4月末に父を見送り、5月の1週目に葬儀を、そして6月半ばに四十九日の法要を自宅でとり行った。
四十九日の夜、一連の段取りで幹事役を担ってきた私は、少しだけ肩の荷を下ろせてホッとして眠りについたのだが、夜中の2時頃、両足のくるぶし辺りの強烈な痒さと、耳障りなブーンブーンという蚊の羽音に起こされた。ほんと嫌なパターンだ、夜中の蚊。
しょうがない。
頭がクラクラするほどの眠気に抗って起き上がり、台所のガスコンロで蚊取り線香を点けて部屋に持ち帰り、くるぶしにムヒを塗り、すぐには治らない痒さに我慢できず爪を立てて掻いているうちに、ふと、どこからともなく「しまった……」という後悔の念のようなものが、どんよりと私の心に忍びこんできた。
なんだなんだ、このネガティブな気持ちは?
仕方なく、その心の澱みにフォーカスしてみる。
すると、四十九日の法要も会食も無事にとり行ったつもりだったけれど、肝心の父にちゃんと思いを寄せてはいなかったんじゃないか、自分?……そんな自問が心に広がってくるのであった。
日頃から「余計な反省はしない」を信条としている私にとって、こんな後悔じみた心もちになるのは好ましいことではない。しかもこんな真夜中に。瞬時に払いのけて眠りに戻りたい。なのに、くるぶしが痒い、痒くて眠れない、そして痒みと痒みの切れ目から後悔の念がまたぞろ湧いてくる、やだやだ、また痒い。しかも昨年のうちに封を切った蚊取り線香が湿気っていたのか嫌に煙く、喉までイガイガしてくる。痒さにイガイガまで加わって悶々とするばかりで眠れなくなってしまった。
思えば、父は「かまちょ」だった。かまってほしくてたまらないんである。自宅で同居していたときはしょっちゅう私の邪魔をしにきた。「父さん、お願いだから、つきまとわないで」なんてブログを書いたこともあったっけ。
「そうだ、ブーンブーンと耳元を飛び回っているアイツは父の化身かもしれないぞ」と、痒さと煙たさに身悶えしながら思う。きっとそうだ、そうに違いない。そうやってまた、私に嫌がらせしてるんでしょ。
父の「かまちょ」加減を思うと、約1ヶ月のお看取り期間は父にとってこれほど幸せなことはなかったであろうほどに、みんなにかまってもらった日々だった。私たち姉妹はできるだけ時間をつくって面会して父が眠り続けていても話しかけたり歌を聞かせたりしたし、母も可能な限りそばにいさせてあげた。社会人になりたてで忙しい姪っ子たちも時間をとっては何度も来てくれた。スタッフのみなさんも細やかにケアし、いつも以上に気づかい声かけしてくださった。
とりわけ父が取引先の「ビール会社の人」だと認識していた男性の相談員さんが声かけしてくださると、傾眠がちの父が「おお、今度一杯やりましょう」と応答していて、この期に及んで「仕事関係」っぽさが父を現世に引き戻す力の強さに驚かされた。彼は、特別に父が好きなフルーツを差し入れてくれたりもして、「『このイチゴは埼玉県産ですよ』と差し上げたら、『おお、今度一緒に埼玉に行きましょう』って誘ってくれたんですよ」と楽しそうに報告してくれたこともあった(ここ所沢は、埼玉県にある😅)。
1ヶ月のあいだに何度も、彼は父の部屋で豆を挽いてその場でコーヒーを淹れて飲ませてくれたり、施設の庭に咲いているツツジやシャクヤクなどを花瓶に生けて目につく場所に置いてくれたり、父が喜ぶであろうことを惜しみなくしてくださった。
私が帰り際に「今日もいい1日だったね」と声をかけたとき、「すばらしい1日だった」と父がいかにも満足そうに答えたことがあった。それはもう「かまちょ欲」が満たされてあまりあっての返答だったと今、思う。
そういえば、亡くなる1週間ほど前、傾眠状態の父に相談員さんが「明日、またコーヒーを淹れましょう」とベッドの足元から声をかけてくれたとき、父が目をパチッと開き、「死んだのか?」と一言発したことがあった。まるで伊丹十三の映画のシーンのようで、傍にいた私も姉も大笑いした。当の本人はその可笑しさに気付いたのか気付いていないのか、まだ生きている実感を持てたのか持てなかったのか、ほどなく寝入ってしまったのだが。
こんなこともあった。
父が小さな声で「ガオッ」と言うので、「何?何言ってるの?」と父の顔に耳を寄せると、また小さな声で「ガオッ」と言う。なんだかよくわからないけれど、ふと思い立って、「何? ライオンごっこするの?」と私は「ガオッ」と父の真似をしてみた。するとまた父が「ガオッ」と言う。「やだ、まじで? わかったよ、ライオンごっこね」と「ガオッ」「ガオッ」「ガオッ」と何度かやりあううちに父は眠ってしまった。やれやれ、子どもみたいだねぇと半ば呆れたのだが、翌日、また「ガオッ」と父がやるので、「え?またライオンごっこ?飽きないねぇ」と「ガオッ」の応酬を何度かして大笑いしていたら、今度は父が大きくガーッと痰を切った。苦しそうに喉を震わせ、見ると大量の痰が口から出てくる。大急ぎでベッドの背を起こし、ティッシュをとってきて痰を拭き取る。それから何度かガーッガーッと大きな音をたて、その度に拭き取り、やっと治ったのだった。思えば、痰を出せたのはあれが最後だったのだなと、今、気づく。
「最後の◯◯」は、後になってわかるのだ。
そんなこんなをつらつらと思い出していたら、いつしか痒みもイガイガも気にならなくなって眠っていたようだ。
翌朝、蚊に悩まされた話をしたら、姉が「そういえば、小泉八雲が『生まれ変わるなら蚊になる』とか書いてたんだってね」と言う。
ふーん、やっぱり、あれは父だったのかな。
「葬式も四十九日も、きちんとやってくれたな」と、かまちょさんらしく挨拶しに来てくれたんだと思うことにしておきましょう。




