母が昔買ったまま置いてあった布を6月に札幌で見つけて持ち帰ってきた。
ミシンは3年前に母を連れてくる際にその他の荷物と一緒に送ってあったし、ぐんぐん暑くなる季節に着る服があまりないことに気づいたので、その布でブラウスを縫ってみることにした。
中学生時代のチクチク好きの再燃だ。6月には、サルエリパンツも一本作った。ふっふっふ♪
ブラウス作り構想にあたっては、まず図書館で2冊のソーイングブックを借りてきて、白いレース布で半袖のフレアシャツを縫った。まずまずの出来だったけれど、どうも首周りがしっくりしない。小柄でやせ気味の体型なので、襟ぐりに遊びがあると着ているうちにズレてしまうのだ。

で、もう一冊の『白いシャツを一枚、縫ってみませんか』(伊藤まさこ/筑摩書房)のノースリーブシャツを別の白いレース布で作ってみた。すると、なんだかいい感じ。襟ぐりがぴったりでシュッとして、身動きもスムーズだ。
そろそろお年頃もお年頃なので二の腕をあらわにするのは控えた方がよかろう……と思ってはいたのだが、今年も6月から始まった炎暑の日々、ノースリーブは快適以外の何ものでもない。

というわけで、レース布につづき、ピンクのギンガムチェックで作ってみたら、透けないのでもっと着やすいことがわかった。子どもっぽすぎるかな?とちょっと気が引けたけれど、友人知人の反応が思いがけずとてもよい。
で、妹がだいぶ前に作ってくれて久しく着ていなかったスカートとワンピースのリバティプリント布で同じ形のを2着、リメイクしてしまった。
さすがリバティプリント、(しかも)そこそこ着古しているので、手触りがめちゃ柔らかく、それはもう羽衣のような着心地なの。あ〜、幸せだわぁ。というわけで、こちら2枚はヘビロテ普段着になっている。

ブラウスを縫う段取りは、そこそこ複雑だ。
まず型紙にハトロン紙をのせて写しとって切り、それを布にのせてチャコペンシルでなぞる。縫い代分を測ってやはりチャコペンシルで型取ってからハサミでカットする。
面倒だけれど線や印つけを丁寧に遂行し、縫い合わせるときに表裏をきちんと合わせることが仕上がりの良し悪しを決める。
あと、このノースリーブシャツは襟ぐりの背の空き部分の始末が難しく、うっかり者の私は空き見返しを表合わせにすべきところを裏合わせにして縫ってしまい、ほどいて縫い直すという失敗を2回もやってしまった。以後、気をつけねば。
それにしても、服を縫うのはとても面白いし、自分の身にしっくりする服ができるのはとても嬉しい。
これまで服は、縫ってもらうか(子どもの頃は母が、15年ほど前からは妹が縫ってくれていた)、母・姉・親戚・友人からのお下がりか(幸い、いろんな人からいただく)、あとは古着を買う、新品を買うという4択だった。これからは自分で作るという選択肢が加わった♪
とりわけ「買わずに済ませられる」という充足感は格別だ。
行きすぎた資本主義が、環境や人権を破壊している。ファッション業界も例外ではなく、その実情を私は映画『ザ・トゥルー・コスト ~ファストファッション 真の代償~』(予告編)を見て知ってから、気軽に新しい服を買えなくなってしまった。
流行という「まぼろし」と労働搾取による悲痛な血が織り込まれた服を買わずに済ませるDIYは、社会問題の解決の糸口を探る小さな小さな実践でもある。
これから季節が秋〜冬へと移っていくにつれて、ノースリーブでは済まなくなるので技術向上と創意工夫が求められそうだが、やる気満々👍 チャレンジしていく所存です。
付け加えておくと、7月の参議院議員選挙で参政党が「政治のDIY」を旗印に躍進した。自分らの手で作るという意気込みを「DIY」と表しているようだが、DIY好きな私としては心外だ。私の「DIY」とは一線を画しておきたい、混同しないでほしい。
私のDIYは、自然の摂理や物事の交わりに思いを馳せ、とりわけ素材を慈しみながら自分の手で作ることで、大きなシステムの外で実践する創造的活動だと思っている。乱暴なやり方で自分らのシステムに勢いで巻き込んでいくのはDIYではないどころか、もはやDIYの対極の手法だと思う。
彼らの排外的な考え方、事実を歪曲したり矮小化したりする言説を広めるやり方はまっとうではないし、その「新日本憲法(構想案)」は自由・平等の基本的な権利を蔑ろにしていて(毎日新聞「今の憲法にはあるのに?参政党の創憲案で消された私たちの「権利」(2025年7月16日)参照)、こんなものが憲法になってしまったら、呑気にノースリーブシャツなんか縫っていられなくなっちまう。そんなの、私は絶対に嫌です。

