檜原村は、東京都の最西端に位置する山村で、東京都に属する島々を除けば都内唯一の「村」。森林率は93%。
JR五日市線の終点、武蔵五日市駅から西東京バスに乗って訪れることができます。
東京や近郊から気軽に行けて、ハードな登山をしなくても心地よく森林浴ができるおすすめの場所です。払沢の滝を散策するのも、南秋川の水辺でのんびり過ごすのも快適です。
そんな檜原村の江戸時代をちょっぴり紐解いてみます。
江戸時代の檜原村
冒頭でご紹介したこの図は、『武蔵名勝図会』(植田孟縉1757-1843)の多摩郡之部 巻第10の「檜原村入口」の図です(※「国立国会図書館デジタルコレクション」出典)。
右中央当たりを拡大してみると…
「番所」の文字が見えます。
この番所は、元和9年(1623)に三代将軍徳川家光が征夷大将軍に任ぜられて上洛したときに設けられ、以来、関所の役割を果たすようになりました。
そして家光の弟の忠長が甲斐の国に幽囚されるに至り、寛永8年(1631)には木戸や番屋などの建物が造られ、甲州に至る道中でもある檜原口は、特に厳しく通行が取り締まられるようになりました。
こちらが、平成になって復元された木戸です。村役場の並び、武蔵五日市駅行きのバス停横にあります。
番所の置かれた本宿(もとしゅく)は北秋川と南秋川の合流点にあり、人間の喉元(口元)を押さえるような位置にあったため、「口留番所」という名で呼ばれたそうです。
道を少し先に行くと、こんな標識が。
鉄道も自動車もない昔の旅路を、偲ばせてくれます。
檜原村、地名の由来は?
さて、檜原村の名については、すでに知る人は一目で「ヒノハラ」と読めますが、知らない人なら「ヒノキハラ」とか「ヒバラ」などと読みたくなるかもしれません。簡単な読み名ではありませんよね。
また、「檜原」という字面から「ヒノキの名産地」だと思う人もいるかもしれません(そういう私も、はじめはそう思いました)。
『多摩の地名』(保坂芳春著/武蔵野郷土史刊行会)によると、15世紀頃に「日野原」と記されていた書物があることから、「日当たりなどのよいという地形的な『日ノ原』であったかもしれない」とのこと。それが、いつしか「檜原」と表記されるようになったのだろうと。
地名は、一般的に地形・地状に由来するものが多く、次いで政治・経済・軍事・信仰・交通などに影響されて変化することが多いと言われます。漢字の字面よりも、自然の地形・地状をふまえた読み名を探ることが大切なのは、そのためです。
調べると、興味深い気づきがたくさん得られます。
村の中心は、村役場。
本宿役場前(もとしゅくやくばまえ)で降ります。バスを降りると、立派な古いお屋敷の門が出迎えてくれます。
先ほどの「口留番所」は、道を挟んで向かい側です。
村役場には美味しいコーヒーの飲める「カフェせせらぎ」もあります
武蔵五日市駅からのバス車中でアナウンスされるバス停は、和田向(わだむかい)、鬼切(おにきり)、元郷(もとごう)、山王前(さんのうまえ)など、地理や歴史を調べたくなる名が続きます。
西東京バスのキャラクター、にしちゅんも可愛い♡