発見いっぱい原田病日記|その1|原田病って?即入院って?

原田病日記

2015年12月末、私は「原田病(はらだびょう)」を発症した。
珍しい病気なので知らない人が多いと思うが、私自身、そのとき初めて知った病気だった。

おおまかに説明すると、自己免疫疾患の一つで、本来は外から侵入してきたウィルスなどの異物を攻撃する免疫が、間違って自分の体内にあるメラニン色素を攻撃してしまい、その結果、目や耳や皮膚や髪の毛などメラニン色素の多い組織に炎症が出るという病気だ(→詳しくは日本眼科学会のWEBサイトで)。

病名の由来は、発見したのが原田栄之助という眼科医だったから「原田病」。正式には「フォークト・小柳・原田病」と称する。

後日、私のかかりつけの漢方医さんが「原田氏病(はらだしびょう)」と、ていねいに「氏」を付けて言うのを聞いて笑ってしまった。聞けば、「腹出し病」だ。で、楽しくなって描いた絵が、このブログのタイトル画。

札幌の父(当時85歳)に電話で伝えたときも、笑ってしまった。「真田病か?」と何度も繰り返すのだ。たぶん、もうすぐ始まる大河ドラマ「真田丸」と重なってのことだったに違いない。
病気発覚の緊張が、思いもよらない笑いで少しほどけた。

今回は、私が「原田病」を発症したときの、驚きと戸惑いの最初の1日を振りかえってみる。

このマッシュルームは何!?

12月28日の朝、犬の散歩に出かけようとして気がついた。
マンションの外階段を降りていたときのことだ。階段の縁はまっすぐなはずなのに、一部が丸みをおびて出っぱっているのだ。

しかも、驚いて目を上げた先に見えた青空に、マッシュルーム状の影が浮いている。
いやいや、マッシュルームが空に浮いているのではない。視線を動かすと、マッシュルームは私の視線とともに付いてくる。
「メガネの汚れか?」とレンズを拭いたが、拭いてもそこにマッシュルームがある。
というか、メガネを外しても、マッシュルームが見えるじゃないか。

「なんだこれは?」……何か異変が起こっていると強く感じた瞬間だった。

先立って、はなはだしく目が見えづらくなっていた。
12月に入った頃から、名刺の小さな字などは特に見えなくて、「老眼が急激に加速したのか?」と不安になった。
仕事をしていて、あまりの見えなさにパソコンのディスプレイに近づきすぎて額をぶつけたとき、「これは老眼どころの次元じゃない」と焦って近所の眼科に走った。それが12月中旬のことだった。
眼科の先生が「疲労が溜まってるのかな?」と処方してくれた目薬を毎日4回点眼していたのだが、階段が歪み、マッシュルームに視界を遮られるに至って、不安がはじけた。

すぐに大学病院へ! すぐに入院!?

ときは年の瀬12月28日、一年最後の土曜日だった。
でも調べてみると幸い、かかりつけの眼科は開いている。
急いで午前中に診てもらおうと9時過ぎに出かけたが、すでに待合室はいっぱいだった。年末休暇の老若男女、子供連れ、お年寄り、いろんな人が軽く20人は待っていた。

それでも1時間ほどで診察室に呼ばれた。
状況を話すと、先生の顔が険しくなった。
いつもゆったり構えている先生が、「検査をしましょう」と俊敏に立ち上がり、奥の検査室に私を誘い、目にピカっ!ピカっ!とフラッシュを当てて撮影した。

結果を見ると、「このあとすぐ、杏林(三鷹市にある杏林医科大学附属病院)に行ってください。すぐ入院になると思います。今日が杏林も最後の診察日だから、すぐに行ってくださいね。紹介状を書くので、それを持って、ここを出たらすぐに行ってくださいね」と言うではないか。
すぐに、すぐに、と畳み掛けられて、なんだか心臓がばくばくしてきた。

もちろん言われた通り、すぐに大学病院に向かった。
自転車で10分ほどの距離だから、昼前に到着した。

病院は意外と空いていて「ラッキー!」と思ったのだが、血液検査、待つ、視力検査、待つ、あらためてピカっ!ピカっ!と撮影する検査を数種類、待つ、待つ、そして診察、待つ、看護師さんから入院の説明など……あとは何をしたのか覚えていないが、病院を出たのは夜の7時を過ぎていた。
思わぬ展開、動揺、不安、空腹で、ふらふらだった。

「原田病です。ステロイドを大量に投薬する治療をしますが、すぐ入院できますか?」と言われたのに翌日に延期してもらったのは、うちには犬がいて、人は私以外いないからだ。それに一刻を争うといっても、すぐに生き死にかかわるとか失明するとかではなさそうだったからだ。

帰宅して少しすると、息子が犬のマリアを引き取りに来てくれた。病院に着いたとき、「入院するかも」とLINEで連絡し、段取りしておいたのだ。

息子夫婦が直近に「ペット可」の物件に引っ越していて、気兼ねなく預けられたのは不幸中の幸いだった。ゲージやトイレシートやフードなどの大荷物と一緒に、ちっちゃなチワワのマリアはどこか不安げに、でも嬉しそうに連れられていった。マリアは、思春期で荒れていた頃の息子がペットショップで一目惚れした犬で、息子が独立してからは私の元に残された。大好きな息子と、優しいお嫁さんと一緒に過ごせるから、マリアはきっと幸せな年末年始が送れる。そう思って安心した。

そして私は、入院のための持ち物を準備した。

仕事の残務も片付けたかったが、タイムアウト。気力も体力も残っていなかった。
仕事のあれこれを荷物に入れるのも、必要最小限にとどめた。
身体がストップをかけてくれているのだから、休むべきだと思ったのだ。

そして実際、私は「杏林パレス」でのびのびと、ひたすら休息する幸福な2週間の休暇を送ったのだが、その幸わせさ加減については、次回に。