アベノマスクを考察するシリーズ「その2」「その3」にひきつづき、同梱されていたパンフレットを解読する。
今回は、洗濯についての説明である。
前回じっくり解読した「正しいマスクの着用」についてと同様に、図や記号が配置されていてパッと見にはわかりやすそうな雰囲気が醸されている。
が、実態はどうなのか。見てみよう。
まず、「布マスクの洗い方」の項では、ていねいに吹き出しの図で「水2Lに対して0.7gの洗剤」という目安が示されている。
そして「布マスクの洗い方」の3ステップは、こうだ。
① 衣料用洗剤で、もみ洗いではなく、軽く押し洗いしてください。
②十分なすすぎをしてください。
③乾燥機は使わず、陰干しで自然乾燥してください。
まあ、なんとなくわかるといえばわかる。さりとて親切な説明とは言えない。
「水2Lに0.7gの洗剤」の図解のていねいさが不自然に思えるほど、ずいぶんアバウトな手順説明だと思いませんか?
これだけの情報だと、「洗うと縮みがひどい」という噂も聞くので不安だ。
だから実際に洗濯してみる前にちゃんと適切な洗い方をチェックすべく、「上手な洗い方を動画でご紹介しています」というガイダンスに従って、右下のQRコードからYouTubeに飛んで「布マスクをご利用のみなさまへ」という経済産業省の動画を見てみた。
すると、上記の3ステップに書かれていること以外に、「10分つけておく」とか「タオルで水気を切る」とか「形を整えて干す」といった重要ポイントがあることがわかった。やはり記載されている3ステップでは不十分すぎる。
そして「十分なすすぎ」というのが、まるで鍋で肉をしゃぶしゃぶするようにヒラヒラさせるだけで、私には馴染みのない「すすぎ方」だったことが妙に印象に残った。笑
この動画を見て私が理解した布マスクの洗濯のポイントをまとめると、次のようになる。
①器の水に洗剤を溶かし、マスクを入れて10分つけておく。
②やさしく押し洗いしたら水を入れ替え、マスクを振るようにしてすすぐ。
③両手の平でマスクを押して水を切り、タオルに挟んで水気をとる。
④形を整えながらピンチハンガーに吊り下げ、陰干しで乾かす。
注意点
※ 洗剤の量は、使用する製品に合わせて調整する。
※ 洗い・すすぎの際は、型崩れするので「もみ洗い」は避ける。
※ 乾燥機は使わない。
少なくともこの程度の内容は、パンフレットに明記してほしかったなと私は感じるのだが、あなたはどう思いますか? 誰もがQRコードで動画を見られるわけではないのだし。
「でも、そこまで載せたら紙面に収まらなくなる」という反論が出てくるかもしれない。だけど、それなら代わりに「洗濯回数」と「漂白剤、柔軟剤の使用について」を小さな〈注〉にすればよろしい。
そもそもこのシリーズで毎度指摘しているように、本来記載すべき基本的なサイズ、産地、メーカーなどの品質表示が記されていないのに、「洗濯により縮みますが、複数回の再利用については品質上問題ないことを確認しております。」などという長ったらしい弁解にそこそこのスペースをさくことが、私には腹立たしい。
優先順位が違っていると、あなたは思いませんか?
さらに私が腹立たしく感じるのは、素材、サイズ、産地、メーカーなどの品質表示がいっさい記載されていないにもかかわらず、洗濯表示記号だけはこれ見よがしに印刷されていることである。
これを入れることによって、なんとなく体裁が整っているように見える。
「マーク入りで安心」みたいな雰囲気が醸される。
きわめて姑息な手法だと言わざるをえない。
前回も指摘したように、耳にタコができるくらい「国民のみなさまにていねいに説明をいたします」と繰り返すだけで説明責任を放棄しているリーダーが、決定プロセスが見えないブラックボックス方式で拙速に肝入りで進めた政策のパンフレットのことである。
いくら図解や洗濯表示記号を入れてみせたとて、メッキはすぐに剥がれる。
「洗っていただく」なんてへりくだられなくても、洗いますよ
この洗濯方法のページは、冒頭のタイトルも気になる。
というか、腹立たしい。
「このマスクは洗っていただくことで再利用できます」。
なぜ、「洗って」と「再利用する」のあいだに「ていただくことで」を配置する必要があるのか。
なぜ、「洗って再利用できます」にしなかったのか?
あなたは、気になりませんか?
いっそ、隣のページのタイトル「新型コロナウイルスを防ぐには?」のトーンに合わせて「洗って再利用するには?」にするほうが、ずっと自然でスマートだ。
なのに、「ていただく」をわざわざ入れてある。
井上史雄編『敬語は変わる 大規模調査からわかる百年の動き』(大修館書店2017年9月)を参照すると、こんな記述がある(p92)。
「ていただく」の使用増加は、日本語の敬語で身分や地位の上下関係よりも相互の恩恵関係が重視される流れを示している。「ていただく」により、従来の敬語と別の観点から聞き手への配慮を表現するようになった。「ていただく」を使用すれば、表現の丁寧さが上がり、文の長さも長くなる。
・・・という社会言語学の専門家である東京外国語大学名誉教授が編纂した書物の分析に従うなら、この「洗っていただくことで使用できます」の「ていただく」も、まさに、パンフレットを読むこちらへの配慮を表現していると言えよう。
で、あちらさんは、こちらに何の配慮をしてるんでしょうね?
想像してみると、こんなところだろうか。
「本来であれば、使い捨てのマスクを配布すべきところ、それができないので代わりの布マスクですみません」という配慮。
「布マスク配布に反対の声も多いことだし、洗うのは面倒だし、とりあえず下手に出て、申し訳なさを醸しておこう」という配慮。
ほんとのところ、どうなんでしょうね?
いずれにしても昨今、政治家や官僚が多用する「〜ていただく」「〜でございます」は敬語などではなく、発言の意味をわかりづらくしたり、内容のなさをカモフラージュしたり、焦点をズラしたりするための方便でしかないことを私たちはうんざりするほど知っている。
「洗っていただく」も、いかにも「ていねいに説明してます感」を出しただけのことである。
あなたは、そう感じませんか?
繰り返しになるけれど、「どうせ省庁がつくるパンフレットなんてこんなもんでしょ」と、あきらめちゃいけないと私は思う。
その理由はといえば、このパンフレットも私たちの税金もしくは次世代からの借金によって作られているからだ。そしてまた、新型コロナウイルスの感染が再び広がる中ですでに2ヶ月近く国会を開かずにいる首相と閣僚たちの言動と、これまで彼らがやってきた愚策の数々を、高い緊張感をもって注視しつづけていかなければならない、こう、思う、うー、ところで、えー、ございます。
よって、まだパンフレットの検証は続けます。残るは、最終ページの「新しい生活様式」だ。だけど次回は、実際に洗濯してみてのアベノマスクの検証に費やす予定です。粘り強く、緊張感を絶やさずにお付き合いください。