「自分ファースト」にしなけりゃ介護は続けられないと実感した2回の札幌長期滞在を振り返る

気になること

昨年2019年の夏は6週間、昨年末から今年の1月にかけては5週間、私は札幌の父母の家に滞在した。父89歳と母80歳の生活をサポートするためだ。そして、この2回の長期滞在で痛いほどにわかったことがあった。父母の家での生活は、私には3週間が限界だということである。
2回の滞在中、ともにちょうど3週間に至る頃、精神的な危機が訪れた。涙が止まらなくなる、何もしたくなくなる、二人に合わせた生活がたまらなく辛く感じられるという状態に陥ってしまったのだ。初回のみならず2回目もちょうど3週間経つ頃にその現象が起きたからには、私にとっての限界は3週間だと結論づけてよいだろう。

なぜそんなに辛くて涙が止まらなくなったのか考えてみるに、私が落ち着ける占有スペースがないという不自由さに加えて、実に細々したことの蓄積が原因だったことに思い当たる。

筆頭は、テレビの音がうるさいことだ。母はリビングで、父は書斎で、それぞれにテレビをつけていることが多く、高齢なので音量がともに大きい。その騒音が耐え難い。広々としたマンションにもかかわらず、落ち着いて何かに集中したりリラックスしたりする場所が私にはない。リビング脇の和室で寝ているので、朝、テレビの音で起こされる日もあって、そうするとゲンナリして1日の気力が半減してしまう。

朝は8時半、昼は12時、夜は6時、食事をほぼ時間通りに支度しなくてはならないのもプレッシャーだ。私自身、普段から比較的規則的な生活をしている方だが、厳格に時間通りというわけではないし、自分からそうするのと外から求められるのとでは精神的負担が違う。「そろそろ支度しないと」……と慮りつつ仕事や勉強の区切りを探っているちょうどそのときに母がそわそわ動き出したり、「もう支度しないと遅くなる」と言ってきたりするのが、やたらと気に触る。

加えて、母の干渉が私にとってはひどくめんどくさい。洗濯物の干し方、卵の茹で時間、ピクルスの野菜の切り方などから、私が少し夜遅くまで本を読んでいた翌朝に「あんまり眠ってないのに大丈夫?」と言ってきたり(…って、7時間は十分に眠ってるんですけど)、「そのセーターじゃ寒いわよ」とアドバイスしてきたり(…って、十分あったかいし、寒けりゃ自分で着替えるんですけど)、「お風呂入ってらっしゃい」と急かしてきたり(…って、もう準備してるの見えるでしょ!)。「ああ、この干渉が嫌で嫌で、私は思春期の頃、はやく家を出て独立したいと思ったものだなぁ」と、その頃のモヤモヤした嫌悪感がフラッシュバックしてきて、さらに心がやさぐれてしまう。母に悪気はなく、それを「母としての役割」と思っているであろうと考えるにつけ、よけいにめんどくさくなる。

他にも細々としたことをあげつらえばキリがない。例えば、トイレの芳香剤や洗濯洗剤やシャンプーの香料の人工的な匂いや、電気ポットにいつもお湯をなみなみと沸かせておく習慣などにもうんざりさせられる。できるだけ環境負荷を減らすために合成洗剤ではなく石鹸を使い、省エネの工夫を心がけて日々を暮らしている私にとって、生理的に不快な匂いに耐え、エコポリシーを曲げなければならないライフスタイルなのだ。

加えて、「なぜこんなに買いためた?」と理解を超える12個入りトイレットペーパー10袋の塔に目をとめずに、あるいは「ほんとにこんなに必要なのか?」と疑問が湧き出るほどのシーツやタオルがギュウギュウに押し込まれすぎて開け閉めが苦痛な引き出しに手を触れずに、事をなすことができないのである、この家では。
さらに、お茶をいれている私が着席していないうちにそそくさと食事を始めてしまう二人に、「あれあれ?昔、全員揃って“いただきます”しないと食べちゃだめと言っていたのは誰だ?」と記憶を探らなければならなかったり、お味噌汁や煮物の具を必ずちょこっと残す父に「ほらほら全部食べなきゃバチが当たるわよ」などと言いながら「米粒ひとつ残すなと教えてくれたのは誰だったか?」と首を傾げなければならなかったりもする。
そうした「エーッ!?」とか「ゲーッ!!」とか「ムカっ!!」などの吹き出しをつけたくなる種々の不快感をともなう自問自答の蓄積が、私をどんどん疲労させていくのである。

思えば、同じようにうるさかったり、時間に追われたり、あれこれ気配りしなければならないことが多かったり、自分の都合がしばしば優先されなかったりすることは、子育て期のシチュエーションに似ていなくもない。息子が小さかった頃、同じように涙が止まらなくなったことを思い出すにつけ、私はマイペースが保てないことが一定期間を超えると涙がとめどなく流れてしまうような精神構造を備えていることをあらためて深く自覚させられる。
しかも父母は二人とも寝たきりではなく、母は体がだいぶ不自由で要介護1の認定を受けていて、父はそろそろ記憶が怪しくなっているとはいえ、なんとか普通に生活はできるレベルだ。だから私がやっていたのは食事の支度、細々とした雑用、ケアマネさんたちとの介護計画の相談、病院の付き添いなどでしかない。もっと重い介護だったらと想像すると眩暈がする。

自分の中にある「やらねば」が、実は大きな原因だったかも

涙が止まらなくなったとき、私が選択したのは「とりあえず逃げる」ことだった。去年の夏は、富良野の親戚の家に2泊3日させてもらってリフレッシュしたことは「富良野らしさ」が際立つ2つのソフトクリーム。その違いとは?に書いたとおりだ。今回は、徒歩30分ほどの場所にある妹の夫さんの事務所を間借りさせてもらい、日中はそこで仕事ができるようにした。辛いということを誰かに言う、そしてひとまず辛い場所を離れる。それがとても大切だと思う。そうすることで気分転換ができて、冷静になれるから。泣いて助けを求めることのできる人がいることに、心から感謝する。

気分転換ができたら、涙が止まらない原因が自分の中にもあることに気づくことができた。
父と一緒に散歩してあげなきゃ、母の話を聞いてあげなくちゃ、お茶の時間には美味しいココアをいれなきゃ、おかずを手づくりしなくちゃ、新鮮な食材を買ってこなくちゃ……という私の頭に湧き出てくる「やらねば」のオンパレードが、過度のプレッシャーになっていたのだ。思えば、「やって」と頼まれているわけではないことばかりだ。
一緒に散歩したい、おしゃべりしたい、いつもはスーパーのお惣菜や作り置きばかりだから作りたての温かな手料理を食べさせてあげたいという気持ちが、いつのまにか「やらねば」というプレッシャーに変質していたのだ。プレッシャーの多くは、なんと自分自身から生じていたのだ。
仕事や勉強を抱えているから仕方なくもあるのだが、心に余裕がなくなっていたのである。余裕がないうえに、さらに「やらねば」というプレッシャーを自らにグイグイと押しつけてガサガサの心で何かするから、ますます泣きたくなってしまったのだ。やだねぇ、私ったら。

ひとまず、この2回の長期滞在の経験から、ひとつの結論が出せた。今後は、父母の家での長期滞在はできるだけ避けるのが賢明だという結論だ。
昨年の夏は、記録的な猛暑で父母の体調が悪くなって3週間の滞在予定を6週間に伸ばした。今回は、年末は母の不調の看病でお正月休みを前倒しして12月20日に札幌に行き、年明けに一度帰ることもできたのを飛行機代もバカにならないからと1月21日の病院への付き添いを考慮して5週間の予定を立ててしまったのだった。
しかしその結果、涙が止まらなくなるほど辛くなっただけでなく、父母に幾度かきつい言葉を投げつけてしまった。これでは不毛だ。
そんな状況になる前に、「やりたい」「やってあげたい」という気持ちがフレッシュに保たれているうちに切り上げる。そうすれば窮地に陥ることはないだろう。

つまり、とことん「自分ファースト」でいることが肝要なのだ。やりたいこと、できること、やりたくないこと、できないことの線引きをしっかりする。いい子でいようとしない(…って、もう半世紀以上生きているんだから「いい子」もないわよねぇ)。「好きなことしかやらない」と言われても平気でいる(…と書きながら、ああ、私はかつて母に「あなたは好きなことしかやらない」と非難口調で言われたのだと思い出して心がうずく。そんな自分を素直に認めよう)。

父母を大切にしたいと思うのなら、「やりたい」が「やらねば」に変質しないよう、「自分ファースト」でにこにこしている私でいよう。
そして私たち三姉妹みんなが、それぞれの「自分ファースト」を認めたうえで、ケアマネさんやヘルパーさんたちの協力をあおぎながら父母たちが望む生活ができるように環境を整える手伝いをしていけたらいいなと思う。