6月初旬に認知症の父が施設に入所してから1ヶ月半余があっというまに過ぎて、もう7月の終盤だ。
「寂しくなりますね」といろんな方から言われてきたけれど、正直、これまで寂しいと思ったことがない。
辞書の「寂しい」を引いてみると書いてあるような、「心細い感じ」も「ひとりぼっちで相手が欲しい」も「満たされない感じ」も全然ない。そもそも、私はあいわらず姉と同居していて「ひとりぼっち」じゃないし、週に1〜3回は父母の面会に行っているからもあるのだけれど、なんと言っても「自分の時間」を心置きなく使える充足感と喜びが大きくて、父の不在を寂しがる気持ちが入りこむ隙がない。
特に、「わ、うれしい!」と思うのは朝だ。
起床して朝食前に畑にも行けるし庭の草むしりや剪定もできるし、なんならウォーキングだって自室の掃除や片付けだってやりたいようにできる。で、ほどよく体を動かしてから美味しく朝食をいただいて、「さて」と時計を見るとまだ7時半だったり8時半だったりするのである。父が在宅だったときは、デイサービスに見送ってトイレ掃除やら汚れたシーツの洗濯なんかを終えて「さて」という区切りが10時過ぎで、しかも駄々をこねたり不機嫌だったりする父の相手をした後の疲労感がどんより重苦しく残っていた。それが今は、「さて」と次の行動に移るエネルギーが楽々と湧いてくる。なんとも軽快なのですよ。
介護のために地方の実家に戻って3年余を過ごした友人がご両親を看取ったあと、SNSに「介護脳から自分脳へ。自分が動き出す」と投稿していた。本当にそう、そんな感じです、私も。
そして面白いことに、状況が変わると流れも変わってくる。たとえば、zoom取材の予定だった仕事が先方の事情で現地取材に変更になって、7月初旬には山形県酒田市に出かけたりもした。在宅介護中は朝夕の送迎時間の縛りで遠方どころか都心ですら現地取材が難しかったのだけれど、いまや自在に対応できる。「翔け、好奇心!」と自分を解き放てるのがこの上なくうれしい。
これまで自分の病気→新型コロナ禍→在宅介護でなんだかんだ10年くらい用心深くしか動けなかった。まだ全力疾走というわけにはいかないけれど、なんだか新しい世界が目の前に広がっているように感じています。
楽しいわ✨ ありがたいわ✨


