このところ、面会に行くたびに、父が「うれしいな、うれしいな」と喜ぶ。
「一緒にいられて、うれしいな」と、横にいる母と私の手をとり、本当にうれしそうに、目に涙を浮かべて喜ぶのである。
思わず、私もつられてウルッと目頭が熱くなる。
こんなふうに、うれしがる父を、私はかつて見たことがあっただろうか。
若かったときもおおむね穏やかだったし、私に子どもが生まれておじいちゃんになってからは遊びに行くとにこやかに迎えてくれた父ではあったが、これほどに喜びを素直に見せることはなかったように思う。
しかも認知症になった父を自宅介護して過ごした3年9ヶ月、機嫌の良い時は稀だった。熱々のお茶やココアに舌鼓を打ったり美味しいデザートに喜んだりすることはあったけれど、特にはじめのうちは、今思えば認知症初期にありがちな不機嫌が耐え難いほど重苦しかった。認知症特有の「ものとられ妄想」が強く出ていた時期などは、暴力的といっても過言ではないほどの不機嫌の嵐に閉口させられたものだった。父にまつわる記憶を辿るとき、全体として「うれしい」の比率は低いというのが正直なところだ。
それが今、父が施設に入所してちょうど9ヶ月、その穏やかでうれしそうな様子はどうだ。施設入所前はどうなるか心配していたけれど、それは杞憂でしかなかった。こんなふうに家族と一緒にいることへの喜びを素直に表出する純心さに至れるなら、年老いるのも認知症になるのも悪くないではないかとすら思えてくる。
これも、ひとえにお世話になっている施設のスタッフのみなさんが手厚く介護してくださっているからだと思う。本当にありがたいことです。
たくさんの記憶を失って判断力も定かではなくなった父の中に湧き上がる「家族と一緒にいてうれしい」という感情に触れて、私は自問する。それは、彼の中にもともとあったのに私に見えていなかった感情なのだろうか。それとも、いろいろ無くしてしまった後に芽生えてきた感情なのだろうか。どうなのだろうか。考えても、答えはみつからない。
でも、答えはみつからなくても、父の「うれしい」に反応して出てくる私の「うれしい」は確かに、ここにある。
そういえば、自宅介護をしていた頃から、父の「うれしい」の発露がときどきあったのを思い出す。
夕方、デイサービスから帰宅した父を、私は近所の歯医者に連れて行った。父の前歯が欠けた時だったか奥歯の被せ物が取れた時だったかのことである。
帰宅して夕飯を作るのが億劫になった私は待合室で、ちょうど職場から帰路に着く頃の姉にメッセージを送った。
「帰り、合流してお寿司にしようよ」
歯医者から歩いて10分とかからない回転寿司(といっても、お寿司の現物ではなくお寿司やデザートの写真だけがくるくる回るお店)に誘ったのである。異議が出るはずもなく、現地集合とあいなった。そして無事、治療の終わった父に「お寿司を食べに行こう」と言うと、外食好きの父は「おう、それはいいな」と目を輝かせた。
お店に着いたのは私たちの方が先で、ひとまずお茶を入れて飲んでいると、ほどなく姉が到着。ちょうど入口が見える席だったので、父が「おっ! お前も来たのか! 奇跡だ!」と驚きと喜びが入り混じった反応で腰を浮かせて姉を歓迎した。姉も後で来ることは歯科を出る時にも店に着いた時にも伝えてあったのだけれど、父はすでに覚えていなかったのだ。
ひとしきり再会を喜びあい、お腹いっぱいお寿司を食べて、私たちは父の車椅子を押して帰路についた。道中、父は再会の喜びの余韻に浸っていて、「いやぁ、一緒になれてよかったな」と目を潤ませて繰り返すのであった。姉も来ると伝えていたことを忘れてしまった時間と、再会を喜んでから食事をして帰路に着くまでの時間は、むしろ後者の方が長かったのだけれど、喜びの感情が消えずに残っているのが不思議だった。そして父の「うれしい」は、私たちにも伝播した。
父が施設に入所できて9ヶ月。姉も私も思うように時間と体力を仕事にもやりたいことにも使えるようになって充実した日々を過ごせていて、こうして父母に会うたびに「うれしい」を感じ合うこともできている。幸せである。
しかし、この間、イスラエルのガザ攻撃もロシアのウクライナ侵攻も止まらないどころか、年明けにはトランプ大統領率いるアメリカ軍がベネズエラを武力攻撃し、直近ではイスラエルとアメリカがイランを攻撃して中東一帯に火種が飛び散っている。攻撃されている地にも、家族や友人や仲間と一緒にいられる「うれしい」が無数に存在する。それを思うと苦しくてたまらない。
私が暮らしている日本では、史上最短の選挙期間の末に2月8日に大勝した高市政権が、国会で議論することなく防衛装備移転3原則の「5類型」を撤廃しようとしている。日本各地に米軍基地があり、私が住む所沢にも米軍通信基地があり、米軍の戦争拠点となり、敵からは標的とされる可能性だってあるのが現実だ。
数えきれない「うれしい」を私は守りたいのに、何ができるのだろうかと立ちすくんでしまう。ふと気づくと胸が苦しくて、息が浅くなっていることに気づく。
深呼吸深呼吸……と自分に言い聞かせる毎日です。
「うれしいな、うれしいな」と父が言うので、私もうれしいけれど心は晴れず
気になること