ありがたいことに、遠方の友人が2回にわたって渋柿をたくさん送ってくれた。
毎年、有機野菜の産消提携運動のNPO法人所沢生活村で注文し、干し柿づくりはしてきたけれど、せいぜい2kgくらい、数にして十数個ほどだった。
それが、今年は何キロなんだかわからない、ダンボールに詰め込まれた渋柿が2箱分。
うっひょひょー❣️

私は「お金持ち」じゃないけど「お柿持ち」だわ。
なんて声に出して言ってみたら、めちゃ嬉しくなっちゃった。うふふ♡
「ね」と「き」の一文字違いなんだけど、心がとっても豊かに感じられるのが「お柿持ち」の素敵なところ。
友人に感謝、自然の恵みに感謝、お日様と風に感謝だわ〜✨
というわけで心のびのび、人生初の干し柿大量生産にチャレンジ💪
まずは皮を剥き、紐に連ねて縛り、熱湯に10秒ほどくぐらせてから、干す。
単純作業の繰り返しですが、数が多いとそれなりに時間も手間もかかります。でも、何のその〜♪
美しいヴィヴィッドな色を愛で、皮を剥く手の感触を味わい、干し柿になったあかつきの甘さを思い、ひたすら柿仕事に没頭♪


オーソドックスなのは「軒下に干す」なのでしょうけれど、ねじ込みフックや釘を窓の庇にとりつけるのはチビの私にはちょいとハードルが高いので、先だって剪定した庭の植木の枝を活用してベランダの角に渡しかけて吊るしてみた。
すると思いの外、大量の柿が楽々と干せてしまうではないか。
やるじゃん、自分。えっへん!


しかも、1箱目の干し柿づくりをしながら「武田砂鉄ラジオマガジン」を聴いていたら、ゲスト出演の歴史学者・藤原辰史さんが、新著『生類の思想 体液をめぐって』(かたばみ出版)についてお話しされていて、その中で、「商品化」しないことの大切さについて語られていた。思わず、手を動かしながら聴き入った。
たとえば、今の時代、子どもは小さい頃から目の下にクマができるほど受験勉強に邁進させられ、大学生になって髪を染めたり個性的な服に身を包むのもほんの一時期で、就職活動でまた画一的なスーツを着て自らを「商品化」してみせる。ほとんどの食べものもまた商品化され、消費期限や賞味期限が付けられて経済システムに組み込まれ、期限が切れると捨てられてしまう。
でも、「庭でたまたま採れすぎたものを人にプレゼントすれば、それは商品化されてはいない。その商品化されていない食べ物から、いきいきとした関係性をみつけられる」と藤原辰史さんは話していた。
まさに友人が送ってくれた渋柿も、私が今作っている干し柿も、「商品化されていない食べもの」なのである。
食べものにお金が介在しすぎて社会が歪んでしまっていて、生きづらさの原因になっているのではないか、とも藤原さんは指摘されていた。
まさに、それよ! 私の「お柿持ち」の喜びは、その生きづらさから離脱する喜びよ!と膝をうった。
実は、渋柿をたくさん送ってくれた遠方の友人のために、私は折々に遠くにいてもできるお手伝いをインターネットを介してやっている。彼が自然との共生を体現する尊い仕事をしていて、微力でも何かできることがあればという気持ちから買ってでた作業だ。当初から対価はいただかないことにしているのだけれど、森で育ったシイタケやスギダケ、里で採れた柚子やスモモや梅などを折々に彼は送ってくれて、私は家族と一緒に味わい、食べきれない分はご近所の友人知人におすそ分けする。
それは、藤原さんの言う、経済システムの穴からすり抜けた「いきいきとした関係性」を編む行為なのだな〜。
そして今、刻々と干されて小さくなり、甘みを凝縮させていく柿たちの姿が、そこにある。窓越しに見えるたびに、心に清々しい愛おしさと感謝が湧きあがる(生唾も……😋)。
そろそろ第一弾は渋みが抜け、半生で中身がトロッとした感触が楽しめるまでになった。たくさんあると、途中経過のいろいろな食感を試せるのも贅沢です♡
お裾分けする嬉しさも、そろそろ味わえそう♪
数えてみたら、なんと5個連ねた紐が25本。総数125個もあるよ!



