2015年12月末、私は「原田病(はらだびょう)」を発症し、年の瀬迫る12月29日に入院した。
入院が決まったのは前日の12月28日。その顛末は「発見いっぱい原田病日記 その1」に綴った。
突然の病気発症による緊急入院という成り行きは、私をとても不安にさせた。
なにしろ入院するのは、大量のステロイドを点滴で投薬する「パルス治療」を受けるためである。
ステロイドといえば、「強力な薬で副作用が大きくてなるべくなら使いたくない」という先入観しかなかったし、しかもそれを大量に投与するというから不安がさらにつのる。
副作用はどうだ? ちゃんと治るのか?
気が重かった。
ところが、2週間の入院生活は「こんなに幸せでいいの?」と思うくらい幸福感に満ちていたのだから驚きだ(だから「それでいい」というわけではないのは、あとで実感していくのだが……)。
好調に入院生活をスタート
2015年12月29日の朝、7時頃に起きて朝食を取り、9時過ぎに自転車を走らせて郵便局のATMで家賃を振り込み、コンビニで電気代と水道代を払い、ついでに「いまさら…」と思いながらも年賀状を10枚買ってから帰った。何かやり忘れたことはないか、心もとなかった。
ふと「散歩に行かなくちゃ」と思いかけ、「そうだ、マリアはいないんだった」と気づく。前夜、入院に備えてチワワのマリアは息子が預かっていってくれたのだった。マリアの不在に、入院する実感をリアルに突きつけられた気がした。やはり夢じゃないんだ。
あらためて荷物をチェックし、タクシーを呼んだ。
そして10時ちょっと前に緑色のタクシーに乗って出発した。杏林大学付属病院は、車なら自宅から5分ほどの近さである。
「休日で受付は閉まっているので、直接行ってください」と前日に渡された院内図を片手に、入院棟の眼科病室のある5階に向かった。
5階の受付では笑顔の素敵な若い女性の看護師さんが迎えてくれて、デイルーム、トイレ、浴室、診療室を案内しながら病室に導いてくれた。
どこも掃除が行き届いていて、白い壁も床も、まるで新品のようにピカピカしていて気持ちよく、快適そうだった。
デイルームの広々とした北向きの窓には、清々しい冬の青空が広がり、目線を下ろすと、三鷹高校のグラウンドにあるサッカーのペナルティキック練習用の黄色い人形が見えた。すべてが静かだった。
デイルームでは、テレビを観たり、面会したりできるし、蛇口から熱湯が出るからお茶も自由にいれられるという。
どこもかしこも清潔で、あたたかな光に満ちていて気持ちがいい。
入院の不安が少しずつ軽くなっていくのを感じた。
その日の午後は、脊髄液の検査があった。
背骨の間に注射をするので、かなり痛いと聞いていたのだが、「横向きに寝て体育座りのような姿勢をしてエビのように背中を丸めてください」という指示に従って態勢を整え、ゆっくりと深く呼吸をしていたら、蚊が刺すくらいの麻酔注射の痛みしか感じないうちに済んでしまった。ホッとした。痛いのは、嫌いだ。
この検査の結果、原田病であることが確実と判定され、翌日からパルス治療を始めることが決まった。
この日、私のあとに同じ病室に入院してきたのは、私より10歳ほど年上の60代のお姉さまKさんとSさんだった。お二人とも、網膜剥離での緊急入院だった。
網膜剥離はできるだけ早く手術しないと失明する危険があるそうで、お二人とも入院準備もそこそこに病院に駆け込み、荷物はあとでご家族が持ってきてくれるという。
KさんとSさんとは、入院に至る経緯などを語り合ううちに、すぐに打ち解けることができた。あとになって思い返すに、みんな揃って入院ハイの興奮状態だったように思う。
すべてがキラキラ、ワンダフル♪
友人知人には、「杏林パレスで完全休養プランです。寝正月でしっかり休みます!」などとメッセージやメールを送った。
「杏林パレス」と呼んだのは、入院の不安をあえてカモフラージュする意図もあったが、その実、私には病院が高級ホテルのように感じられたのも事実だった。
なにしろ病室は白く清潔で、キラキラと澄んだ空気が流れている。「パレス」の名がぴったりだ。
しかもシミひとつない白衣に身を包んだ看護師さんたちが、後光がさしているかに見える明るい表情で「気分はいかがですか?」「頭は痛くないですか?」と、ときどき立ち寄ってくれる。
そして私はといえば、清潔な真っ白なシーツに包まれて、のびのび手足を伸ばして横になっていればいいのだ。
時は、年末。仕事関係の人たちも、みんな休暇に入っている。
当面、しなくちゃいけないことは何もない。なんとも平穏だ。
いやはや、こんなのんびりした時間は、これまでの私の人生になかったのではないか?
もしかして、これは神様からのヴァカンスのプレゼントか?……と思えてくるのであった。
ばんざい!杏林パレス!
すべてがキラキラと感じられる入院生活の始まりだった。
あれ? キラキラはどこへ?
しかし後日、退院後3ヶ月ほど経ったときだったろうか、検診に訪れた病院で、私はハタと気付いたのだった。
「あれ? この病院、フツウじゃない? そんなにキレイじゃないんじゃない? パレスなんて呼べないんじゃない?」
……そうなのだ、私は入院前から退院後しばらくのあいだ、「ミドリン」という瞳孔を開く目薬を処方されていたのだった。
瞳孔が開いた状態だと、通常よりも光がたくさん目に入ってくる。だから、まるでカメラのレンズの絞りを開いて露出オーバー気味に撮った写真のように、すべてが明るくキラキラと見えていたのだ。汚れやシミや埃なんかは、目に入らなくなっていたのだ。
「ミドリン」を点眼しないと、世の中はキラキラしなくなる。
やれやれ。なんだか寂しい、もの足りない。
……でもまぁ、幸せな入院生活が送れたのだから、それはそれでよしとしなくちゃね。
そういえば、同じ日に入院してきたKさんやSさんが「ともちゃん、若いよねー、お肌もきれいだしー」とやたらと褒めてくれていたことも思い出す。
それも「ミドリン」の仕業だったんだな。