15年1ヶ月の長きにわたって私と一緒に生きてくれた愛犬マリアが、1月22日早朝に永眠しました。
あちこち連れ歩いたし、かつて小さな会社をやっていたときは事務所に連れていっていた時期もあるし、たくさんの方々の膝の上で可愛がっていただきました。マリアに代わって、感謝の気持ちをお伝えします。
まだマリアの不在に慣れることができず、ややもするとボーッとしたり涙が流れてきます。15年余の月日をともにしてきたので、致し方のないことだと思います。
マリアは、私が仕事も私用も予定しておらず、姉も珍しく仕事が休みだった月曜日の早朝を選んで逝きました。ほんとうに心づかいの行き届いた孝行犬でした。
マリアの最期は、あっぱれでした。
忘れないうちに記しておきたいと思います。
死に関する私的な記述なので、目にしたくない方や、センシティブな状態にある方は、ここでページをお閉じくださいませ。
* * *
21日の夜、19時半頃にレバーとじゃがいもとヨーグルトを食べたときは大丈夫だった。だけど21時頃から呼吸がハッハハッハと速くなりはじめ、私はマリアを膝にのせて21時半からのオンラインミーティングに参加した。ミーティングが終了した23時過ぎにはますます息が荒くなり、呼吸とともに体全体が猛スピードで膨らんだり萎んだりを繰り返すようになっていた。すごく苦しそうだった。
10日前、動物病院で「心不全で心臓が異常に大きくなっている」と診断されていた。
それから私はマリアを抱っこして布団に座ったり立ち上がったりして「楽になれ、楽になれ」と祈りつづけていたけれど、その発作は止まる気配がなかった。途中、疲れてしまって脇にマリアを抱くようにして布団に横になってうつらうつらしてどのくらい経ったのか、午前1時半頃にマリアの小さな足音で目が覚めた。見ると、布団の足元の向こう側に座っている。「もしかして治った?」とハッと身を起こし、マリアを抱こうと布団を出て立ち上がったところで濡れた床に足を取られそうになった。珍しくトイレではないところでおしっこをしていたことに気づくと同時に、いまだ続いているマリアの激しい呼吸を聞きつけ、意識が朦朧としているのに布団の外で用を足すという健気な行為に胸がギュッと締め付けられた。手早くトイレシートで床を拭いて洗面所で足を洗って雑巾で床を拭いてから、再び抱っこ。
その後は、布団の上に座ったり椅子に座って姿勢を変えながらずっと抱いていた。
マリアの心臓は長距離マラソンを全力で疾走しつづけているかのように強く速く打ちつづけ、抱いていると、まるで私も一緒に走って喘いでいるような気がした。一緒に全速力で駆けているみたいだ。ああ、一緒に広い広い草原を走ってみたかったね、マリア。でも、こんなに苦しくなる前にゴロゴロと草の上で寝転びたいよ。
もはや大きな心臓は、暴走するエンジンみたいだ。クリクリした大きな両目はほとんど閉じる暇なく遠くを見つめたままで、激しく打ち続ける心臓と荒い呼吸だけが、生きている証だった。
隣室の姉が父の様子を見に起きたのでマリアの状態を見せ、しばし姉も一緒に見守ってくれたけれど、少し体調が悪そうだった93歳の父の世話をする余力を残してほしくて一旦自室に戻ってもらった。
そして3時過ぎ、布団の上に座っていた私の腕からスルッと逃れて立ち上がり、数歩トトトッと寝室の扉のほうに進んで行き、マリアはフッと立ち止まった。その後ろ姿から、「あ、今だ」とマリアの声が聞こえた気がした。とうとう、最期の波が来たんだ、と私は悟った。
私に抱っこされているよりも自ら自然な姿勢で逝くことを選んだように感じたので、その場でヘナッと伏せの姿勢になったマリアを手元に引き寄せ、声をかけながら静かに柔らかな毛を撫でつづけた。
やがて伏せの姿勢を緩めながら体は沈んでいき、マリアは右腹を下にしてゴロンと横になった。ああ、とうとうもう最期の時が迫っているんだ。
姉も呼んできて、二人でマリアに声をかけながら、撫でながら、泣きながら見守った。ほどなくマリアの息づかいは激しさをやっと脱したけれど、息そのものが弱く弱くなっていった。
そうして10分くらい経っただろうか、コトッと小さく硬い音をたてて力なく頭が床に触れて息が途絶えた。その後は、アゴだけがガクンガクンと振動を繰り返し、次第にその振動が間遠になり、完全に動かなくなった。前脚も後脚も内側にきれいに折り曲げ、おだやかに眠っているようなリラックスした姿勢になっていた。
1月22日、早朝4時頃だった。
よくがんばった、マリア、本当によくがんばった。
勇敢だった。
私はマリアが、誇らしい。
こんなふうに生き切る姿を見せてくれて、ありがとう。
マリアが激しい苦痛から解き放たれてホッとした。
けれど、だんだん温もりを失って固くなっていく体を撫でながら、大きな悲しみに打ちのめされた。
もう、マリアは動かない。
* * *
昨年12月中旬から、マリアはドッグフードのカリカリを食べなくなってしまった。15年、ずっと基本はカリカリだったのだけれど。
そこで、鶏ササミ、豚もも肉、タラ、ジャガイモ、ニンジン、ブロッコリーなどを茹でたのなどを試してみていたのだが、日によって選り好みしながら食べたり、食べなかったりでヤキモキする日が続いていた。
そして次に現れた症状は咳だった。
1月10日の早朝に咳き込んだけれど程なく治まった。大丈夫かなと思っていた翌日11日の夜中に激しい咳が続き、12日に動物病院に連れて行ってレントゲンと採血の検査を受け、13日に検査結果を聞きに行くと前日の所見どおり僧帽弁閉鎖不全症で心臓が異常に大きくなり、肺水腫も併発しているとの診断だった。
薬を勧められたものの私が副作用を心配すると「心臓の薬は劇薬だからねぇ」と医師は真摯に回答してくれて、それを聞いて投薬なしで見守る覚悟を決めた。ご飯を食べないときに薬だけ飲ませる自信がなく(たぶんマリアは嫌がる)、加えて前日にむくみをとる注射を受けたところ、夜、これまでになかった灰色の下痢をしたのを見て、むしろ薬の影響がどう出るかが私はとても不安だったのだ。
年齢を鑑みれば、おそらくすでに終末期。いかなる症状が出てきたとしても、マリアの体が最期に向けての準備として自然の摂理でそうなっているのか、それとも薬の影響でそうなっているのかがわからなくて動揺することを私は避けたかった。生涯これまで何度か1~2日絶食したり動かずにいたりして何かしらの不調や痛みを自然に治していくマリアの姿を見てきた。薬がマリアを楽にしてくれる確証がなく、かえって苦痛を与える可能性すらあるとしたら、むしろ薬はいらないと私は考えた。たぶん、マリアも同じ意見だろうと思った。
だから、その日は注射も断って帰ってきた。親切な医師は「これは食べられるかもしれないから」と試供品のやわらかいパテと心臓疾患用のカリカリのドッグフードを分けてくださったのだけれど、その日の夜だけは食べてくれたものの継続しなかった。
息子一家に状況を知らせたところ、翌日14日の日曜に一家揃ってお見舞いに来てくれた。普段ならマリアは子どもたちに触れられるとすぐに牙をむいたり逃げてしまうのだけれど、この日はみんなから撫でられるがままになり、大好きな息子夫婦にたくさん抱っこしてもらい、ぐったりはしていたもののエネルギーが吹き込まれたようで、翌日から少しずつ食が進むようになった。
14日朝から始まっていた下痢は17日には止まり、3週間前にくじいて地面につけなくなっていた右後ろ足も回復し、元気だった頃のように左右の後ろ足を一歩一歩少しだけ交差させながらエレガントに歩く姿を見せてくれるようにもなった。
毎朝、ほんの少しだけれど散歩もできていた。
だから、持ち直してくれるのかなとほのかな期待が膨らんでいた。なんとか回復してくれたらと切に祈っていた。
だけど。
マリアの心臓は、やはり保たなかった。
振り返ると、ほんの1ヶ月ほどの介護だった。
何なら食べられるのか、どうやったら食べられるのか探る私の手からも姉の手からもいろんなものを少しずつ食べてくれた。一度口に入れても食べたくないものは脇にプッと出してしまう仕草が妙にかわいらしくて、姉と何度も笑いながら別のものを探しにキッチンと食堂のあいだでオタオタした。
14日の早朝、右後ろ足をかばっていたにもかかわらず、一緒に寝ていたベッドから飛び降り(そんなことはもう半年以上していなかったのに)、廊下に出てから下痢をしてしまったことがあってからは、私は毎晩、杉床の上に布団を敷いて寝るようにしていた。
そんなふうにマリアの寝食を中心に回っていた1ヶ月ちょっとの日々が、今、すごく懐かしい。もっと手をかけてあげたかった。でも、十分に手をかけてあげられたと思うことにしよう。
ありがとう、マリア。
いつか虹の橋の下で会えたらいいな。