場するのは、何かしらの職で「女性第一号」になって道を切り開いた7人の女性たち。著者の石井妙子さんが雑誌『文藝春秋』に発表した記事に加筆して再編されたインタビュー集である。
7人とは、高島屋取締役・石原一子(1924年生まれ)、囲碁棋士・杉内壽子(1927年生まれ)、労働省婦人局長・赤松良子(1929年生まれ)、登山家・田部井淳子(1939年生まれ)、漫画家・池田理代子(1947年生まれ)、アナウンサー・山根基世(1948年生まれ)、落語家・三遊亭歌る多(1962年生まれ)。
聞けば、「ああ、あの方ね」と知る方もいるだろう。
読みながら私は、「すごい!」と「ひどい!」の間で息苦しくなった。
なにしろ、日本で「第一号」になられた方々は、強い意志と粘り強さと強靭な体をお持ちの方々が揃っている。ほんと、すごいのだ。
その一方で、それらの優れた女性たちの誰一人として「女のくせに」とか「女にはできない」と差別されなかった人はおらず、男なら普通にチャレンジできたことでも女であるがゆえに想像を絶する幾多の社会的障壁を超えなければ前に進むことができなかった現実が、これでもかこれでもかと語られる。ほんと、ひどいのだ。
もちろん、度重なる苦難がありながらも成し遂げた偉業だから「すごい!」と思うわけだが、数多の「ひどい!」がなければ彼女らはもっと伸び伸びと羽を広げることができただろうにと思わずにいられない。
国連の「女子差別撤廃条約」に日本政府が署名する流れをつくり、「男女雇用機会均等法」の制定に尽力された赤松良子さんは、こんな風に語っておられる。
「私自身、社会に出てから格差に泣かされたひとりなんだもの。男の人と一緒に走り出せるように、きちんと努力して、スタートラインに立ったのに、同期の男性たちと違って、私だけが障害物競争だったんだから」
そんな現実に憤りながらも、途中で投げ出すことなくベストを尽くされた生き様にひたすら頭が下がる。
この本で紹介されている7名の女性は、登場順に生まれ年が1924年から1962年まで幅がある。では、時代があとになればなるほど「障害物競争度」がやわらぐかといえば、一番若い1962年生まれの三遊亭歌る多さんが男限定だった落語界でいかに冷遇されたかを読めば、そんな単純な道理ではないことがわかる。
江戸時代が終わって明治になって150年を超え、敗戦後に男女平等を定める憲法が制定されて75年が経つというのに、いまだに日本の社会における男女差別は大きい。
「第一号」の7人の先駆者たちの歩みをたどりながら、男性中心の社会の価値観や仕組みの歪さや不条理さがあからさまに見えてくるのは、「女の歴史」を追いかけている著者の問題意識がそれを冷徹にあぶり出しているからだ。
著者の石井妙子さんのことは、先だって行われた東京都知事選挙を前にした5月に出版された『女帝 小池百合子』が話題になって私は知った。圧倒的多数の票を獲得して都知事に再選された『女帝』の本も、「女の歴史」の流れのなかで読んでみたい。