近所で雑木林をもとめ歩いていたら、江戸時代の新田開発の名残をたどっていた

あちこち散策

私が現在住んでいる所沢ニュータウンは、1970年代後半に造成された住宅地だ。年季の入った大きめの庭付き住宅と、土地を二分割して建てられた小ぶりの庭なし住宅が、碁盤の目に区画整理されて行儀よく並んでいる。全体的には、ちょっと古びた印象のにじむ住宅街である。

そのニュータウンから一歩出ると、車通りの激しい道路沿いに大型スーパーやファミレスが点在しているいかにも郊外然とした風景が広がるのだが、さいわい畑や雑木林が少なからず残されている。

そのような郊外の景色のなかで、なんともいえない清涼感を醸しているのが雑木林だ。
そばを通ると、木々の緑が目にやさしく、木もれ日がうつくしく、清々しい空気を胸いっぱい吸い込むこともできる。

というわけで、2年前に引っ越してきてから折々に近所に点在する雑木林をチェックしているうちに、自宅から1時間前後でまわれるお気に入りの散歩コースがいくつかできた。

こんな、まるで自然公園のような場所もあるんだよ〜♪

右も左も雑木林の中を歩ける!

この雑木林を見つけたのは、数ヶ月前。自宅から徒歩10分ほどで行ける。

大型スーパーの裏手の道から、私道っぽい道を遠慮しながら曲がってみたら、なんと800mほどずーっと林のなかを歩けることがわかったのだ。うれしいサプライズだった。

終着点にあるモミジ並木。

つきあたりには春でも葉の紅いモミジが道際に並んでいて、新緑が鮮やかな5月に歩いたときは、その色彩のコントラストに息を呑んだ。

清々しい新緑の5月9日に撮影。

いやはや、気持ちいいのなんのって。
車通りの多い道の裏手に、こんなに雑木林が広がっているなんてうれしいじゃないですか。車も人もほとんど通らないから、気を緩めてぼーっと歩ける。ご機嫌な森林浴になる。

さすが埼玉県所沢市。引っ越してきて2年目にして見つけたお宝散歩道。がぜん地元LOVE♡がムクムク湧いてきましたよ。ダサイタマ、ばんざい♪
土地を所有されている方、お手入れをされている方、ありがとうございます。

このような良い環境が残されているのは、市街化調整区域として保全されているからのようだ。建築規制や税制などを工夫して、これからも雑木林を残してほしいと切に願う。だって、このような緑地は地域の貴重な財産だもの。

次にご覧に入れるのは、途中、左右に雑木林のある道。

南北に500mほどまっすぐ貫かれた道の両側には、畑、雑木林、人家、お墓、駐車場などが並んでいるのだが、途中、東西方向に横切る道がほぼない(あるのは、舗装されていない私道のような細い道のみ)。

ここと同じような道が並行して3本あり、何度か歩くうちに、「そうだそうだ、きっとこれはアレだな」と思い至った。

アレとは、江戸時代の新田開発の地割だ。
東京都武蔵野市の吉祥寺駅の北側、五日市街道沿いにも、かつて江戸時代の新田開発の短冊状の地割の名残りがあるが、それと同類の直線道だ。畑や雑木林が残っているだけに、吉祥寺よりも昔の面影を想像しやすい。

このあたりの住所は、所沢市大字中富。まさに元禄時代に川越藩主の柳沢吉保の藩政のもとで進められた「三富新田」の、中富・下富・上富の一地域だから、たしかにアレだ。

特徴は、屋敷地と畑と雑木林で構成された長細い敷地だ。
所沢市教育委員会発行の『ところざわ歴史物語』の「近世」の章にある「4.三富新田の開発」に出ているこの図を見ればよくわかる。

『ところざわ歴史物語』「近世」より

説明によると、
「三富新田での1戸あたりの地割の大きさは、(中略)間口は30間〜50間、奥行きは400間〜600間と各戸によって異なり、実際には上記の値より間口は小さく、奥行きが長かったことがわかる。」

1間が1.8181mとして計算すると、400間は約727m。

ここの道は500mくらいなので、資料の説明よりも若干短い。
現代の土地利用にともなって短くされたのか、もともと奥行きが短かったのか。昔の地図とつきあわせで調べてみたいものだ。

このあたりの雑木林が、こんもりと大切に残されているのは、市の「保存樹林」に指定されているからだ。看板を見るとわかる。
ふるさと所沢のみどりを守り育てる条例」は平成24年4月1日の施行で、「所沢市みどりの基本計画」にもとづいた施策だ。いいじゃないか、所沢!

さて、このあたりは狭山茶の産地でもある。だから雑木林をたどって歩いているうちに、こんな風景に出会うこともある。

新茶の季節、5月9日の撮影。

前出の『ところざわ歴史物語』によると、お茶は江戸時代中期から風除けや畑のあぜ道に植えられて盛んに生産されるようになり、「狭山茶」のブランド化が進んだのは明治以降のことだという。

このあたりは台地で、井戸を深く掘らなければ水が得られなかった。それゆえ水田での稲作には向かず、大麦、小麦、陸稲、粟、稗などの雑穀やサツマイモなどの多品種を栽培するかたわら製茶や養蚕も行う多角経営が一般的だったそうだ。

現在は、畑といえば野菜や芋類がほとんどだが、麦畑もまれに見かける。麦の穂が並んでさわさわと風に揺れる風景は爽やかで、かつては小麦で作ったうどんがハレの日のご馳走だったと考えると、なんだか特別なうれしさも湧いてくる。

5月19日に撮影。

こうして雑木林や畑をぬって散策していると、植物があるから私も生きていけるのだなぁと、あらためて感慨深く思う。
歩いて行ける範囲に、こんなふうに緑と人の営みの歴史を実感できる場所があるなんて、うれしくありがたいことだと思う。

それと同時に、気がかりなこともある。
このあたりを歩きはじめて2年ちょっとになるが、その間にも、茶畑が宅地に造成されてしまった場所があるのだ。空き家問題が深刻化しているにもかかわらず、緑地が住宅地にされるのはどうしてなんだろう? 何かいい手立てはないものだろうか。

これから超少子高齢化がさらに劇的に進むのは避けられない。
ならば、宅地を広げるのはやめて、むしろ緑地を増やしてヒートアイランド現象を抑え、暑い夏には木陰の恩恵を最大限に受けられるような街づくり改造をしたほうが得策だと思う。

どんな地域に住んでいても、家を出たらこんな道だったらいいな……。
雑木林散歩をしながら、そんな緑の夢想が広がる。