雪の残る札幌での10日間。父母の雑務をこなしながら考えたこと

気になること

記録的な大雪の名残とどまる札幌に、3月中旬の10日間滞在してきました。
目的は、父母の書類整理や物の整理など、いわゆる雑務。

その間、暖かくてもまだ8℃、寒い日は3℃に満たない日もあった。最低気温がマイナスになる日もあったし、雪が降る日もあった。道の両脇には除雪車に積み上げられた灰色がかった白い山並みがつづき、場所によっては私の背丈を超えるほどの高さの山も珍しくなかった。

プラスの気温になると、雪が溶けてグジュグジュ。夜中から明け方に冷えこんで固まった上に雪が降って道路が凸凹だらけになることもあった。雪道に慣れていない私には、近くのコンビニやスーパーに買い物に行くのも、犬の散歩をするのも、とんでもなく大変! すこし歩くだけで足腰が痛くなるのでした。トホホ涙

歩道も車道も歩きにくい…涙
車道なら楽に歩ける道でも、歩道はまだ雪だらけ
暖かい日には、水たまりがそこここに

そんなわけで、外に出かけたくなる誘惑はさほどなく、ひたすら父母の家にこもって任務を遂行できた。

というか、今回は出発前に私の心構えに大きな変化があったから、グジュグジュ&デコボコで歩きにくという外的な理由がなくても任務はしっかり遂行できていただろうと思う。
というのは、出発を数日前に控えたある日、年上の知人とおしゃべりしていたときに、「父母の雑用のために札幌に行く」と伝えたところ、こう言われたのだ。

雑務と思うな。本務と思え

彼女も、先輩からそう教えてもらったのだとか。
以来、その言葉が心に深く残り、折々に反芻するようになった。

たしかに、雑用とか雑務と思うと、「あ〜、めんどくせ」という荒い感情がどうしても湧いてきてしまう。「ほんとなら、今はアレがしたかった、コレもできた、あそこに行けたのに、なんで私、ここでこんなことばっかりやらなくちゃいけないんだろ」、そんなやさぐれ感が強くなりがちだ。
だけど、雑用とて、やらねばならないから手間をかけているのである。
ならば、本務として向き合えばいい。

そしてそう考えるうちに、遅ればせながら気がついた。
親の介護って、人生のデフォルト設定だったんだ!と。オプションなんかじゃないんだ!と。

数年前まで、親は親で年老いていつか逝くものだと漠然と思っていた。なんとなく、自然に、ふわふわっと消えるように逝くものだと漠然と思っていたのだ。
でも、人って、そんな風にふわふわっと現実感なく逝ったりはしない。
逝き方はさまざまで、短距離走のようだったり、マラソンのようだったり、それこそ障害物競走のようだったりいろいろなんだろうけれど、特に高齢の親の場合、自分ではできないことが増えてくるわけで、子どもが介助して並走しなければクリアできないことが多々生じてくる。うちの場合は、母が入院して認知症の父は一人で暮らせないから、突然だったけど姉と私が同居することにして半年目の今がある。
どこまで並走するか、どうやって並走するかはそれぞれの親子関係にもよるだろうし、仕事や経済や物理的な状況にも左右されるだろうけれど、いずれにしても、どうにか工夫しながら並走して手を貸したり手続きしたりするケースがほとんどだろう。

そう考えれば、ついつい「あ〜、めんどくせ」と思いがちだった父の世話や母の施設探しも、いまの私の本務なのだと気づいたというわけだ。
気づけば、対する心持ちも姿勢も自ずと変わってくる。私なりに尽くしましょう(とはいえ私のことだからガサツになりがちだろうけど)。

それにしても、母は入院中、父は所沢の自宅で姉と過ごしているという状況下で、広いマンションにポツネンと私ただ一人。しかもテレビをつけると、ロシアのウクライナ侵攻の痛ましいニュースが流れてくる。
主人不在の住まいというのはどことなく虚しくて、昨年8月に母が大腿骨を骨折して入院して私と姉が住む所沢に急に父を連れていくことになったという我が家の状況と、隣国がいきなり攻めてきて避難せざるをえなくなったという状況とは全く違うとはいえ、現在のウクライナには住人が突然不在になった住まいがどれほどあるかと想像するだに虚しさと哀しみがひたひたと胸に迫ってきて、なんだか落ち着かない毎日だった。

幸い、どこにいてもお気に入りの場所をすぐに見つけてクゥクゥ寝息をたてて眠ってしまう愛犬マリアと一緒だったので、ややもすると心にスゥスゥと吹きこんでくる不穏な隙間風をやり過ごすことができた。
ありがとう、マリア♡ あなたはいつも気張らずさりげなく、だけどしっかりと本務を遂行してくれているんだなぁ。

眠るのも本務!
今回も、雪道にめげず毎日お散歩しました