2021年夏の母の大腿骨骨折入院を機に、認知症の父と同居を始めた。姉と私が住む埼玉県は所沢市の自宅でである。そして去年2022年5月には、ほぼ寝たきりの母を介護タクシーと飛行機を乗り継いで札幌から近所の施設に連れてきた。そんなわけで、なんだかんだ介護まみれの日々を過ごしている。
ときどき姉がつぶやく。
「長男の嫁がいたらなぁ」
おいおい、そんなんいるはずないやん。うちら三人姉妹、姉、私、妹なんやから。
長男、おらんで💧
なんてツッコミを入れることは、もちろんない。
姉はバリバリのジェンダー平等推進派であり、この日本の現代社会のジェンダー不平等状況にいつも憤っていて、「ケア労働は安い給料で女がやればいい」という社会の風潮にも、「介護の社会化」を目指していたはずの介護保険サービスを後退させる政策にも、心底反対しているからである。
しかも実際、「長男の妻」はいまや介護の担い手としてはランキングが低い。『親の介護、誰がする?- 「長男の嫁」は6位に』(マイナビニュース2023年1月20日)という調査結果もあるくらい。兄弟姉妹の人数が多くて、長男以外は家を出て、長男がガッツリ家を継ぐという絵に描いたような明治大正昭和初期の家族はいまや少数派なのである。
つまり姉が「長男の妻」を引き合いに出すのは、あくまで姉妹間でのジョーク。
で、先日、所沢市から送られてきた「介護保険(要介護認定・要支援認定)申請書」に同封された「更新申請書記入例」を見て、オオーッ!と思わず私はのけぞった。そして姉に見せに走った。
というのも、「自宅電話番号」の下にある「その他の連絡先」の「続柄」の例として書かれていたのが「長男妻」だったからだ。そりゃもう、見せなあかん。いっしょに憤らなあかん。
記入例では、介護認定を受ける本人は「所沢太郎」、つまり男。
そして、連絡先の例が「長男妻」。
いかにも性別役割分担の固定概念を再生産する好事例である。いかがなものか、と言わざるを得ない。
それにしても、両親に関わる書類や手続きを一手に引き受けている次女のワタクシ、しばしばキレそうになっている。なぜなら、面倒だからだ。時間食いだからだ。
氏名と住所はあらかじめ印刷されているものが多いとはいえ、追加で保険者名や保険者番号などの記入や状況説明が必要だったりして、なかなかに煩雑。今回は、「この書類を提出する旨をケアマネージャーに連絡しろ」とか「主治医に話しているか」など付随して確認しなければならないことの指示も書かれている。
老夫婦だけで、あるいは一人で暮らしている高齢者には、どう見ても複雑すぎる。みなさん、どうしているのだろうか。おそらくケアマネさんに手伝ってもらうのだろうけれど、それって、ケアマネさんの本来業務なのだろうか。常に事務処理山積みでたいへんそうなケアマネさんのアンペイドワークを増やしてはいないだろうか。
しかも、さらに私の憤りの火に油を注ぐことがある。
父はマイナンバーカードを持っているのに、マイナカードを持たない母の書類内容とまったく同じなのだ。つまり同様の煩雑さ。いったい、マイナカードをつくる意義がどこにあると言うのだろうか。政府が多額の税金を浪費して「ポイント」をばらまいて広めようと躍起になってやっと今年2月で普及率63.5%にしかならないのも納得の非実用性がここでも実証されている。
介護まみれ書類まみれの日々、憤りが雪だるま式に膨らんで身も心も重くなってしまうワタクシです。こうしてブログに書いてガス抜きしなくちゃ、やってらんないの。