「社会運動」の研究者による「社会運動のすゝめ」に共感しきり

気になること

富永 京子 著みんなの「わがまま」入門 左右社 2019年4月発行)を読んだ。

著者は「社会運動」の研究者。社会運動によって人々の意識が変わったり、法律などの制度が変わったりしてきた歴史を、長い時間軸で俯瞰的に捉える視点をもっている
この本では、「わがまま」=「自分あるいは他人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」として定義。日本社会で往々にネガティブに見られがちなわがまま」というキーワードをあえてベースに据えて社会運動の意味と意義にアプローチしている。

社会運動といえば、路上での「デモ」、インターネットや紙での「署名活動」、シンポジウムや学習会、さらに広げると生活協働組合活動やフェアトレードなども含まれる。
イシューとしては、反戦、環境保全、公害、反原発、米軍基地の移転反対、子どもの貧困やジェンダー格差、労働、消費、地域での大型開発反対など、さまざま思い浮かぶ。どれも、社会にはびこる不条理を解消するためだったり、生きやすい社会を目指す行動だったりするのだけれど、なぜか日本社会にはそうした社会運動に対して否定的な空気があり、冷笑したり批判したり、ときに忌避感を露わにする人すらいる。

そんな日本で何かしらコミットしようとすると、「クレーマーと思われるのではないか」「これって、私だけのわがままかもしれない」といった自制心が湧いてきがちだ。とりわけ自分自身が困りごとの当事者の場合は、矢面に立つ勇気がくじけそうにすらなる。
だから、まずは「わがまま」と思ったり思われたりすることの背景にある「ふつう幻想」を意識化しようと著者は言う。その上で、多様な価値観や状況に思いを至らせ、一人ひとりの経験や苦しみを言葉にしながら他の人へ橋をかけ、それぞれが抱く問題は異なっていても「同じ根っこ」を見つけていくのが多様化した現代の社会運動なのだと著者は解く。

「社会運動とか政治的なものに、私たちは何か過大な期待を押し付けすぎなのかもしれない」との指摘にもハッとさせられた。気負わずに、「アイドルのファン活動をする」くらいに考えればいい。
「そんなことをしても社会は変わらないし、今の私たちにも役に立たない」と言ってくる人には、「いや、好きだからやっている。それで自分が満足できるからやっているんです」と返して自分を肯定すればいい。
そもそも、「そんなことをしても変わらない」と思わずに、長い目でみるのが有効だとも著者は指摘する。例えば近年、LGBTや性的少数者の方を題材にした漫画やドラマが増えてきたように、可視化された変化をみればわかる。

「わがまま」をめぐる運動の結果として、当初の要求がとおることも重要ではあるけれど、「そこに至るまでにいろいろな考え方が出てくることが大切」だという著者の見解は、実際に社会運動をしながら私も身をもって実感していることでもある。

そして、以下の点は記憶に留めておき、モヤモヤしたときに参照しようと思う。
・気が向かないときはやめてみる
・遠くに行ってやるのもいい(よそ者、短期的な関わりもOK)
・うまくいかなくても気にしない
・「わがまま」を言い続けるというのは、大変なこと
・うまくやる必要はない
・社会運動に燃え尽きた人は少なくない、疲れてしまった人も少なくない、それでも人々の意識は変化して、社会は何年もかけて変わっていく

そのほかにも、DIY(代わりのものを自分で作る)、エシカル消費(買う・選ぶだけでも社会貢献になる)、こっそりわがまま(小さなレベルの意思表示)も立派な社会運動だとの解説にも共感しきり。

この本は中高生など若い世代の人たちに向けて書かれているのだが、アラ還世代でいくつかの社会運動に関わっている私の意識に漂っていたモヤモヤの正体も解き明かしてくれた。読後、気分は爽快、勇気が湧いてきた。
社会運動ってちょっと怖くて近づけないと感じている人、社会運動をしながらもなんとなく抵抗感を抱いていたり仲間との温度差に悩んでいたりする人に、とても参考になると思う。若者はもちろん、あらゆる年齢層の人におすすめしたい。

世界のあちこちで戦争が止まず、人種差別やヘイトが拡大し、気候変動の悪影響が年々深刻化し、経済格差も広がるばかりの今、一人ひとりが社会でいかに行動するかを探る足がかりにもなる一冊だと思う。