先日、5人の女性が集う編集会議で、お昼ご飯を食べながら雑談をしていた。
Nさんが言う。
「このあいだ料理のページの担当ライターさんが『豚汁には生姜が必須』って原稿に書いてきたの。うちでは生姜入れないから、びっくりしちゃってね。で、会う人会う人10人くらいに聞いてみたら、なんと半々! また驚いちゃった」
それを聞いて、Sさんが言う。
「このあいだ、スポンジに石鹸をつけるシーンをイラストレーターさんに描いてもらったら、石鹸を左手に持って、右手でスポンジをこする絵だったのよ。私は逆で、スポンジを左手に持って右手で石鹸をこするから、えーって思っちゃった」
Sさんが左手と右手を動かす仕草を見て、他4人も虚空を見つめながら我が習慣をなぞる。
「私は石鹸動かすわ」
「私はスポンジだわ」
……居合わせた人のあいだでも、いろいろだ。
そういえば私も昔、とある講座で「目玉焼きの味付け」について挙手する場面で、「絶対、塩でしょ」と元気に手を挙げたところすごく少数派で、多数派が醤油だったことに唖然としたことがある。
そんな話をしたところ、Kさんが言う。
「私の友達で、卵ご飯をつくるのにお茶碗に卵を先に入れた彼を見て、婚約までしていたのに別れたって人がいたなぁ。でもあれはきっと、それが原因というより、他にいっぱい溜まったものがあってのことだったんだろうなぁ」
好み、こだわり、マイスタイル……いろんな呼び方があるが、自分が習慣としたり好んだりしていることは無数にある。
そして他の人が自分と違うやり方をしていると、つい違和感を覚えるのが人の常だ。
だけど、どっちがいいとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、レッテル貼りをしていると視野が狭くなってしまう。
多様さを「へー、面白い!」と受けとめて、いろんなやり方を試したり、そこを起点に考えを深めたりすることこそ興味深い。
ましてや、広く人の目にとまる制作物を編集するときはなおさらだ。
むしろ「こうじゃなきゃ」と思いこんでいる我流を疑い、いろんな人に聞いたりデータを調べたりして「思い込み」を外し、やわらかに視野を広めて編集するのが肝要だと、あらためて心に留めた昼休みのひとときだった。