働かない、働けない、働きたくない……の不安の背後にあるものは?

気になること

友人がSNSに投稿している表紙を見て、思わず、グッと胸を突かれた。

「働けない」をとことん考えてみた。』( 栗田 隆子 著/平凡社 2025年2月発行)

タイトルを囲む2辺に「働かない、働けない、働きたくない……」いう活用形の練習みたいな「働く」が連なっていて、わ、わ、わ、、、なんだか私の心に絡まってくる。

フリーランス・ライターを名のりながらも3年半前から両親の介護にどっぷりの日々を過ごしている私は、暖簾をかけたまま扉を半分閉じているみたいな感じで、ほんの少ししか仕事ができないでいる。「働かない、働けない、働きたくない……」は、そんな私の切実で微妙な心のありようを映し出すかのように迫ってきた。
読まなくちゃ!……というか、読みたい!
というわけで、めずらしくオンラインで即購入してしまった(いつもは時間がかかっても最寄り駅近くの小さな書店で取り寄せてもらうのだが)。

「職場の人間関係に耐えきれず自主退職に追い込まれる、あるいは有期契約だからと雇い止めに遭って働き続けられない。健康上の問題から、またはそれらが複合的に重なっていく状況に耐えかねて働けなくなる。そんなあれこれの経験が部屋の隅の目に見えぬ埃のように私の心身に積み重なっていった。そうして働く意欲があるのかないのか、もはや定かではなく、自分でも働けないのか、働かないのかわからなくなる……。私自身は二〇一五年にうつとなり、とりわけコロナ禍では賃労働で働くことが難しくなった。しかしそのような女性は今や首都圏その他都市部では珍しくないように感じる。」

経緯や状態は違えども、まさに「私も」である。仲間とソーシャルビジネスを立ち上げたけど上手くいかなくなったり病気して実家に戻ったり資格を取って有期契約の職に就いたけど続かずで先行きが見えないコロナ禍、そして介護どっぷり状態に……。自分でも働けないのか、働かないのかわからなくなる」という不安定で不安な心境はあまりに私のソレと重なっていて、何度読み返してもグッと胸を突かれる。

この「働きたくても働けない」「働こうとしても働けない」という一筋縄ではいかない状況に陥っている人は、個々の事情のみならず社会的・制度的な事由が背景にあって図らずもそこに導かれている。それを著者は、多角的な視点から解き明かしてくれる。
省庁の資料やデータや制度・法律を紐解き、戦前戦後からの経済と労働の変遷を辿り、氷河期世代の自らの実体験はもとより古今東西の文学・漫画・映画なども足がかりに著者は考察を深めていく。
今の社会では「自己責任」とされてしまう不条理な現状を、よくぞここまで可視化してくれたものだ。読みながら「そうだそうだ!」と膝を叩き、うなずき共感しきりだった。

稼げない不甲斐なさは「自分のせい」と思いがちで、いつしか自信がなくなってショボンとしてしまう心もとなさも、著者は丁寧に掬い取ってくれる。
「正社員」「パートタイム」「非正規雇用」といった「雇用身分」の不公正さをはじめ、社会に蔓延る「性別役割分業」、年金制度に潜むさまざまな差別、フリーランスの足枷となる税制「インボイス制度」、「誰でもできる仕事」として多くの場合は女性に押し付けられる無償労働やアンペイドワークetc.……いくら働いてもちゃんと稼げない現実の仕組みを、著者はこれでもかこれでもかと解いてくれる。

働けないのか、働かないのかわからなくなる」という状況だと、つい自分をダメダメな存在に感じてしまいがちだけれど、どうやったらこの煮え切らなさをぶん投げず、思考停止にならず生きていくのか」と言葉を紡ぐ著者の粘り強さに見習い、社会の不条理に抗いつづけていきたいと読みながら思った。
働かない/働けない側が悪目立ちすることが多い。だが、本当に注目すべきは特に誰も幸せそうに見えない労働状況のはずだ」……ほんと、いろんな状況・立場を想像し、他者を非難して分断することなく根っこにある社会問題にこそ目を向けたい。