6月初旬、94歳の父が自宅から3km弱にある特別養護老人ホームに入所した。母が昨年1月からお世話になっている施設の上のフロアである。
入所の日、施設からのお迎えがお昼1時過ぎの予定だったので昼食は家で食べた。
有給休暇を取った姉と父と私の3人で、私が作ったタンドリーチキン風のカレーとサラダ、オニオンスープというメニューで、デザートは父の好物のバニラアイスにした。
食事の途中で父が「これは送別会だな」と言ったので、なんだか、しんみりした。
入所が決まってから1ヶ月余、「これからママと同じ施設に引っ越すのよ」と姉と私がそれぞれに繰り返し説明しても理解できない様子で、「え?俺が施設で暮らすのか? そんなことは聞いていない」と忘れていることもあれば、「で、俺はいつ帰ってくるんだ?」と何度も聞き返してくることもあった。しかし、「送別会」と言うからには、大枠のことは理解できているのかもしれなかった。
そして、アイスクリームも食べ終わって私がお皿を下げようとしたちょうどその時、父がキッパリと告げた。
「今日は定年退職だ。お世話になりました」
えっ?
思わず、姉と声を揃えて笑ってしまった。
大きな転換点であると父なりに悟り、それにピッタリする表現が「定年退職」だったのだろう。認知症になってから磨きがかかった父らしいユーモアが光る発言だった。
こうした笑えるエピソードは折々にこのブログに綴ってきたし、できれば最期まで笑わせてもらいたいとも思うのだが、いかんせん、私も姉も限界を超えそうな疲労を感じている。トイレ介助を含む身体介助がどんどん重くなっていくなかで、体力も気力もいつ崩れてもおかしくない状態に至っているのを感じていた。
例えば、先だってこんなことがあった。
トイレ介助を嫌がる父をなだめすかしてやっと便座に座らせたところで、私を払いのけようとした父の右手が私の左耳に当たり、その勢いで私のメガネがズレて視野がグラッと揺れると同時に込み上げてきた屈辱と怒りで私の右手がスワと遠心力をえて父の左頬をジャストミートした。
便座に座らせる過程で、「手すりにしっかり捕まって」だの「グルッと回ってこっちを向いて」だのと私は父に手順を伝え、父は「いちいち言うな」「うるさい」「触るな」とことごとく文句を垂れ、とはいえ「もう出そうだ」「漏れる」などとも言うものだから私は素早くコトを運ぼうと焦りつつ声のボリュームがどんどん上がっていて、何事かと駆けつけてくれた姉に「もう無理! あとはお願い!」と託し、屈辱と怒りに加えて、暴力を振るってしまった自責の念が混ざって動揺しきった私は自室に駆け込んだ。と同時に、絵に描いたような鮮やかなビンタの場面が脳裏で再生されて、今度は笑いが込み上げてきた。いや、こんなドンピシャのビンタなんて人生初なんじゃね?
そして、どす黒い動揺と苦笑いの狭間で、「姉が来てくれなければ、私は勢い余って父をボコボコにしていたかもしれない」と背筋が凍りもした。
暴力はいけない、絶対にダメ。そう思っていても押さえられなくなる自分の弱さの限界が見えた。父の世話に疲れ、自分が力を注ぎたいことに集中できない不満を抱えていると、気づかぬうちに忍耐のリミットのギリギリの境界にいて、ほんの少しの出来事で一線を越えてしまう。
姉とは何度も「ここまでよくやった、限界だったね」と言い合い、自分たちを褒め、ねぎらうようにしている。
しかも今は急激に温度も湿度もぐんぐん上がって体力消耗の激しい季節だ。昨日、姉は「なんだかすごく疲れて年をとった気がする。今、パパの介助をしなきゃいけなかったら、どうしていただろう?」と呟いていた。
「もっとやれたかもしれない」「父が望むように家に居させてあげたかった」とは、あえて考えまい。ケアマネさんも「暑くなる前に入所できて本当に良かったですね」と言ってくれた。ちょうど良いタイミングでの入所だったと思う。そもそも限界を予期しての申請から1年以上待ったのである。
後悔するより感謝しよう。
父の入所から2週間。これまで2回、面会に行ってきた。アイスやおせんべやクリームパンなど父の好物の差し入れを持って。
行くと、父はリビングのテーブル席でスタッフさんと話をしていたり、自室のベッドで寝ていたりする。私に気づくと、「おお、とも!」と嬉しそうにする。まだ、私のことも、名前も、ちゃんと覚えている。
いまだにコロナ感染予防で一緒に飲食できないのは残念だとはいえ、父の個室にも入れるし、何より下の階にいる母に会わせてあげられるのがいい。二人で並んでいる姿を見られるのは嬉しい。これまでの3年9ヶ月の間、あまり頻繁には会わせてあげられなかったから。
帰りぎわに、「じゃ、また来るね」と告げると、「俺も帰るのか?」と聞いてきたり、「そこらへんで一緒にコーヒーでも飲んでいこう」と誘ってきたりするので、心がチクッと痛む。でも、きっと、ほどなく私と面会したことは忘れてしまうだろう。だって、母と面会したことも5分後には覚えていないんだもの。
聞くところでは、男性スタッフさんには「今度、飲みにいきましょう」、女性スタッフさんには「今度、カフェでコーヒーをご馳走しますよ」と誘っているそうだ。あるスタッフさんは、「子どもが算数が苦手で困っている」と父に話したら、いいアドバイスをもらえたそうだ。持ち前の社交術で、スタッフのみんさんとのお付き合いができているみたいだ。
姉が面会に行ったときには、「いい家ができて良かったな」と母に話していたともいう。
居心地の良い施設で、心温かなスタッフさんたちにサポートしてもらいながら、父の新しい暮らしが始まっている。
姉と私が住む所沢の家に、もうすぐ91歳になる父を札幌から連れてきたのは、新型コロナウイルス感染第5波最中の2021年8月末だった。それからの在宅介護の3年9ヶ月、悲喜交々いろんな出来事があった。認知症と父への理解が深まった年月でもあった。
94歳の父、ついに施設に入所。3年9ヶ月の在宅介護を終えて
気になること
